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ホモ・ゼウス

 人類は新たなステージを迎えた。彼らの想像力は、ついに内的なエネルギーを、目に見える形に現すことが可能になった。平たく言うと、想像しうることを現実化できるようになった。

 例えば、建築物。考えた造形を、技術を用いて形にする。例えば、絵画。想像しうる芸術を、キャンパスに描き表す。例えば、映画。技巧を凝らした物語を、ドラマチックに演出する。

 「なんだ、そんなことなら今までと同じじゃないか」と拍子抜けされただろうか?確かに、先に挙げた話だけを聞けば、旧人類が可能としてきたことと何ら変わりはない。生物史上は神がかっていると思われるであろう、旧人類の創造性も、旧人類にとっては至極当然のごとく感じられてきただろう。

 だが、旧人類に無くて、新人類に備わったものが、ひとつだけある。そのひとつだけが、旧人類と新人類を大きく分かつ要素である。そしてその要素とはなんだろう?説明するのもなんだから、この時代のとある少年の中に入りこみ、体感してもらうとしよう。


 俺は竜司。青春を謳歌する、花の高校2年生だ。俺がどんな人間かって?ああ、そうだな。特段、自慢できるものなんて無い。ひとつだけ特徴を挙げるとするならば、他のやつらとは段違いに女子からモテるってくらいのことだろう。

 「竜司君!」
 おっと、そうこうしているうちに、廊下の向こう側から、俺のかわいいガールフレンドが駆け寄ってきた。
 「花澤。今日も可愛いじゃねえか」
 「竜司君こそ今日もかっこいいよ」
 聞いていておサムいとか思うなよ。互いを肯定し合える人間関係ってのは、簡単には得難い財産なんだぜ。

 「ねえねえ、今度新しくできたカフェに行かない?」
 コツコツと二人で廊下を歩きながら、休日の予定を話し合う。
 「おお、いいじゃねえか。俺もそのカフェが気になってたところだ」
 「やった。じゃあ、駅前の時計台に、9時に待ち合わせね」
 「了解。カフェの後はどこ行く?」
 「そうだな。映画とかどう?最近、あのホラー映画が気になってるんだよねぇ」
 ホラー映画のワンシーン。花澤が恐がって、俺の腕に抱きついてくる。抱き着いてくる彼女の、豊満な胸の感触。うむ、悪くないだろう。
 「仕方ねえ。映画館に行ってやろう」
 俺の言葉に花澤の両眉が上がる。
 「やったあ。そしたら映画館の後はー」

 花澤の話を遮るように、廊下の角から足音が聞こえてきた。まずい、元カレの頼子だ。
 「あら、お二人さん。仲がよろしくってね」
 頼子が皮肉たっぷりに言い放つ。
 「ええ、私と竜司、とっても仲が良いの。あなたの時とは違って、竜司は私にぞっこんなんだから」
 花澤が挑発的に言葉を返す。言うまでもなく、頼子は眉をひそめた。場の空気が一瞬にして凍りつく。頼子の視線が、花澤の目線と衝突する。バチ、バチと火花が散る。やべえ、始まっちまう。
 「抜け、小娘」
 頼子の言葉を皮切りに、俺たち3人の周囲の空気が変わった。ちなみにこれは、殺気立った空気になったことの例えとしての「空気が変わった」ではない。空気という言葉ではぬるい。もはや空間という言葉の方が似つかわしいであろう。辺りは殺風景な景色へと変わり、花澤と頼子はいつの間にやら侍のような袴衣装になっている。その腰には、刀。嫉妬という名の、刃。無論、真剣である。
 「望むところよ。竜司、こんな過去の女、存在もろともこの世から消し去ってやるわ」
 風が吹いた刹那。二人の鞘から刀が鋭く抜かれた。キィンと甲高い音が響く。

 この時代、新人類である俺たちに与えられた、神のごとき力。それは、内的なエネルギーを物質の等価交換なしに具現化できる能力、【ゼウス】である。

 この力によって、修羅場は文字通りの修羅場に、論理武装は文字通り武装に、感情は感情の枠を超えて、その強さに比例して武器として顕現した。フィクションの最後に、「この物語はフィクションです」というテロップが付くこともなくなった。誰かが考えた物語を、実際に現実として体験できるようになったからだ。

 だからもう、恋愛も仕事もフィクションも何もかも、混とんとしていて、無茶苦茶な世界になってしまった。なんでも実現できてしまう世界は、平和な無法地帯と化した。

 「まったく、どうしようもないぜ」
 俺には彼女たちの修羅場を眺め続けるしかなかった。


 以上が新人類の現状だ。お分かりいただけただろうか。1937年にナポレオン・ヒルが著書の表題として用いた「思考は現実化する」という現象が、まさに現実となってしまったのだ。なにもかもが実現してしまうというのも、大変なことなのだ。力というのは、力の使い道を知っている者にこそ、価値のあるモノなのである。

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