淡々と生きづらさを自覚しつつ、心地よさにも気付いて生きてみる。
不登校や行き渋りで辛いご家庭は、「学校は行かなくても大丈夫だよ」と、簡単に言われたいわけではない人、多いと思います。
心地よい日々に突然我が子が爆弾をしかけてきた!
心地よい日々を壊さないでくれ…!そのぐらいの感覚に最初はなったりもします。
その表面上の悩みに、無理に行かせるなと言われても。。
地域の居場所などはあっても金銭的負担が多かったり、我が子に合うのかよく分からない。
(なんせ突然のことだったりするから、そこが辛さを倍増させる。人間だし、親と子の相性だってある。形は皆ちがう)
もちろん、学校へ行かなくても幸せな人達はいるし、その人達の話は聞けば一時的に勇気は出ると思います。
でも、事実傷を抱えたままずっと社会に出てない人もたくさんいます。
それが良い悪いではなく、しんどさを抱えたままの人はどうしたらいいのでしょうか。
幸せな人たちのやり方が絶対に当てはまるわけじゃない。
結局目の前の今を、我が家ではどうしよう?となるだけで、そこは避けられない。
先週は、イクミナルのオンライン交流会でした。
大丈夫だよ!なんて誰も言い切らないし、解決方法も伝えませんが
「今、当事者」の方々が交流に来られてる。
今、こうなんだよねって話す。どこででも話せないから、共感しあえる場でようやく話せる人は多くいます。そして、情報探しだけでは得られなかった、1人じゃないんだと…やっとそこで思える。
今、しんどい、この状況はなんなのだろう。
子どもにどう接したら空回りしないんだろう。
子どもに、イライラしてしまうー!
だよね、それすっごく正常だよねって共感し合いつつ、学校無理やり行かせたいわけじゃないけど、選択肢がなさすぎる故に、分からないし、すべて親が対応しないとだし、、
不安なのは、学びの保証、将来を思えばこそです。
その上で、逃れられない、不調な子が目の前にいる切なさをどう淡々と続けていくのか。
みんなどうしてる?をお互いに聞きたいし話したい。
誰かの悩みに数名が答えていき、いつのまにか、お互いの応援団になっていたりします。
もちろん、限られた時間で全部は話せません。
けれども、そこで、途切れない目の前のことや、
孤独感に押しつぶされそうになっていた気持ちに、
少しだけ、火が灯るのだと思う。
プチっと切れて、現実へ。
スタートは、各自それから。
気持ちが燻ったり止まったりしてると、思わず動いて、カモフラージュしがちになったりします。
ラクになりたい、解決したくなるのは当然だし、逆に動いてないと倒れそうにもなるし。。
けれども、そこにすがるあまりに
見失うことってすごく多いし、私は多かったなと思います。
いったん立ち止まって、気休めではなく、謙虚になれる場所が、私にはありがたかった。
我が家にしかない形を見つけるために、子どもたちに労りや感謝を伝えるために、
自分がもっと楽しく生きるために、止まって、定期的に自分に火をつけていたと思います。
それでも交流会は、キッカケを作っているに過ぎません。
うまーく火がついて消えない感じになったら、いろいろ遮断して、自分と子どもだけの世界を作ってみるのも手かもしれません。
ちなみに私はその時間がなければ、子どもと向き合って話せなかったかもしれません。表面上の癒しにばかり走っていたかも。
それだけ、マイノリティ側は情報や声にブレやすいです。そして傷が広まりやすいです。
けれども、自分を守るための立ち止まりがうまくできれば、時間とともに固まってく気がします。
遠慮なく立ち止まれることを励まし合える仲間が、
早い段階で少しでもいたらとってもいい。
そこだけは、リアルでいなければオンラインでもいいと思ってます。
本音を嘘なく出せる場じゃないと辛いかもしれませんが。
先の見えない辛さが、助走期間だと感じられるとラクになりました。
長い道のりを、「犠牲に」「無駄に」ではなくて「糧に」変えられると今は思っています。