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『逆ソクラテス』 レビュー

 『逆ソクラテス』 作者は伊坂幸太郎さんです。
 全五編からなる短編小説集です。五つの物語り共に小学校五年六年生の男の子たちを主役に書かれています。実に読みやすい小説集です。リーディングが速い人なら1日で読めてしまうんではないでしょうか。

『逆ソクラテス』本のタイトルにもなっている最初の物語り。主役は加賀くんと安西くん。準主役の登場人物に草壁くんと佐久間さん。そして大事な登場人物として、安西くんが考えるところ偏った先入観の持ち主の担任の久留米先生。 
 草壁くんは家が貧乏のようだし、勉強は出来ないし、運動も上手ではないです。とうぜんクラスの目立つ存在じゃない。人気者じゃない。だからクラス担任の久留米先生は草壁くんを軽んじてみている。そのことが安西くんの正義感に触る。クラスのどの生徒も公平に見るべきだ。そして期待すべきだと考える。誰かを依怙贔屓しているとしていないとかでなく、見捨てる生徒が居てはいけないという義俠心から行動する。それに加賀くんが巻き込まれ、当の草壁くんが巻き込まれ、面白がって佐久間さんが巻き込まれ一枚噛む。
 勉強が出来ない草壁くんにテストで高得点を取らせる作戦。ずばり、そこそこ勉強ができる安西くんの答案を、草壁くんに「カンニング」させる作戦。安西くんが答えたテストの「答え」をメモにして加賀くん、草壁くんに渡すというアクロバティックな方法を考え実行します。佐久間さんは久留米先生の注意を引きつける役で参加。草壁くんは九十八点の高得点、安西くんは久留米先生に草壁くんが怪しまれないように七十五点に抑えた答案まで準備した。なのに、「草壁凄いじゃないか」と久留米先生は草壁を褒めるどころか、草壁くんの点数の良い答案にも無関心の様子。ならばということで、草壁くんの絵をプロの画家並みに上げて久留米先生をビックリさせる作戦。市営の美術館に忍び込んで、素人画家の絵とプロの画家の絵を入れ替えるまで準備していたが、絵には一枚一枚必ず、素人にしろプロにしろサインがあるのに直前まで気付かず、気付いた処で失敗とわかり断念。次に学校に去年のプロ野球打点王が、自ら執筆した本のプロデュースの一環として講演に来てくれることになり。プロの選手の目から見て、草壁くんのバットスウィングがプロに成る素質があると後ろ盾になってもらう作戦。これも実は失敗。何しろ草壁くんは当日までバットをまともに振ったことも無かったから。力一杯振ってるつもりでも、足腰からしてフラフラで、素振りは力強さに欠けるものだった。何とか打点王は草壁くんのことを褒めてくれたけど、久留米先生は懐疑的。「大人を困らせちゃいけません」というふうに、安西くんや加賀くんを窘める。一向に草壁くんに関心を向けない久留米先生に対して安西くんはイライラが解消しない。
 その安西くん、加賀くん、草壁くんが大人になった、十年後が最後にエピソードして書かれます。はたして安西くんはどんな大人になったか。草壁くんはどんな大人になったのか。加賀くんはどんな大人になって、当時を懐かしむようになるのか。
 書き忘れたけども、安西くんが加賀くん草壁くんに教えるキラーワードがあります。「そうかなあ、ぼくはそう思わないけど」という言葉です。ソクラテス、逆ソクラテスの意味とも通じるワードです。安西くんの十年後にもかかるワードです。

