忘却
私には、特殊能力がありまして。
どんな能力かと言いますと、「記憶をなくす」ことができる能力です。
ちなみに、自分以外の人間の記憶は、なくせません。あくまで私自身の記憶だけを、「忘れる」ことができます。
「そんなの誰だってできるじゃないか!」という声が聞こえてきそうです。まあまあ、慌てないで。ふつうの「忘れる」とは違うんです。私の「忘れる」は、「意図的に忘れることができる」という点で、普通の「忘れる」とは一線を画すのですよ。
「頭の中から消してしまいたい」と思ったものを、キレイさっぱり消去することができるのです。
この能力に目覚めたころは、「何かを覚えられる能力ならまだしも、忘れる能力なんて役に立たないじゃないか」と、がっかりしていました。
しかし、役に立たないと思っていたこの能力によって、思いもよらなかった「気づき」を得ることになったのです。
あれは、半年前のこと。忘れる能力に目覚めた日の、数日後の話です。
勤務先で、こっぴどく上司に叱られた日でした。
「今日みたいなこと、早く忘れてしまいたいなあ」
そう思った私は、ふと、
「・・・そうだ、忘れてしまえばいいのだ!」
と、授かった能力のことを思い出しました。
そうやって、叱られたことをすっかりと忘れてしまいました。すると、それはそれは気持ちよく眠ることができたのです。
ぐっすりと眠れるようになったからか、翌日からの仕事の成績はぐんぐんと伸び、怖かった上司は人が変わったように私を褒めるようになりました。
忘れる能力の効果に味を占めた私は、その使い道を模索し始めました。
嫌なことを忘れる、浮気したことを忘れる、辛かった過去を忘れる、など、それはそれは様々なことを試したものです。
そうした結果、私は良い気分を保ち続けることができるようになりました。
良い気分を保てることで、あらゆることがうまい具合に回り、私の人生は大きく変わっていきました。
昇進、年収アップ、人間関係改善、富、名声・・・
欲しいと願っていたあらゆるものを、この手に収めることができました。
忘れる能力が、こんなにも人生を変えてくれるだなんて。初めのころは、こうなることを考えもしなかった。
忘れる能力のお陰で、私の人生は安泰だ。
そう思っていた最中でした。
それは、会社での頂点、つまり社長にまで上り詰めた頃のこと。
役員のひとりから、
「社長、もっと共感力がないと、これ以上の成功は望めませんよ」
と言われました。
彼曰く、私がいい気分を保ち続けているのも、良いことばかりではないというのです。
何かに悩んだり、いやな気分を味わったりしないと、共感力が育たない、と。
共感力が無ければ、
・お客さんが求める商品が理解できない
・部下の悩みが分からず、相談に乗れない
といった弊害が生まれるのだとか。
彼から聞いた話に、納得しました。確かに、困りごとというのは気分を悪くするものですが、仕事というのは、その困りごとを解決してお金をもらう作業のことです。
つまり、困りごとに寄り添える共感力が必要なのです。
それからというもの、忘れる能力を使わないことにしました。
悩み事や、眠れない夜が増えましたが、共感力が上がったことで、会社の売り上げや、幸福感は増加しました。
毒を持って、毒を制す、とはこのことでしょうか。
ん?
「なぜ、忘れているはずのことまでこの文章に書かれているのか」
ですって?
それは、悩み事の必要性に気づいたことで、つい先日「思い出す能力」に目覚めることができたからです。
能力とは、必要に応じて沸き上がってくるものなのかもしれませんね。
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