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アートマネジメントの学び方〜ネットTAM講座マラソン(5月)

こんにちは、アートマネージャーのてらだです。

仕事を始めるまで、アートマネジメントの知識らしい知識が全くと言っていいほどなかった私・・・

就職してからやっと「これはマズい!」と気づきまして...(遅い)

ネットTAM講座を読み始めました。

しかし、ざっと見てみたところ、コラムなど全て含めると350記事近くあるので、一気に全部読むのは無理・・・となり、期間を決めて日々コツコツ読み込んでいます。アートマネジメントの基礎知識を、業界を牽引するアートマネージャーや専門家たちがわかりやすく解説してくれており、これが無料で読めるなんてありがたすぎる・・・

ここ数日でちょうど100記事を突破し、すでに教科書のような存在になり始めています。

今月読んだ中で印象に残った10記事をまとめました。どれも勉強になるものばかりなのですが、特にこれは!と思った記事の一部を引用します。

アートマネジメント入門 ─改稿版─(宮崎 刀史紀)

アートマネジメント講座の最初回を執筆している宮崎刀史紀氏による「アートマネジメント入門」の改稿版。

これはどの「マネジメント」分野でも共通なのかもしれませんが、「アートマネジメント」においても、自分たちを取り巻く環境やその変化の中で、その環境や変化をどう理解したらよいのか、そしてどうしていけばよいのか、ということを考える手がかりを求め、共有していこうとする積極的な動きがあったということだと思っています。「アートマネジメント」という言葉には、ただ単に、この分野のさまざまな「知識、方法、活動」が入った箱に貼るラベルに書く言葉というだけでなく、この言葉を使うことで、この分野の議論を生み出したり、知見を束ねたり、実践を共有したりしていき、よりよい実践や新たな課題への挑戦などによりこの分野のさらなる発展に結びつけて行きたい――という強い問題意識が込められてきた背景があり、こうしたまさに「探究」の意識が伴っているときにさらに魅力を持つ言葉だと思います。

一つの共有言語を持つことで、それについて議論や発展の土台を作ること。生まれた時には「アートマネジメント教育」が始まっていた私にとって、これは新しい視点でした。同時に、私の世代も、この議論や発展に加わっていくぞ、という勇気ももらえました。


文化政策入門(伊藤裕夫)

文化政策研究者の伊藤裕夫氏の文化政策入門。ネットTAM講座を読んでいると文化政策の話はあちこちに出てくるのですが、ここが一番の入門です。日本において「文化政策」がどういう文脈で使われてきたのか、知らない歴史だった・・・

今日の戦争は、単に軍隊だけが戦うのではなく、国民全員が総力を挙げて戦いに邁進することが強く求められます。文化政策は、戦争に向け国民の精神を「総動員」していくための手段として、敵国であった英米の文化を排除するとともに、自国の文化の優越性をうたいあげ、また映画や演劇などの人々に親しい文化を通して「国の栄光」「国民の一体感」を形成して、「国のために死ぬ」といった気持ちを醸成しようとしたのでした(今日でも、イスラム過激派といわれる人々が「自爆テロ」といった信じがたい行動をとりうるのには、宗教という文化の持つ力の大きさがあるといえます)。
このように日本では、近世以降、為政者は芸術文化に対し冷淡というか、むしろ統制的な政策をとりつつ民間に任せることを基本に、大きな社会変動に面した時には、外来文化の摂取に取り組んだり、あるいは逆に極端なナショナリズムの方向に国民を誘導する手段として、文化政策を推進した歴史があったこと──これが文化政策というと年配の方々の中には警戒する人も少なくなかったことの背景にあるのです。


アートに関する法律入門(作田知樹)

芸術に関わる人々に法的なサポートを行うNPOを主催する作田知樹氏の記事。アートを取り巻く「法」についての考え方が説明されています。どんな世界で生きていても、「法」と無関係ではいられない。

