福田村事件を劇映画にして良いのか疑問に思う...

 アメーバブログにも「福田村事件」について何度か書いていますが、この事件は1923年9月1日の関東大震災において日本が侵略していた朝鮮半島の人々が日本国内でインフラ労働などを余儀なくされた挙句、「朝鮮人が暴動を起こしている」「井戸に毒薬を入れている」「放火している」等々のデマを時の政府やマスメディアが「流言」したため朝鮮の人々の多くが日本各地、特に関東地方で主に自警団によって虐殺されたという歴史に残すべき史実であるが、これに乗じて起きたのが「福田村事件」である。この事件の詳細は四国の香川県から正露丸や頭痛薬、日用品などの行商のために、9月6日の昼頃、今の千葉県野田市三ツ堀あたりにさしかかり、利根川を渡るために船頭に声をかけたら、船頭が言葉がおかしい」などと叫んだ事から、村の半鐘が鳴らされて、多くの自警団と警察も集まり、警察が本署の指示を仰ぐから自警団に措置は待つように言ってその場を離れた直後に、自警団によって虐殺が始まり、15名のうち、妊婦を含む9名の人たちが惨殺されたという事件なのです。
その事件が今回、劇映画として9月1日から上映されますが、私はいささか、ちょっと待てよと思うのです。つまり、重要な歴史的な史実をドラマ化して良いのかと思うのです。確かに「森達也」監督の主張は理解できないわけではありませんが、この出来事は営利を目的ともするフィクションではないのです。

  私は以前からドキュメンタリー映画にこだわり、自主上映を行っていて、その基本と根底にはロバート・ジョセフ・フラハティのMan of Aranという作品が今でも頭にあります。もちろん、「福田村事件」とは異なりますが、人が厳しい中において活きていくには助け合うという事も必要となるでしょう。さて、読者のみなさまはいかように思われますか。ちなみにこの作品は1934年の北欧の生活する事も厳しい孤島での作品です。そして森達也監督は人は『集団になれば「殺意」も生まれる。戦争が起きれば…」というようなことも仰っておられるようですが….


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