反面教師
ハタチの頃、就職したくなくて、でも実家に戻りたくなくて、親を頼りたくなくて。家賃や生活費払えるように、大好きなライブへ行けるように、絵を続けられるように、バイトを必死に探した。
結果的によき出会いに恵まれ、絶対選ばないような仕事もして数年食いつなぎ、貯金をしてやめて
壁画会社に一年給与なしで修行したわけなのですが
(稼ぐ!ではなく、やりたいことのために自然と身体が判断して動く感じ^^; ちゃんと考える子だったらはじめから氷河期でも就職していただろうなと。笑)
でも結婚したらストンとその熱意がなくなって、わりと巣篭もり体制へ。
今思うとこれも本能的に、適応したのでしょうね。夫がお腹の子のためにも働かないでほしい、、が最初の要望だったために、稼いでくれること含めて生きる環境作りをしてきたのだろうなと思います。(それでも仕事は好きだったので、臨月手前まではしていました)
今考えたら従わないことも、当時どこまでも受容したかったり依存したのは、未熟さ+妊婦という生き物のしたたかさだったようにも思います。
「すべてを許せる人間になりたい」と、ギトギトの化粧をして大好きだったアーティストの言葉は深く感銘をうけて残っていて、その境地に憧れて広げてきたのかもしれません。ちなみに一番応援していたバンドは海外で開花していった。ファンレターが返ってくる近さではなくなりましたが今でも斬新な存在です。
そして今はわりと落ち着いているように見られますが、不健全だった実家を、
完全に反面教師としている自分がいます。
(親が憎いことは一切ありません)
感謝は湧いてしまう。だけど、真似はしない。
20代で持ち合わせていた反感というより、
プライド崩壊してからの無意識です。(笑)
奇妙なほど、わりと逆をしていると思います。疑問だったことを自分なりのやり方で仮説立ててやってみているかんじ…。
それでも、もちろん
子ども達がスクスク育っていくかなんて全く分かりません。
将来もしかしたら罪人になったり、事故ったり、あるかもしれないし、それは誰もが予測不可能。
罪人の親だって、そうならないように誰もが育ててきたはずだから。
そうならないように…!!って育てるなんて、ナンセンスだと今は思う。
しかし4歳の次男が繊細すぎて、可愛がりすぎて、馬鹿な子になるかもしれない(笑)
いや、そう出来るのは、上2人を信頼しているからかも…しれませんね〜。私がいなくなったら任せるよ〜(笑)
とはいえ、将来が不安とか心配っていうのは「母として普通に」感じています。
だからこそ目の前でどんどん成長してく子どもとの時間を焼き付けて過ごしたいといつも思っています。
これは家族をテーマにして生まれてきた私だけの感覚かもしれませんが、、そこを守れないならば生きる意味ってあまりなくて。
当時大好きな仕事をやめたのも、家族の応援なしにやっても私は幸せじゃかいから、、でした。(そのまんま引き止めてくれた上司に伝えました)
だからこそ遠慮なく、どっぷり家族と向き合う覚悟ができたよなと、修羅場を越えてきたなと、今なら思います。
どうして?!?から、
それでいいよ!!に変化したり。
一瞬で変わる魔法なんてないけど、
向き合っただけ変わることも真実。
何年も耐えられているのはやはり、期待を手放せてラクになってきたからだと思います。
孤独…ではなく、本当はいつだって自由だったなぁと
孤独だったのは自分を信じきれなくて、縛りつけていたから。そういうのが年々分かってくる気がしてます。
30代最後!
疑っていた自分の感覚を、足りないと感じてきた感覚を、研ぎ澄ますようにちゃんと「許して」いけるかどうか。
そこを課題としてゆきたいと思います。
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