見出し画像

いいよ、いいよ。

 どんな仕事でも引き受ける、それが彼の身上だ。
 モノを頼まれると断れない性格。人がいい。優しい人。周囲からの印象はそんなものだろうと彼は考えていた。しかし彼からすれば、それらがとりえだった。
 周囲の人間は、彼をいいように使った。早く帰りたい日には、彼に仕事を押し付ける。遠い自販機までジュースを買ってきてもらう。周囲からすれば、ただの便利屋だ。いいよいいよと、見境なしになんでも引き受ける。
 彼は内心、そんな自分が好きだった。誰かの役に立っていると思える自分が好きだった。だから自己犠牲をしてでも仕事をこなした。みんな、俺がいないとやってけないんだろうな、なんて思っていた。事実、その通りになった。彼を便利屋扱いしていた周りの人間は、そのうち、彼に頼るしかなくなっていった。彼にしかできない仕事が増えていったのだ。
 そんなものだから、当然のごとく、彼は昇進していった。プライドばっかり大きかった周囲の者たちは、彼の昇進を手放しで喜ぶことはできなかった。それでもなお、彼に仕事を任せるしかなかった。彼から仕事を教わる、だなんてプライドが傷つくようなことはしたくなかったので、仕事ができるようにはならなかった。
 昇進してもなお、彼は進んで仕事を引き受けた。部下の仕事まで引き受けた。部下はどんどん仕事をさばいてくれる彼に、思う存分に甘えた。いくら仕事が多くても彼がさばいてくれる。そんな安心感は、部下たちの成長を阻害した。
 やがて彼は社長になった。彼にできない仕事は無かった。経理、営業、企画、製造、なにからなにまでひとりでこなすことができた。常人離れした段取りの良さ、頭の回転の速さが、誰よりも仕事をこなすことで培われたのだ。会社には「社長に任せておけば大丈夫」という空気が蔓延した。かつて彼をこき使っていた者も、開き直って社長にすべてを任せた。
 そんな彼が、この世を去った。突然の心臓発作だった。残された部下たちは、大いに困った。彼を悼むより先に、自分たちのこれからを危惧した。仕事のできない人間で構成された会社は間もなく倒産した。「あいつがなんでもひとりでやるから」「そうだ、あいつのせいで俺たちは成長できなかったんだ」「全部あいつのせいだ」残された者たちの間では、そのような悪口ばかりが飛び交った。さらに世間では亡くなった彼の悪評まで立った。
 悪いのはいったい、誰だったのだろう。

サポートいただけると、作品がもっと面白くなるかもしれません……!