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声1

俺には3つ年上の兄者がいる。

でもって俺は、小学校3年生。

つまり兄者は小学校6年生ということになる。

兄者はよく、父ちゃんや母ちゃんの手伝いをする。

食後の皿洗いは、兄者の得意技だ。

「いつもありがとうねえ」

兄者が皿を洗うと、母ちゃんが褒める。

「さすが、俺の子だ」

そして父ちゃんが褒める。

そんな日常の繰り返しだ。

でも、俺は知っている。

兄者は「相当のワル」だってことを。


実は俺には、特殊能力がある。

それは、あらゆるものの声が聞こえるということだ。

あらゆるものってのは、文字通り、あらゆるものだ。

この世にあるモノ、全部の声が聞こえる。

えんぴつも、消しゴムも、本も。

空気も、地面も、石っころも。

小さいものから、大きなものまで。

全部、全部が声を放っている。

だから、生まれてこの方、俺の耳に静寂が訪れたことはない。

静けさが欲しくなって、耳栓をしてみたことがある。

耳栓の声が、頭に強く響いてきて大変だった。

家族で天体観測に出かけたことがある。

星たちの話し声が、おしゃべりおばちゃんたちの声で、興醒めしたっけ。

自分の影の声、なんてものを聞いたこともある。

普段聞いている自分の声とずいぶん違って、へんてこな気分になったものだ。

そんな能力があるもんだから、自分で言うのも気が引けるが、並の人間より真実を見抜ける。

真実の声を聞き分けられる、の方が正しいか。


それで、どう兄者がワルなのか、ってのが気になってるだろ?

兄者はな。やってることと、考えてることが違う。

どう違うかって言うと、例えばだな。

母ちゃんが皿を洗うとき、

「家族のために、今日も役に立ってくれたわね」

そういうふうに、お皿にねぎらいの言葉を込めている。

もちろん、声に出しちゃあいない。

母ちゃんの心の声が、そう言ってる。

母ちゃんにねぎらわれた皿たちは、それはそれは嬉しそうに

「こちらこそ、優しく洗ってくれてありがとう」

などと言っている。

だけど、兄者は違う。

皿を洗っているときの、兄者の心はこうだ。

「上がれ、俺の株価よ」

そう。兄者は、親の評価を気にしている。

株が上がれば、小遣いが上がるのだ。

そんな気持ちで洗われる皿たちの声は、こう。

「下がれ、こいつの評価よ」

やましい心に、皿たちは厳しい。

この間なんか、

「こいつの手から滑り落ちて、割れてしまおうか」

などと言って、兄者の評価を下げようとすらしていた。

恐れ入ったものだ。

それでも兄者は褒められる。

「いつもありがとう」

という、母ちゃんの心からの声。

「母さんのためなら何でもできるよ」

という、兄者の薄っぺらい声。

実際には、

「お礼を言うなら小遣いをおくれ」

という心の声が聞こえてきてやまない。

兄者がそんな調子なのは、皿洗いに限った話ではない。

体育では格好つける。女子の目線が気になるから。

誰に対しても八方美人。傷つくのが恐くてびくびくしている。

簡単に言ってしまえば、兄者は嘘つきだ。

印象よく振舞おうとしすぎる。

中身では全然違うことを思っているのに。


そんな兄者の心の声が、ちかごろ、おかしい。

ちょうど、桜の花びらたちが、わきゃわきゃと騒がしく舞い踊っているのと同じように。

俺は進級して4年生になろうとしている。

兄者はついに、中学生になる様子だ。

だから、なのか。

「俺は本当は、こんなのじゃない」

心の中でぶつくさ言いながら、渋々といった感じで勉強をしている。

どうやら苛立っているみたいだ。

ノートの紙は、くたびれた様子で「筆圧が心地よいのお」と気持ちよさげだったが。

なんでも、テストの点数が良くなかったのだとか。

父ちゃんも母ちゃんも、「気にするな」と兄者を咎めなかった。

なのに、なぜか。兄者は心中、穏やかでない。

「なんでアイツにあんなこと言われなきゃならないんだ」

兄者の心の声を聞くと、気になる女子がなんたら、とか聞こえてきた。

ははあ、テストで点が低かったのを、バカにされたようだ。

バカにしてきた相手が、「惚」の字の女の子だったのだから、よけい腹が立ったのだろう。

どうりでこんちくしょう、とばかりに勉強しているわけだ。

ただ、兄者の心の声のおかしさは、こんなものじゃない。

もっと不思議なことがある。

(つづく)




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