見出し画像

ネオ・南部ゴシック?

ただのメモ書きだと思って、気楽に読み飛ばしてください。

ハンス・ケルゼンの「民主主義の本質と価値」(岩波文庫)という本を、機会があって読んでいる。なかなかおもしろい。

民主主義の理念の第一は、「統治者などいてはならない」という自由の観念であるが、それは社会的現実においては、「誰もが統治者になることができる」という原理に転化する。それと同様に、「諸個人はすべて平等である」という第二の原理も、「諸個人は可能な限り平等化さるべきだ」という傾向に転化する。「全国民はあらゆる国家活動に平等に適性を有している」というアジ演説的前提は、変形を重ねて、ついに「全国民に国家活動への適性を与えるべきだ」というかの可能性論へと落着する。


「サッチャーは、あれ本気かな?」
レスターがたずねた。バーナードはデスクの上を這う蜘蛛でも見つめるように、レスターを見つめ、
「今がいつかによるね」と答えて、「あるいは月の満ち欠けにもよる。気圧もだ。あれって何かについて……」
「日本を沈没させるって」
「その件については、相談を受けてない」
「真面目な話だと思う……」
(略)
「明らかにね。ちびで黄色の人間についての懸念は、今もなお明白だ。これもまた、一過性さ。スージイ・Dを例外として、あの人の熱中ぶりは、春雨と同じように長続きしない」
そう言って手を挙げ、レスターの頬をつねると、
「ものによっては、それより早い。一過性さ。すべては一過性――――」
「願う前に、何を願うか考えればいいのに」
「わたしもそう言った」

ヒーザーン, ジャック・ウォマック, 黒丸尚 訳 p.227-228

「ありがたや」とサッチャー、「ありがたや、神様。わしの言ったとおりだろう、スージイ。なあ。わしの言ったとおりだ。ありがたや――――」
「呪われろ」
私にだけ聞こえるささやきで、レスターが言う。

同上 p.242

→文学の分類学には、南部ゴシックという類があるらしく(コーマック・マッカーシー、ウィリアム・フォークナーなど)、山野浩一の言葉を借りるなら、ヒーザーンはネオ・南部ゴシックといえそう。

少し前に、南部ゴシックにSFを組み合わせたNORCOというヴィジュアルノベルゲーム?を途中までプレイした。英語がつらいので、ローカライズしてほしい。1万円でも買う。
ローな音楽と落ち着いた色調のピクセルアートが組み合わさって演出される退廃的なイメージの完成度には自然に口角が上がる。
タイトルの「NORCO」というのは、元はルイジアナ州にある New Orleans Refining Company の略で、wikipedia によると、この会社の名前が後に地域の名前にまでなったらしい。なかなか、おもしろい。

https://www.shell.us/about-us/projects-and-locations/norco-manufacturing-complex.html

ドライコシリーズ全6部作のうち2冊しか邦訳が出版されていないジャック・ウォマックについての情報を得るにあたって、以下のファンサイトがとても参考になった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?