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結婚13年-嫌いになる前に-


嫌いになる前に、離婚がしたい。

結婚当初から、実は今でも、私の中にこの持論がある。


当時は喧嘩(という名の怒鳴り合い)をする度離婚を口にしていた私。

若いから、と夫は思っていたそうな。


若いから耐えられない、
若いから口走る、
若いから後先を考えない、
若いから本気じゃない。

そう言われた。

よく聞くワードなんだけどね。

けれど当時の私はそうではなかった。本気だった。


夫を嫌いになるのが死ぬほどいやだったのだ。

嫌いになって別れてしまっては家族としても会えなくなる。


既にいた2人の子ども達にとっても辛いし、2人の親は私たちなのだからイベントがあればこのメンバーで揃いたい。

例え離婚して新しいパートナーが出来ようと夫婦で無くなろうと家族では居たい。


嫌いになってしまえば、叶わない。

修復なんてしなくてもいい。

嫌いになって二度と顔を合わせたくない関係にはなりたくなかった。
孫が産まれた後もと先のことまで考えていた。

若くてもね。

私は極端な性格で、一度嫌いになった人と二度と親しくすることはない。(お互いのためだよね。笑)


恋愛ならなおさら。
だから嫌いになったらバイバイ。

そんなんばかりの10代でした。

そして10代最後の恋愛が夫で。
今のところ人生最後の恋愛も夫で。

とにかく好き!ってわけでもなく。ふふ、好きだなあ。ってかんじだった。

喧嘩もあったけど、割と安定していて。でも、些細な問題で別れ話がよぎったことがあった。やっぱり一緒にいたいって仲直りした瞬間に妊娠がわかって。

別れなくてよかったと安堵し授かった命に二人でとても喜んだ。


初めての育児は未知だらけで
不安ばかりだったけれど
夫はお風呂にも入れてくれるし
夜中の授乳は気づかないから起きてくれないけど
隣にいない私に気が付いた日は、
授乳後の寝落ちしている私に
布団をかけて不細工な寝顔を撮り、
次の日嬉しそうに見せてくれた。

きっと育メンとは呼べない夫だったと思う。
でも、夫との育児は楽しかった。
働いて、帰ってきてくれて
夜泣きに気付かないほど爆睡してる夫に感謝した。

起きて、と思ったこともあったけれど
起きてもらっても夫には泣き止ますことができない。
それなら爆睡してもらった方が
明日の戦力としては助かる。

2人で起きて寝不足になる必要は
無いと思っていた。

煩い、寝られないと言われたことがなかったのが救いだと感じていた。

こんなに泣いてるのに爆睡できるのか。すげえなと思っていた。(疲れてるのねと思っていたけど、よく寝れる人だったんでしょうね)

3時間も続けて寝れない息子の為に、二人なりに精一杯、親に、夫婦になれていると感じていたから。


2人目は計画的に。
性別にこだわった夫は私が買ってきた"2人目の本"を何度も読み、産み分けに成功した。(執念だ。性別が分かった時のドヤ顔は忘れない。)


周りから、子どもを産んだら生理的に旦那が無理になるという話を聞いていたけれど私は1人目を産んでも全く、無問題だった。


だがしかし。
2人目を産んで初めて子どもが同時に寝た奇跡の瞬間。

夫婦水入らずの時間でもあった。
以前ならゆっくり映画でも見ようとか、大切な時間だった。

だがしかし。

近寄る夫を初めて拒否した。

出会って初めてNOを突き付けた。



ほんと寝てないのよ.....

まぁ、それもあるけど、
ホント、なんか無理....ってなっちゃった。

これが...!夫無理期...!!!

あの時のショックな夫の顔が衝撃だった。


私は私で、嫌だった。

夫を嫌になることが嫌だった。

でも嫌なもんは嫌だ。

ご飯を食べている姿も、寝ている顔も、歯を磨く音もドライヤーをする音も煩わしく、帰ってくれば寝たふりをした。

やばい。
やばいぞ。

そう思って自分に暗示をかけた。


どんな時も、好きだと思い込んだ。
かわいい、愛おしい、と思い込んだ。

私はこの人が好きで一緒にいるんだと言い聞かせていた。

好きだと頻繁に口にして、ハグをするようにした。

夫は気恥ずかしそうにしていたが、愛されていると感じてくれてたと思う。

ときにはうんざりもしてたな。

だって夫は悪くない。
出産をして変わってしまったホルモンのせいだから。


夫は何も変わらない。
私はこの人が、好きなのだ。


と、言い聞かせた。


不思議なことに数ヶ月の暗示の効果は抜群だった。


これは夫を馬鹿にしているのではなく自分を見失わない努力をしているのだと信念を持っていた。


ほんと、何やっててもいっぱいいっぱいだった。

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