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夕飯

 「ペンネーム、「最後の晩」さんからのご質問です」

 夕方。キッチンに響くラジオパーソナリティーの声が、軽妙に鼓膜を揺らしてくる。

 「人生最後の食事に、なにを食べたらいいと思いますか?」

 そうだな。私だったら、今まで食べずに残してきたブロッコリーに反省の意を表すために、生で10個くらいは食べてやろうと思う。そうしたら天国にでも連れて行ってくれるだろう、と、期待している。

 ため息をつきながら、夕飯の支度にとりかかる。仕事を終えたというのに、家に帰ってまた仕事とは、地獄のような日々だった。給料が出ない分、こっちの仕事の方がタチが悪い。

 窓越しの太陽が、やる気なく西陽を浴びせてくる。きっと彼も疲れたのだろう。はやく地平線に沈ませてあげたい。ただ、この暑い季節は彼の長時間労働を強制する。
 そういえば、彼は私の知らないところで夜も働いているらしいね。本当によく耐えられるわ。私たちには眠れる「夜」があるけれど、日替わりで世界を照らし続ける彼には、「昼」しかない。「働き方改革」を叫ばれる今日においても、彼の働き方が改革された様子は無い。

 しかし、それを言ったら私も似たようなものだ。家族の知らないところで、日中は職場で働いているし、職場の人の知らないところで、朝・夜、家で働いている。
 それなのに、家族からは「主婦って社会で優遇されていいよね」と言われ、職場では「家事があるからって早く帰れるなんてずるいよな」とこそこそ言われている。
 そんなことを言ったって、いつでも愛想を振舞わなくっちゃいけない。雨の日が憎たらしいのと同じ。いつも機嫌のよい人が弱音を吐くと、一瞬で世間の視線は冷たいものに様変わりする。いい天気とは、理想的とは、つまるところ、「あたりまえ」のことを言うのだ。人々の理想は、決して妥協を許してはくれないのだ。

 ざり、ざり。包丁で野菜を切る音が、侘しげに響く。玉ねぎを切っているわけではないのだけれど、なぜだか塩辛い味がして、鼻の奥につんと来た。

 「今まで本当によく頑張ったよね」

 耳に入ってきたのは、思わずくちびるからこぼれ出た、私自身の声だった。ぐす、ぐす。胸が締め付けられるような感覚が強まり、ひくひくと声が漏れ出てしまう。

 ああ、気づけば窓越しの空が暗い。太陽が沈んでいく。孤独なクッキングに付き合ってくれていた、やる気のない、ぬるい西陽が、線香花火のように消えて逝ってしまう。

 その花火の残り火が夕焼け空にぽつぽつと光りだしたかと思えば、玄関から「ただいま」と声が聞こえてきた。

 私は「お帰りなさい」と返答しながら、まな板の上の野菜を切り続けている。

 あとどれだけ切ることになるだろうか。机の上に目をやると、袋いっぱいに詰め込んだブロッコリーがあった。

 「それではよい終末を」

 耳に入ってきたラジオパーソナリティーの声が、優しく最後の言葉を述べてくれた。

 


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