【掌編小説】約束
「進捗どうですか、先生」
「おかげさまで良い調子だよ。それはさておき、先生はできればやめて欲しいな」
ほぼ無遠慮に部屋へ上がり込んできた女性編集者に、僕は苦笑いを浮かべる。
「将来有望な作家さんなんだから、今のうちから先生って呼んでもよくありませんか?」
「まあ、そこまで言うなら勝手にしてくれ」
彼女の言動から圧力を感じた僕は、早々に抵抗を諦めた。
とある出版社の編集者である彼女との出会いは、一通のメールがきっかけだった。
彼女は僕がネット上に投稿している小説を読んだらしく、
『よろしければ、あなたの作品作りに協力させて頂けませんか』
と、メッセージを送ってきた。
それ以降、頻繁に会うようになったという訳だ。
彼女のアドバイスは的確で、改善を重ねるごとに物語がどんどんと面白くなっていくのを感じた。
――アマチュア物書きでしかないこんな僕に、なぜ無償でここまでしてくれるのだろう
そんな疑問を抱くぐらいには、彼女の行動には熱意を感じさせられた。
「ところで先生」
「なんだよ」
「なぜ先生は、失恋ものばかり書いているのですか?」
恐らくは僕の作品を読んだ誰しもが抱く疑問だった。
僕は特に、失恋ものの小説を数多く執筆している。
「以前も話されていた通り、先生は今までろくに恋愛なんてしたことは無いんですよね? なら、どうして失恋ものなんて書いているのですか? それも、たくさん」
彼女は執筆席にすわったままの僕に、どこか険しい顔で問いかけた。
「あ、ああ。疑問に思われるのはもっともだ。でも、そんな怒ったような聞き方をしなくてもいいだろう。別に、経験してないと書いちゃいけないなんてこともないだろうし」
「……失礼しました」
彼女は「……まあ、問題はそこじゃないけど」とボソッと言うと、メガネをくいっと持ち上げ、位置を直した。
「しかし、何かしら理由があるのであれば、気になるところです」
彼女はそのメガネをきらりんと光らせて、僕に詰め寄る。
間近で見る彼女の顔は端正で、目が離せなくなるくらいだった。
けれど、それ以外にも目が離せなくなる理由がある気がした。
なんとなく懐かしさを感じるような――
「先生、私の顔に何かついていますか?」
「ああ、失礼。そういうわけじゃないんだ」
「そうですか。それで、失恋ものばかり書いているのには、どんな理由があるんですか」
「やけに興味津々だな。まあ、いいだろう」
僕は椅子ごと彼女に向き直り、語り出す。
「実は昔、僕自身つらい別れを経験したことがあってね」
「別れ、ですか」
「うん。少し昔話になるんだが、聞いてくれるかい?」
「ええ。ぜひ聞かせてください」
それは幼い頃のこと。
幼稚園に通う僕には、仲の良い女の子がいたんだ。
「ぼく、おおきくなったら、きみとケッコンする!」
「うん! あたしも、おおきくなったらあなたのおよめさんになる!」
幼少とはいえそんな約束を交わすくらいには、相思相愛の仲だった。
そして、その時交わした約束の中にはこんなものもあった。
「ぼくは、さっかさんになるんだ」
「さっかさん……?」
「おもしろいおはなしをつくって、おかねをもうけるひとのことだよ」
「ふうん。すてきなゆめね!」
「さっかさんになって、たくさんのおかねをかせいで、きみといっしょにおしろみたいないえにすむんだ」
僕が将来の夢について語ると、相手の女の子は、瞳をキラキラとさせながら言ってくれたんだ。
「そしたら、あたしはほんをだすのをおてつだいする!」
「いいね。ふたりで、おもしろいほんをたーっくさんつくろう!」
「うん。やくそく!」
そうして僕らは小指を結んだ。
今でも覚えている、初恋と青春の記憶だ。
けれど、ある日事件が起きる。
相手の女の子の両親が、離婚したのだ。
「あたし、とおくにいかないといけなくなっちゃった……」
引っ越しが決まった女の子は、泣きながら僕に別れを告げてきた。
僕は彼女をはげましたくなって、なんの根拠も無いのに言ったんだ。
「だいじょうぶ。いつかかならず、またあえるよ」
「……ほんと?」
「ああ、やくそくさ。そのひまでぼくは、おもしろいおはなしがかけるようにがんばるから!」
「……うん、わかった」
そう言って彼女は笑顔を浮かべた。
「じゃあ、あたしも、がんばる!」
「ありがとう。じゃあ、やくそく!」
「うん、やくそく!」
そうして僕らは小指を結び、再会を誓って別れたのだった。
「その経験がずっと頭に残っててさ。作家として面白い作品を出したいってのと、僕と同じようにつらい別れをした人を癒せるような作品を書きたいと思ったのが、失恋ものばかり書いている理由なんだ……って、え!?」
語りを終え、前を向くと。
そこには顔を赤く染め、涙ぐむ彼女の姿があった。
「いい話ですね」
彼女はそう言って鼻をすすった。
編集者として刺さるものでもあったのだろうか?
