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遺言

 葬儀には、多くの人が集まった。その数3000人は下らないと見える。この人たちの中に、どれほど彼に騙された人がいるのだろう。現在進行形で騙され続けている人すらいるかもしれない。彼の葬儀が終わった、今となってもなお。いや、果たしてこの状況、騙されていない者などいるのだろうか?騙されていないと自信を持って言い切れるのは、自分だけであると信じたい。
 この度の葬儀は、聡明な詐欺師の葬儀であった。聡明な詐欺師であった彼は、天国へと旅立ったのである。彼は私の無二の親友であった。あなたは先ほど「多くの人が集まった」という一文を読まれたことと思う。何が言いたいかお察しいただけるだろうか?私は今、彼がいかに有能な詐欺師であったかについて語ろうとしている。葬儀に集まる人の数、それすなわち、生前の故人の人望の厚さであると言われているが、詐欺師の葬儀に、果たして3000を超すほどの人々が集まると思うだろうか?普通に考えてありえないはずだ。なぜなら故人はれっきとした犯罪者なのだから。それなのに、なぜそれだけの人数が集まると?ーそう、彼が詐欺師であることに、葬儀に来た誰しもが気づかなかったからだ。「彼に出会ってから彼の葬儀が終わるまで」、誰も彼の正体を知ることはなかった。通夜から葬儀終了まで、訪れる人、訪れる人、誰もが彼の旅立ちを悼んだ。それも、皆、親愛なる友人が死んだと言わんばかりの顔をして。線香を供えに来る人々の表情、それだけを見ても、彼がどれだけ秀でた詐欺師であったのか、証明するのには十分すぎる材料であった。
 葬儀が終わり、去り行く人々を見送りながら、私は彼の遺言を思い出していた。「死んだことにしてくれ」。彼が去り際に遺した言葉であった。彼は、詐欺師から足を洗い、天国へと旅立った。だが、命尽きてはいない。ここで言う天国とは、その言葉が一般的に意味している「死後の国」とは違う。もっとも、イメージ的には正しい。いつだって美味しい食べ物が食べられるだろうし、時間のしばりも無い。年がら年中温暖な気候の中で過ごせるし、やりたいことを、やりたいときに、やりたいようにやれる。彼は天国のような国、常夏の楽園へと旅立ったのだ。彼曰く、「嘘をついて生き続けるのに疲れた」とのことだった。それでも警察に出頭して、これまでの罪を自白するつもりは、彼には微塵も無かった。「これまで嘘をついていたことを認めると、それこそ本物の詐欺師になってしまう。これまでついた嘘を真実であると信じ切れれば、それはもはや嘘ではない。ゆえに私は詐欺師ではない。だから出頭する必要は無い」。実に彼らしい理屈だった。私はそんな、妙な理屈をこねまわす彼を、気に入ってしまっていた。
 ちなみに私が彼のことを詐欺師と知ったのは、彼と飲みに行った時のことが原因だ。私たち二人は、べろべろに酔っぱらってしまっていた。あれは三軒もハシゴした夜のこと。ひどく酔っぱらった彼は、珍しくボロを見せた。「僕はこういうものです」いつもと違う声色で、いつもと違う口調で、彼は僕に、2度目の自己紹介をしてきた。その時に渡してきた名刺が、最初に名刺交換をしたときの名刺とは違うものだった。他人の名刺を間違えて渡したのかとも思ったが、その名刺に書いてある通りの名前を名乗ったし、自分の職業についても、詰まることなく滑らかに説明できた。それだけで彼のことを詐欺師だと決めつけることができたのは、私の職業が探偵で、ひとつめに詐欺師についての知識があったことと、ふたつめにはその頃に得体の知れない詐欺が頻発しているという情報を耳に入れていたこととが理由であった。それでも彼を警察に突き出すことはできなかった。彼の犯罪を証明することは、不可能だったからだ。彼は証拠を残さない。いかに探偵の目では彼が詐欺師だと分かっていても、それを証明するだけの材料を彼は残さない。
 だから楽しい方を選んだ。彼と友だちになる道だ。ふたりで組んで、お金を荒稼ぎするようなこともした。最もハマったのは、彼の詐欺の被害者を私の顧客にし、彼ではない他の人間を犯人に仕立て上げ、いかにも解決させたかのように思わせ、仕事料を貰うといった手法だった。今思い出しても心躍るほどの大金を稼いだ。今となっては彼の葬儀代に消えてしまった大金だ。もうご存じの通り、葬儀すら大掛かりな詐欺に過ぎなかったのだが。彼の死を演出するのに、どれほどの費用がかかったかは、ここでは割愛する。割愛させていただきたいほどの、莫大な費用であった。
 葬儀後の斎場で彼との思い出を回想していると、ひとりの女の姿が目に入った。彼女は、彼が騙した人間の一人だったはず。それと同時に、唯一真実の愛情をささげた相手でもあった気がする。きっと騙されたことにも気づかず、旅立った彼のことを惜しんでいるのだろう。その目は泣き疲れた後のようで、うつむきながらぼそぼそと何かささやいている。気づかれないように少しずつ近づいて、なにをささやいているのか、聞き耳を立てる。その声が聞き取れた瞬間、私は彼女に気づかれぬように、なおかつ速やかに、その場を後にした。
 「私だ。彼女に気を付けろ」葬儀場からいくらか離れた人気のない場所で、彼に電話を入れた。まさか彼が詐欺師であることに気づいている人間がいたとは。彼女がささやいていたのは「忌まわしきペテン野郎を地獄の果てまで追いかけまわしてやる」という言葉だった。あの様子だと、彼が生きていることにも気づいているようだ。「あの女は君の正体に気づいている様子だ」それだけ伝えて電話を切った。背後に人の気配を感じたからだ。次の瞬間、うなじにひんやりとした感覚を覚えた。見なくても分かる。感覚の正体は、銃口であった。「彼のいる天国とやらまで案内してくださる?」と彼女は冷ややかな言葉を突き付ける。やれやれ、どうやらお楽しみはまだ終わらないみたいだ。

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