『スロウではない』はある意味高城かれんさんと渋谷亜矢さん、二人の女子が主役の話し。高城かれんさんは転校生。以前の学校で実はイジメられていて転校してきたと噂のある女の子。渋谷亜矢さんは今のクラスの男女の含めたカーストのトップのポジションの女の子。勉強も出来る。運動も出来る。責任感もある。流行り物にも詳しいと思う(書かれてないけど)。クラスのみんなをリードする存在。高城さんは転校してきて村田花さんと仲良くなります。村田さんは高城さんが転校してきて仲良くなるまで、クラスでは一人で過ごしていました。女子のどのグループからも入れて貰えないほど地味な女の子だった。高城さんも村田さんと性格に通じるものがあるのか、転校生だから目立たないようにしようと思っているからか、勉強の成績でも、運動でも目立ったところがない人です。
 この高城さんと村田さん、渋谷さんが運動会のリレーを巡って展開する物語り。狂言回し的に当時の様子を語る、司と悠太。大人になった悠太と当時にクラス担任の磯憲。
 読み終わって思う感想は、先日読んだ『かがみの孤城』の東条萌と真田美織が、高城さんと渋谷さんに重なります。クライマックスのエピソードはこっちの物語のほうがちょっとだけイジワルで、ぼくの好みです。エピローグ(後日談)も、こっちの物語りほうが断然いい。人は反省してやり直そうと本気で思ったならば、性格も生き方も変われて笑顔に成れる、というこだと思います。

『非オプティマス』
 騎士人(ないと)を中心にしたクラスの悪ガキたちが、授業中に面白がって邪魔するように缶ペンケースを落とします。一人が落とす、拾う。また一人が缶ペンケースをわざと落とす。担任の久保先生は黒板に向かって文字を書きながら、背中に向かって「落とさないように気をつけて」と優しく注意する。けっして生徒たちの方へ体を向けて「今、誰が落としたんだ。何のつもりだ。先生を挑発しているのか。そうか、じゃあ相手に成ってやる。廊下に出ろ!」といった感じに激怒したりはしない。授業を真面目に受けたいと思っている将太とと福生(ふくお)は、騎士人たちの悪戯を迷惑に思っています。同時に久保先生にシャキッとして欲しい思っていて。生徒に優しすぎる対応しかとれない久保先生を情けなく思っています。
 なぜ久保先生は生徒の目から見ても、生徒になめられるほど優しいか授業をやる気がないような態度をとるのか。クライマックス直前に疑問が氷解します。ただ、舐められていた久保先生の地位が回復するか、どうかは分かりません。
 この物語りの福生くんと騎士人くんが、『逆ソクラテス』の安西くんと土田くんと重なります。伊坂さんの無意識か、それとも計算か。
 それは置いといて、この物語りに安西くんもいてエピローグのシーンを保護者会が終わった後の校庭で間近で見たら、さぞかし胸がすいて喝采しただろうとう思います。読者もニヤリとする終わり方です。

『アンスポーツマンライク』
 小学校のときにミニバスケをしていた、歩、匠、駿介、剛央、三津桜の五人の子供たちの話し。
 呼んで貰うのが一番の、物語り。

『逆ワシントン』は今までの五編の物語りの、ピリオドと成る物語りです。
 『アンスポーツマンライク』の駿介も出てきます。
 話しとしては『非オプティマス』に通じる教訓が語られます。「正直」に謝れば、悪いようにならない。正直が一番という教訓です。アメリカ初代大統領の子供の時のエピソードに習った教訓です。
 しかし、謝ったのに許してくれず、マウントを取ってくる嫌な大人も居るよね、世の中。というのが伊坂さんの本音のようだけど。
 そして再び、今度は安西くんと草壁くんと重なる、倫彦くんと靖くんが出てきます。
 作者あとがきにも書いてあるように、この五編の短編集はちょっとだけパラレルワールドに繋がっているように読めます。伊坂さんは偶然だと書いていますが。このちょっとした繋がりは計算でしょう。
 ぼくとしては、『スロウではない』の高城さんと渋谷さんをイメージさせるクラスの女子も再び出して欲しかったな。まさか謙一くんのお母さんが、大人になった高城さん? 渋谷さん? または佐久間さん? といったことはないでしょうからね (笑)

 この『逆ソクラテス』も小学生、中学生、高校生の子供たちが呼んだら楽しめると思います。大人はちょっと…、井上靖の『あすなろ物語』のような感じを想像して呼んだら、以外と子供向けの話しや教訓が多かったと感想をもつと思うので。

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