「法」とは、社会つまり他者がいる現実の世界において、どうしても発生してしまう力と力のぶつかり合いという「トラブルを制御する仕組み」です。力と力のぶつかりあいは、しばしばエスカレートして、社会にとっても、当事者にとっても決して得にならないことがよくあります。そこで「法」による規律が重要になります。例えば、「法律」も「契約」も法の一種ですが、「法律」は社会全体で、「契約」は当事者の間で、トラブルが起こる前にそれを予防するための取り決めです。このように、あらかじめ一定のルールを準備をしておくことで、トラブルの発生を抑制するとともに、仮にトラブルになった後も、それがエスカレートしていかないように、後始末までを含めて制御する仕組み、これが「法」です。法は同時に、それを守らせるための強制力も持っています。つまり、「法」とは、社会の秩序を保ち、あるいは回復するために調整するための、強制力を持ったルールなのです。
 ところで、社会で最強の存在は何でしょうか。それは「国家」です。なぜなら、「国家」は、「法律」を作って、個人の行為を強制的に制限することができるからです。ただし、その「国家」が強いままでいることは、社会の秩序にとってプラスでもありますが、国家権力はしばしば暴走しますから、マイナスの点もあります。そこで、「国家」の力をも強制的に制限する「法」を作ることでバランスを取ろう、という発想が生まれます。それが、「憲法」という、「法律」より上位の「法」です。つまり、憲法とは、「最強者の支配」を許さない、「法の支配」という考え方の現れです。


オリンピック・パラリンピック(1)(加藤種男)

東京オリンピック・パラリンピックとその先を見つめ、芸術文化の変化の方向性を示した加藤種男氏の記事。ゾワっとする視点・・・

なぜ、世間の人々は、質問者たちの関わっているアート活動に対して「解らない」というのでしょう。実は、よく解っているのです。たまに首をかしげるようなことがあっても、少なくともアート側が考えているよりもはるかによく理解しています。それを「解らない」というのは、アート側を傷つけたくないからです。多くの場合は、残念ながら皆様の作品や活動を嫌っているのです。あなたの仕事は嫌いだが、あなたの仕事以外に、実は好きな作品や活動があるのです。あなたの作品、仕事は嫌いだとはあからさまに言いたくないので、「難しくてねえ、我々には解らないねえ」というのです。


実践編「Relight Committee」実験的な学びの場が持つ課題

社会彫刻家の輩出を目的とした市民大学「Relight Committee」の現場レポート。アートと社会の関係を考える場における、運営上の具体的な課題や参加者の学びのプロセスの設計について書かれており、アートを軸にしたコミュニティ運営の参考になりそうな事例が盛りだくさん。

入り口のモチベーションはそれぞれが描く期待に満ち溢れ、意欲も高い。しかし、回数を重ねても、受動的な姿勢で参加している場合、「思ったのと違った。想像していたのとは違った」という各々がもつ期待値から外れていきます。もちろん、そうならないように努力をしながらも、ビジョンや方向性は示すにせよ、いわゆるカリキュラムを事前につくらない方針をもち、具体的なゴールがわかりづらい中で、違和感や不穏感を抱くひともいるはずです。何を持って学びとするかの価値観は本当に多様です。


舞台芸術の蘇生と変異、あらたな発明に向けて」(相馬千秋)

コロナ禍の舞台芸術を考察し、新たな演劇的な仕掛けを問いかける相馬千秋氏の記事。この数ヶ月、思いがけず、芸術とは何か、そして、芸術と社会の関係についての議論を見聞きする機会が増えた。少なくとも私にとって、自分の仕事や生活について立ち止まって考えさせられる今という時間は、経験すべき時間でもあったのではないかということを考えさせられた。

