見出し画像

生きるための優先順位。人としての権利。

ピンチの時こそ、おかしいなぁと思うことが炙り出されますね。
こんなにも価値観が違うのか、とか、権威のある人に自分が大切にしたいことを否定された気分になると、この国に生まれて不幸だなとか、この環境ヤバいと思ったりね、それは当然のことだなぁと思います。


自分で自分を守る。

それは時に聞こえは冷たいし、今は乱立してるけど汗。
生きるために必要な時は、ある。
だからこそ、人には最低限の学びが必要と思う。
特に人権教育。

これが正しい!ということではなく、

今の時代の、人と人の在り方を共通認識しておく

ことではないのか?と、とても思う。

SDGsとかうたっておきながら。差別は悪いことだ!と言っておきながら。

これだけ多様さを許しながら、不満や対立がある時にどう捉えることがお互いのためなのかということ。
それを個人の価値観や良心に委ねるって、やっぱり責任の押し付け合いにしかならないと思う。

道徳では差別についての学習が入ってきているし、
今の子どもたちには期待したい気はするけど、
いじめや自殺は減るどころか増えている。


人種差別云々より先に、1番そばにいるクラスメイトのことを知る時間が少なすぎない?と思う。


※追記
今日少しだけ観たYouTubeでの講演会『対話と共生 vol.5 「マジョリティの特権を可視化する:わたしたちはどこに立ち『共生』について語るのか」で、まさにこの話題が出て、答え合わせ感半端なかった!ありがとうございます🙏アイデンティティ発達理論がとても腑に落ちました。日々発達してゆく自分の考えも、遠慮なく言語化していこうと思えました。



障害者差別が問題視され、昔は見世物や処刑にされてきたけど、今はサポートがされる。
しかしまだ主に家庭が負担を背負い、訓練されながら、隔離されているのが現実です。

雇用した企業には国から補助が入るのは、理解を広めるためにはいいとしても、社会的弱者としてのラベル付けはガッチリされているということ。
せっかく学びあえる機会なのに、面倒を被る=上下関係ありきの仕組みに私は見える。
そして、当事者が声を上げると冷めた目で見られたりする。それって全く人として平等とは思えなくて。


いじめも、スクールカーストも、福祉の問題も。
LGBTや、SDGs、政治なんかも、、、他いろいろキリがないけど

人の、真の権利について学び合えていたら、
困惑せずに・悪化せずにいられたんじゃないの?と感じることが多すぎる。

また、今何となく生きている自分たちの無関心さこそ、問題を助長させている。でもこれは、私たちの価値観や精神性の発達によるものだから仕方ない気はしてます。

でもだからこそ、どんな立場の人も、「自覚」が必要だと思います。自分は今これの勇気がないなとか。考えが浮かばないなとかでもいい。無自覚よりずっといいと思ってるから、私も日々省みたいと改めて思います。


それから

自分らしく生きる!
相手よりまず自分を変えよう♫
って、数年前からよく聞きますが

生きる上で必要なマインドだと確信はしているけども、(私も散々言ってきてますけども、笑)

その前の土台がないとなし崩しになるなー。は、実感してます。

コーチングとかも土台のないまま良い言葉のシャワーを浴びても延々と同じところを回りやすいし、
何かの勉強や学びも、哲学も、上辺しか頭に入らないし、
普段「会話」すら無い人や家庭が、「対話」しようってのも無茶があるなぁと。


それが悪いんではなくて、ここでも段階の自覚が必要だなと思います。それが土台に繋がるから。

今など特に、コロナ禍で生活が安定しなければ、真の学びへはなかなか入り込んで行けない人や家庭は多いと思う。
そんな時に、「こう考えたらいいよ」のアドバイスが冷静に入って動けるのは、よほど教養深く育ったご家庭の方や、金銭や時間の余裕がある方なら可能性はあるかもしれないけど、、ほとんどは困惑すると思う。

そんなことよりも
うち、今苦しい!!って
どれだけの人がカミングアウトを周りに安心して出せるのでしょうか。←言ってみれば、これぞマイノリティな心理ですよね。


不登校の子ども達もまさに「生きていていい安心・人との信頼の土台」を失っている子には、先にそれが必須になる。家庭が辛い場合は、家庭ごとサポートが必要になる。

その判断基準も、人としての権利の学びではないのかな?と思います。

学校行かないならば他行こう、、が最初の対応になると
その子の想いとサポートがちぐはぐになってしまうことは、実際よくある。(うちはあったし、私はそういう経験からしか学べなかった〜)

どれだけ今までの当たり前を捨てて、執着に気付けるか。共生といいながら断れないとか、依存になっていないか。

大きな波は一掃してくれるし大切だからこそ、
足元しっかり互いが固定していることを優先しないと、すくわれてしまう。


追いつこう、ではなくて

「自分しか手の届かない部分」をちゃんと気にしながら
共に歩むことが、とても必要じゃないかと思うのです。







サポートいただけると励みになります!