うらはら
子供の頃は、ルールに従っていた。
誰かが決めた「正しいこと」を守り、「正しくない」ことを淘汰した。
大人になって、空気の読み方を学んだ。
空気にはフリガナがついていない。
なので初学者の私にとって、空気を読むことは困難を極めた。
「こういう時は、こういう振る舞いをしておけば、空気的になんとなく無難」
「あの人がああなっているときは、近寄らない方がなんとなくよさそう」
そんな感じで、空気をなんとなく感じたままに、なんとなく今はこうなのではないか、といった具合に、空気を読もうと努力した。
そうして私は、社会人になった。
赤信号でも短い歩道なら、誰にも迷惑かけないなら渡ってもいい空気。
今日は無礼講だから、上司にもちょっと粗相してもいい空気。
秘密にしてと言われていなくても、秘密にした方がいい空気。
いろんな空気を読めるようになったからか、社会的な地位もぐんぐんと上がっていった。
「ねえ、あの先輩、マジ迷惑だよね」
休憩時間。給湯室に入ろうとすると、部下のひそひそ話が聞こえてきた。
どうやら私に関する愚痴っぽかった。
ちゃんと空気を読んできたはずなのに、嫌われてしまっていたという事実に、胸を槍で貫かれるような痛みを感じた。
あの子も、あの子も。
私の前ではとてもやさしい笑顔でいてくれたのに。
部下たちの笑顔が脳裏に浮かんで、気づいた。
ああ、彼女らは、上司の前という空気を読んで、あのような表情を浮かべていたのだと。
そこに本音は無く、ただうわべだけのものであったのだと。
空気を読むという行為は、時にひどく残酷なものなのだ。
空気はあくまでも空気に過ぎない。
空気に答えはない。いや、わざと誰も、答えを用意していない。
フリガナを付けてしまえば、その利便性を失ってしまうから。
「いや、そんなこと一言も言ってない」
って、いざとなったら言えるように。
察しなさい、感じなさい。
だけど、明確な言葉におこすことはやめなさい。
それはひどく理不尽な理論で、なおかつ、世の中の真理のようだった。
きっと、子供の頃の私が今の私を見たら即答する。
「あなたは正しくない」
分かってる。でも、どうか黙っててほしい。
あなたに何が分かるというのか。
小さな私に、反論しながらも。
私は今日も、空気を読み続ける。
解き放とうにも流れてくれやしない、涙を心に溜めながら。
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