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風邪

 何事も自分の手で作ることにこだわる男が、風邪を引いた。ごほごほという咳が、何日も続いた。彼は病院や市販の薬に頼ることを好まなかった。だから、自分の手で風邪に効く食事を作ろうと考えた。

 男は、風邪の治療に効果のある食べ物の調査から始めた。念入りな下調べの結果、ふさわしいのが、はちみつ、生姜、蕎麦の3種類の食物だった。どれもコンビニやスーパーで手に入る。しかし、彼は手作りにこだわる男。近場で食材をそろえるような、安直な考えには走らない。

 男は、先の3つの食材を、手作りにこだわって手に入れることにしたのだ。かくして彼の挑戦は始まった。

 まずははちみつ。男は手に入れた知識をもとに、ミツバチの養蜂から始めることにした。ミツバチの生息条件に沿った、自然豊かな地域に一軒家を建て、手作りで巣箱を作り、庭に置いた。箱の中には、ミツバチをおびき寄せる誘引剤が仕掛けてある。一定の期間ののち、愛らしい蜂の群れが住み始めた。

 次に生姜。栄養豊富な土を作ることから始め、生姜の栽培に適した気温になる季節を待つ。もとになる種は選りすぐりのものであり、収穫時期には味わい深い生姜になることが予想された。土の温度が15度ほどになったところで、植え付けをする。後は根気よく世話をし、育てるのみだ。

 最後に蕎麦。日当たりと水はけのよい場所を選び、植え付けをする。害虫が発生したら、自分の手で駆除を行う。虫よけの薬を使う手もあったが、手作りにこだわる男に、そんな発想が思い浮かぶはずも無かった。

 そうして3つの作物を手に入れるための下準備が整った。男は収穫の時期に向けて、毎日せっせと作業に取り組んだ。ときに害虫と格闘し、ハチと格闘し、天気と格闘し、さまざまな困難を乗り越えていった。

 迎えた収穫の時、男は待望の作物を手に入れ、食した。しかし、納得のいかない様子。あまり美味しいと思えなかったのだ。かくして彼は、美味しい作物にするために、さらに挑戦を重ねることにする。

 それから幾数年が経過した。男は試行錯誤を経て、自分が満足するだけでなく、あらゆる人に美味しいと思わせられるような、美味しい作物を作ることに成功した。

 その美味しさは口コミで広がり、農家として販売を始めたのみならず、その人気から、ついには通販による全国展開にまで至った。

 ある日、成功談の取材のために、ひとりの記者が男のもとを訪れた。
 「こういった作物を作ろうと思ったきっかけは何だったのですか?」
 記者の問いに、男は考え込んでしまった。なぜこんなことをし始めたのか、すっかり忘れてしまっていたのである。しばらくののち、男は口を開いた。
 「きっかけについては、あんまり覚えていません。ただ、自分の性分にこだわりぬいてきた結果、今があると思っています」

 今日も男の作ったはちみつや生姜、蕎麦が全国の食卓に並ぶ。なんでも、風邪によく効くと評判なんだとか。

 

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