とは言っても、それこそフィクションであればどこにでも転がっていそうな話だったと思うが。
「……もしかして、とは思ったんだよね」
彼女は何やら意味深につぶやくと、メガネをはずし、目元の涙をぬぐった。
僕は彼女の素顔を目撃し、目を見開く。
そこに居たのは、幼少の頃にはなればなれになったあの子だったのだ。
ずいぶんと大人びて美しくなってはいるものの、その表情には忘れることのない名残がある。
「君は――」
「先生」
僕が何かを言おうとすると、彼女はそれをさえぎるように口を開いた。
「先生がペンネームを本名と同じにしているのは、その子が先生を見つけやすいように、ですか?」
「ま、まあ、そうだね」
それは答えの通りだった。
万が一、あの子が小説投稿サイトを開いた時に、すぐに僕だと気づいてくれるように。
そんな淡い期待を込めてのことだった。
「僕からも聞かせてくれ」
「……なんでしょう」
「……君のご両親は?」
踏み込んだ質問だったが、彼女が「あの子」と同一人物だとさらなる確証を得るためには必要な確認作業だった。
彼女はためらう様子もなく、語り出す。
「両親は私が幼い頃に離婚しました。私は母方に引き取られ、以降、二人暮らしです」
彼女の話を聞き、そういうことだったのかと納得する。
名刺をもらった時、姓は違ったが、名前はあの子と同じだと秘かに思ったのだ。
間違いない。目の前にいる彼女は、あの子だ。
「君は、」
確信を得た僕が言葉を紡ごうとすると、彼女は人差し指を立て、沈黙を強いた。
「先生。夢、必ず叶えましょう」
彼女の瞳が、これまでに見たこともないくらい強く光る。
「その子、ぜったいに先生のこと、待ってますから」
「……うん」
まっすぐに射貫くような瞳を向ける彼女を前に、僕は力を込めてうなずく。
「それと、いくつか約束してください」
「うん?」
「恋愛は、その子以外とするのは想像だけにして欲しいです。あと、ちゃんとハッピーエンドも書いてください。できれば、幼馴染ヒロインと結ばれる話がいいでしょう。それから、ゲームやアニメ鑑賞はほどほどにして、自分の作品をちゃんと書いてください」
たたみかけるように課せられた制約に、僕は思わず「多いな」と言葉を漏らした。
「約束できないんですか?」
彼女は眉を寄せ、むっとした表情で僕をにらむ。
僕は彼女の眼前に、立てた小指を差し出した。
「そんなことは無いさ。約束するよ」
「……絶対ですよ?」
「ああ。絶対だ」
そうして僕らは小指を結んだ。
「……」
結んだ小指を見つめ、僕は思う。
きっとこの先、夢を諦めることはないだろう。
ずっと、走り続けてみせる。
小指の約束が、いつか、薬指の約束に変わる日まで。
僕はそんなふうに決意を新たにして、再び、筆を執るのだった。
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