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前日

 左胸の奥から、まるで壊れたドラムみたいな爆音が鳴り続けている。自分でもわかってる。緊張しすぎなことくらい。でも、それでも抑えられないんだ。

 明日は、待ちに待った日。恋に億劫な女の子でも、世間の空気という偉大な追い風を得て、意中の相手に想いを伝える大チャンス!の日である。

 元々の由来がどう、とかはどうだっていい。企業の戦略で生まれたのが日本のバレンタインだとか、そんなのは周知の事実。それでもいい。この浮ついた空気感こそ、醍醐味なのだから。

 今日は朝から、学校中の女子がそわそわしている。誰に渡すの?とか、アイツには義理。だとか、本当に大事な人には渡さない!のだとか。大事な日は明日だってのにさ、学生の本分をほったらかして、呑気なもんだよね。

 「ねえ!優は誰に渡すわけ?」

 隣からポニーテールの女子が顔を近づけてくる。クラスメイトの園子だ。こいつ、分かってるくせに...。

 「別に、誰だっていいでしょ。ってか、分かってるくせしてからかってくんなし」

 「ふう!優ったら、やっぱちゃんと用意してるんだね。青春、青春!」

 「はあ、うるせえ。だってさ、こんな機会でもなきゃさあ、告白なんてできないでしょ」

 おちょくってくる園子に、口をとんがらせながら言う。ああ、そうそう。私もさっき言った、呑気な人たちの一員なんだわ。そういう訳で、私は明日、告白する。

 「まーったく。優は奥手だもんなあ。あれだけ仲良くなっといて、いつまでたっても告白しないんだもん。あっ、噂をすればなんとやら。来たよ、君の白馬の王子様が」

 そう言って園子は、教室の入り口を指さした。あ、入ってきた。アイツ。

 「裕也、お前、バレンタインに告白されたらどうする?」

 アイツ、こと、裕也にタイムリーなネタを放り投げたのは、裕也の友人の雄二。はあ。こっちの気も知らないで、でかい声で話しやがって。デリカシーの無い奴だ...。ただ、裕也が告白されたらどうするかは、気になる。思わず彼らの会話に聞き耳を立ててしまう。

 「そうだな、交際は断ると思う」

 え、今なんて?

 「えー、なんでだよ。バレンタインチョコもらって、告白されて、なんて、絵にかいたような恋の始まりじゃねーか」

 雄二の言葉に、やれやれ、といった様子の裕也。

 「分かってないな。世間の追い風に身を任せないと伝えられないような気持が、本当に強い気持ちだと思うか?」

 裕也の言葉が、胸に刺さる。いや、そんなふうに言わなくてもいいじゃないか...?恥じらいを隠しつつ女の子から渡されるチョコレートと恋心、お前にはその良さが分からないのか...?

 「ああ、それ言ったら一理あるわ。確かに、ブレーキかけてタイミング見計らうような気持じゃあ、ほんとの恋心とは言わねえよなあ」

 雄二が追い風のごとく、裕也に便乗する。お前、フォローくらいしてくれよ...。お前が話してるそいつに、明日まさにチョコ渡して告白しようとしているヤツがいるよ、ここに!ってか、そういえば私の気持ち、お前は知ってるよな?この間恋バナしたときに、ついしゃべっちまったの、お前聞いてたよな!?

 「分かってくれるか、雄二よ。まあ、チョコがもらえるなんて夢にも思ってないけどな。ん?」

 彼らの話が止まった。なにか不審に思ったらしい。なにが起こったかは知らない。私は撃沈されたような気分になって、机に突っ伏せていたのだから。

 「おい、なに突っ伏せてんだ」

 どうやら裕也が話しかけてきているようだ。突っ伏せているにも関わらず、何の気も遣わずに話しかけてこられる程度には、私たちは仲が良い。良い、はずだ。

 「優はなんだかおねむなんだって。寝かしときなよ」

 園子がくすくすと笑いながら、いたずらな声で言う。

 「ほお。いつも元気なのに、珍しいな」

 裕也が言う。お前らに元気が奪われたのだ。

 「ところでお前らさ、チョコレート渡す予定とかあるの?」

 雄二の発言に思わずビクッと体が震えてしまった。ほんとに空気が読めないヤツだ。

 「いやあ、私は無いけど、優はどうなんだろうね?」

 園子、突っ伏せて聞いていれば、お前まで...。ここは何の気なしにやり過ごしてくれよ...。

 「ほお、優もついに、そういう時期になったのか」

 「お前がお父さんみたいに言うな!」

 あっ、いけね。裕也の言葉に過剰反応して、顔を上げてツッコミを入れてしまった。

 「おー、なんだ。起きてるじゃないか」

 「お前のせいで起きたよ!ってか、裕也。お前、放課後、ツラ貸せやっ」

 「へ?なんだよ、バレンタインデーは明日だぞ?」

 裕也の言葉に、思わず顔が赤くなりそうになる。なんだよ、分かってて言ってるのかよ...。

 「優、どうした?」

 「そう、それは明日だから!いいから、今日の放課後!ちょっと付き合え!」

 自分でもほぼ、勢い任せだった。


 放課後に至るまで、授業もうわのそらで聞きながら、裕也の言葉を脳内で反芻させた。

 「世間の追い風に身を任せないと伝えられないような気持が、本当に強い気持ちだと思うか?」

 冗談だったかもしれない。適当なノリというやつだったかもしれない。だけど、アイツが言ったことなら、たとえ冗談だったとしても、重く受け止めてしまう。私の悪い癖だ。

 迎えた放課後。私の家は反対方向だが、裕也と同じ下校道を歩く。

 「おい、どこまで一緒に行くんだよ。お前、家は反対だろ?」

 裕也が言う。はあ、仕方ない。言うしかないか。

 「ふん、じゃあ、ここで」

 私は自分の気持ちが整うのを待たずして、裕也に正対する。

 「あ、あのさ...」

 だめだ、モジモジしてしまう。

 「なんだよ、今から告白するかのような雰囲気を醸し出して」

 「言うな!それ以上しゃべるな!」

 それ以上の言葉が出なかった。

 「なんだよ、違うのかよ」

 「い、いや、ちがわ...」

 こんな伝え方でいいのか?迷った。長い間。その間、心臓が数百回くらい脈打ったと思う。だけどもう、言うしかなかった。

 「明日...」

 「え?」

 「明日、チョコ渡すから!」

 迷った挙句、考え付いたのがこれだ。告白することを、告白する。こうしておけば、私の気持ちは世間の追い風を受けずとも伝えられる、強い気持ちであることの証明になるとともに、伝えたい想いを理想的な形で伝えられる。そう思ったのだ。

 「く...くく...」

 裕也は笑いをこらえるのに必死な様子だ。なにがおかしいってんだ。

 「じゃあ、俺は今日、ここで、かな」

 そう言うと、カバンの中からおもむろに、奇麗な包装が施された箱を取り出した。

 「早めの、お返しだ」

 そう言ってその箱を突き付けてきた。

 「ほら、帰るぞ。送ってってやる」

 裕也はそう言って、優しく私の手を掴み、これまでとは反対の方向へと歩き出したのだった。

 「でもって先に返事しといてやる。もらう前だがな」

 「え?」

 「こちらこそよろしくお願いします」

 歩きながら放たれた裕也の言葉に、一瞬意味が分からず、きょとんとしてしまった。

 なんだか出し抜かれた気分になりながら、夕日に頬を焼かれながら帰った。

 

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