【短編小説】屋上の彼女、飛び降りる理由。
「こっちに来ないで!」
柵の向こうから大声を出すのは、一人の少女。
彼女の名は河野亜衣奈(かわの・あいな)。
僕、二ノ宮夢(にのみや・ゆめ)のクラスメイトである。
HR後、彼女の様子に違和感を覚えて後をつけたところ……
屋上から飛び降りようとしている彼女を見つけてしまった。
「待ってくれ。話だけでも聞かせてくれないか?」
無理な説得は選択肢から除外。
まずは彼女の話を聞いてみよう。
「……笑わない?」
「もちろん。絶対に笑わないよ」
僕が固く誓うと、河野さんは風に消え入りそうな声でつぶやいた。
「……手に入らなかったの」
「え?」
「推しのVtuber、夢乃宮ニノの限定グッズが手に入らなかったの!!」
(そんなことかよ!!)
笑わないと誓った僕だったが、内心あきれてしまった。
夢乃宮ニノとは、今をときめくスーパーVtuber。
配信の度にスパチャの嵐。
コラボのたびに跳ぶようにグッズが売れるという話題の人物である。
(彼女がファンだったことは知っていたが……)
それが原因でこんなことになってしまうとは。
さておき、なんとか説得を試みよう。
「グッズなら今後もこれからも出てくるだろ? またチャンスが巡ってくるはずさ」
「そうかもしれないけれど……」
河野さんは残念そうな顔を浮かべている。
もしかすると、推しへの愛が示せないことがショックなのかもしれない。
「大丈夫。君がそこまで思ってくれているということは、きっと夢乃宮ニノにも届くさ」
「二ノ宮くん……」
河野さんは少し表情をやわらげた。と、思いきや。
「なんでそんな分かったようなことが言えるの?」
一転してするどい視線を向けてきた。
「根拠は? 彼がそんなこと言ってた??」
河野さんは責めるようにして僕に問う。
(ええと、ええと……)
僕は必死で言い訳を考え、なんとか思いついた!
「グッズを買ってくれなくっても、応援してくれるだけで頑張れる! ……って夢乃宮ニノが言ってたから」
しかし思いついたのは、ありふれたリップサービスのようなセリフ。
「彼、そんなこと言ってったけ?」
「い、言ってたよ! メンバー限定配信(メン限)で言ってた」
実際にそんなこと言ったかどうかなんて、記憶が定かではないが……
今はなんとかこの場をしのがせてくれ。
「え、うそ」
やっぱり駄目か……
「あなたもニノのファンだったの!?」
「え?」
どうやら河野さんは、メンバー限定配信という言葉で、僕が夢乃宮ニノのファンであると勘違いしたらしい。
「ああ、まあ、そんなとこ」
僕は罪悪感を覚えつつ、勘違いに乗っかる。
「へー、なんか嬉しい!」
河野さんは笑顔になり、僕と彼女との間の空気が和んだように感じた。
「でもね……本当のことを言うと、話はそう単純でもないの」
安心しかけていた僕の耳に、不穏な言葉が届く。
「実は私いじめられていて。グループの子たちから、「アンタがニノを推すとニノが汚れる」なんて言われちゃって……」
知らなかったし、聞きたくもない事実だった。
「私はそれで、その通りかもって思っちゃった。だけど私、ニノが活動を始めた時から大ファンで、今さら推し活をやめることもできなくって……だったらいっそのこと、死んじゃおうって思ったの」
河野さんはそう言って空を見上げた。
立ち位置は変わらず、柵の向こう。
「生きてるだけで大好きな人が汚されるだなんて耐えられないもの」
「……」
こんな時、なんていってあげればいいのだろう。
……なんて悩んでいる場合ではない。
「河野さん。僕からも本当のことを話していいかい?」
「うん」
「僕は、君が好きなんだ」
「……え?」
河野さんの目が僕をとらえ、大きく開く。
「君はもう覚えていないかもしれないけれど……僕の声を『素敵だ』って言ってくれたことがあってね。この声がコンプレックスだった僕は、「世の中にはそう言ってくれる人もいる」って感動したんだ」
だからこうして、今の自分がある。
「今の僕は君なしでは存在しえない。君が死ぬというのなら、僕も一緒に死ぬ」
大げさに聞こえるかもしれないが、今までずっと募らせてきた想いだった。
状況が状況なだけに、ここで伝えないわけにはいかなかった。
「……ありがとう」
河野さんは僕の告白に、うれし涙をながした。
「最期にそんな言葉が聞けて良かった……でも、ばいばい」
彼女はそう言って背中から落下していく。
「河野さん!!」
僕は猛ダッシュし、一緒になって飛び降りた。
愕然として目を見開く彼女。
空中で彼女の手をつかむ。
そのまま僕らの身体は急降下していき……
ぼふっ! と柔らかい感触に体中が包まれた。
僕らの身体を受け止めたのは、前もって手配しておいたエアクッションだ。
そしてこれを手配したのは……他ならぬ僕。
「……?」
わけもわからず、キョトンとした表情を浮かべる河野さん。
そんな彼女の耳元で僕はささやく。
「言ったはずだ。君が死ぬというのなら僕も死ぬと。でも、それは今じゃない」
「え……? この声は……ニノ!?」
「そう。君の推しのVtuber夢乃宮ニノだ」
正体をばらすつもりは無かったが、この際やむをえない。
「なんで黙ってたの!?」
「それは……ありのままの僕を見て欲しかったから」
それに、好きな相手に『実はあなたの推しは僕です』と伝えるのは、なんとなくズルな気がしたのだ。
「なにそれ……ウソみたい……っていうか、私実は死んでて、ここは天国ってオチだったりする?」
「違うよ。ほら」
僕は河野さんの頬に優しく触れた。
見る見るうちに、彼女の頬が紅潮していく。
「わ、わわわわわわわかったから!」
「ふふ。ごめんね」
「うん……許す。でも、」
河野さんは冷静さを取り戻したのか、神妙な面持ちになった。
「私、よくよく考えたらとんでもないことしてた。私が自殺なんてしたら、それこそニノに……あなたに迷惑がかかるかもしれないのに」
まったくもってその通り。
彼女の動機はつまるところ、僕が原因の一端でもある。
となると、めぐり巡って炎上案件になる可能性すら出てくる。だが……
「そんなこと、どうだっていいよ」
本当に重要なこと、それは。
「君がいなくなったら、僕は本当につらい。Vtuberの活動がどうとか、そういうレベルじゃないよ……」
今の自分になれたきっかけをくれた人。
いつも楽しげに好きなものについて語る大好きな人。
そんな人が自ら命を絶つなんて……想像するだけで立っていられなくなる。
「だから、二度とこんなことはしないでね?」
「……うん、分かった」
話もひと段落したところで立ち上がろうとすると、服の裾をつかまれた。
「ご、ごめんなさい。腰が抜けちゃったみたい……」
「仕方ないなあ」
僕はひょいっと彼女の身体をお姫様抱っこした。
「えっ!? ちょっと、このまま歩くの!?」
「ひどいことをしようとした罰だよ」
「……っ」
僕は赤面待ったなしの彼女を抱え、そのまま荷物を取りに教室へ戻るのだった。
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