アルトーが演劇をペストに重ねてからおよそ1世紀が経とうとしている今、私たちはまさに目に見えないウィルスが社会を一瞬にして激変させ、既存の価値観や規範が覆され、例外状態となる様を目の当たりにしている。その速度と効果はあまりに劇的だ。私たちの生存を脅かす未知のウィルスは、逆説的に生の本質を突きつける。その生のあり様こそが、アルトーの目指した演劇の本質でもあった。
異質なものを排除しようとする免疫システムが暴走しないよう、アートは常に外部を希求してきた。だから古今東西を問わず、芸術家は共同体の外部から招かれ、内側に向かう力に風穴を開ける存在として必要とされてきたはずだ。だが今、国境は閉ざされ、私と外部を隔てる部屋の扉も閉ざされ、外部との接触が極限まで制限されて久しい。部屋の中で、私たちは時間感覚を失い、外部を失う。昨日は今日と同じで、明日も同じように円環する。外側では制御不能な非常事態が次々と発生しているにもかかわらず、私は常に部屋にいて、植物のようにたたずんでいる。


用語集:アートプロボノ(綿江彰禅)

そもそも文化芸術を仕事にしたいと考えるときに、「厳しい労働条件を受け入れてアート業界で働く」か「文化芸術にかかわる仕事をあきらめる」という2元論のなかで選択しているように感じる。本来、文化芸術のかかわり方は、より細かなグラデーションの中で選択されるべきであり、アートプロボノはその有力な選択肢の一つとなりうる。さまざまな人々がかかわることで、当人たちの自己実現にもつながるであろうし、文化芸術業界の底力は確実に上がる。
文化芸術基本法(平成29年6月施行)では、文化芸術の「観光、まちづくり、国際交流、福祉、教育、産業」などとの連携が強調されている。このような多様な分野との連携を推進するにあたっては、業界内部の専門性だけでは限界があり、むしろすでにその専門性を持った人材を受け入れていくことが有効である。


用語集:経営・マネジメント(川北秀人)

経営とは、統率力に優れたリーダーが行った判断のもとに、着々と実践を積み重ねていくことのように感じられる。しかし、英語で同義とされるマネジメント(management)とは、manageすることやその体制であり、manageとは、管理するという意味もあるが、調達可能な資源を効果的に活用して目的を実現すること、平たく言えば、「どうにか実現する」という意味である。
「経営」と言ってしまうと、一定の規模や格式の整ったものを対象として想定してしまうが、「management」と言えば、日常生活上のすべてのことがらを対象としてとらえることができる。大小さまざまな人々の集団をお手伝いしている筆者の実感から申し上げるなら、managementや経営とは、「成り立たせ続けること」と言える。成り立たせ続けるには、それを可能にする資源(資金や人材、資材や場所など)の継続的な調達と、その効果と価値の実現を可能にする手法や体制の継続的な確立が必要となる。つまり、自分自身のみならず、周囲の人々も巻き込んで、期待される成果や価値を実現するために、自分自身を奮い立たせ、周囲に共感してもらえる目的や目標を定め、すでに手元にある資源だけでなく、周囲や外部からも資源を借り集めて、成果や価値を効果的・効率的に実現する必要がある。


用語集:企業メセナ(荻原康子)

「メセナ(mécénat)」とは人の名前に由来する。古代ローマの初代皇帝アウグストゥスに仕えた高官マエケナス、文芸作家を手厚く擁護したことから後に「芸術文化支援」を意味するフランス語になった。
なぜ企業が芸術文化を支えるのか、という観点から「メセナ」の意味を考えてみよう。アートが好きだから? すばらしいから? 確かにそのものの価値はある。でも、企業はその先の「社会」を見ている。アートがコミュニティーの絆となって交流を促したり、人々に新たな発想をもたらしたり、課題にクリエイティブに向き合う手立てとなるから多様性を尊重する創造的で活力ある社会を実現するうえで、芸術文化は力を発揮する。だから「メセナ」とは、狭義の「芸術文化支援」にとどまらず、「芸術文化振興による社会創造」であるといえるのだ。


用語集:曖昧(西川 勝)

人はわからないことに長く耐えられない。だから、わかることに頼ってしまう。が、わかってしまうことは退屈であり、その欺瞞に我慢できない人が現れる。


読み始めて思うこと。知識を増やせるのはもちろんですが、アートと社会の関係という壮大なテーマに、多くの人が地道に取り組んできた跡が見えるのが励みになります。

さて、6月も読むぞ〜〜


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