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【短編小説】Ambient:あの頃の私は、生きているだけでは十分ではないような、焦りと物足りなさに支配されていた

聞いたことのない、とくに良いとは思えない、ジャンルのはっきりしない、めそめそした音楽が店内にかかっていた。さっきからずっとかかっていたのに、歌詞の無意味さや演奏の媚びるような元気ぶりに、今まで気づかなかったことがむしろおかしかった。

き緑色のLEDは、目の前の男の子が背にする窓に反射しつつ、鱗みたいに張り付いた雨の水滴にその色を吸わせてもいた。視線の二重の妨害の奥の見えづらいその背景__寒さがいっそう増した2月の夜の中に、私たちが夕方このお店へ来るまでに歩いた海沿いの平穏な景色は見通せなかった。夜というのは「暗さ」の別名ではない、という持論__まあ、大した理屈ではないけど__そういうものを私は所有していて、それは「太陽が地球の裏側に回り込んでいる時間を夜と呼ぶんだよ」という説明に半分しか納得できない私自身の感覚を根拠にしている。「飲酒による酔いというのはアルコールによる脳の麻痺状態のことをいうんだよ」という説明もまったく同じで半分しか理解できない。さらにもう半分が説明されて「完全に分かる」まで、納得なんてできない。
もちろん、私が納得するまで説明してくれるような都合の良い導師はこの世に存在しないから、自分で納得のいく説明をこしらえる必要がある。でも少なくとも今のところ私の直感は、夜にはまだ解明されていない別の半分があると言ってる。暗い時間帯とか麻痺とかいう歴然とした定義のほかに、なにかもっと曖昧で、それゆえ説明自体に説明が必要となるようなややこしい要素があると。
だけど、やはりこんなものは、持論とは呼べないくらいかなり不格好なものだと自分で思う。

だいたい私は、人の話を聞くのが好きじゃなくて、それ以上に自分の話をするのが好きじゃない。でも今日は例外的な一日だった。ちゃんと周りの話を聞いているし、笑い話には合わせて笑うし、たまになにかしら言うし、それに左前に座っている男の子の主導的な喋りにも表情を歪めないよう耐え忍んでいる。
人生というのは忍耐の連続なのよ、私の叔母が一昨年の新年会で唐突に言った言葉。31歳になる息子が詐欺にひっかかったのを機に彼女は、まるで季節が移り衣替えがはじまったかのように人生観を着替えた。顔はやつれ、くぼんだ目が疑り深そうにぎょろついて、注文したピザを永遠にちまちまかじるようになっていた。
叔母の体重を削ぎ落としたその詐欺について、後日になっても私の母は詳しいことを教えてくれなかった__叔母に直接聞くことはあまりに無神経に思えたし、当の息子は新年会に参加していなかった__けど、話をつなぎ合わせてそれは詐欺ではなかったと推測したときの母の反応からして、かなり真実に近い推測だと思う。つまり詐欺に遭ったというのは建前で、じつのところ叔母の息子の金銭的な損は息子自身が招いたものであるということ、つまり息子はいわゆる「若いうちからの投資」に失敗したのだ。20代のうちから、老後のために金を増やしておこう!という掛け声に素直に従ってしまったのだ。
ところで、叔母は世間体しか気にしていなかったけど、そもそもの問題は貧乏そのものにあると思う。お金があれば忍耐なんてそんなに頻繁に強いられないはずだし、お金があれば無駄な努力に時間を割いたり、無謀なリスクを取る必要もなくなるし、お金があって、自由な時間が増えれば、要するにそれは寿命が伸びるのと同じことだ。だって、やりたいことをしている時間が増えるわけだから。

私がもっと小さかった頃、といっても今よりはという相対的な意味__絶対的な年齢でいえば17歳、そう思うとさほど小さくも感じられないけど、予備校から家に着いてもとれない頭のほてりを冷ますために夜道を散歩するのが唯一の楽しみだったあのころ。理由をつけるのももどかしい夜には、仮に頭がほてってなくてむしろ湯冷めしたみたいに寒々とこごえているときでも、ひそかに夜のなかに抜け出していって暗い道を歩き回った。家の周りでもよかったし、一度も歩いたことのない初めての道でも同じくらい楽しかった。昼間に通ったことのある道なら夜道の美しさが際立って分かるけれど、初めて通る道ならその道は私にとって夜だけの神秘的な道になる。私は一歩ごとに戦慄できる。なんなら立ったままでも。
私の左隣に座っていた友達がお手洗いから戻ってくると、耳の周りの毛を刈り落としたせいで寒そうな髪型のウェイターが見計らったようにデザートを運んできた。食べたことあるよ、と私は質問に答えながら立方体のスポンジの上に配列された果物に視線を落とし、ふとこぼれそうになったあくびを飲み込んだ。目が潤んでカットされたいちごの赤さが分裂した。目の前の男の子は目ざとく指摘してきて、お酒飲むとすぐ眠くなっちゃうんだよね、などと言って微笑むとそれって、肝臓が弱いってことだよ、と真顔で言われた。なんのつもりの物言いだろう。帰結する情報として、肝臓が弱いとただ述べただけなのか、それともへたに弱みを見せないほうがいいよ、という裏の進言があるのだろうか。でも、別に、私はお酒を飲んで眠くなることが嫌だと言った覚えもない、が、あるいは冗談だったのかもしれないと思い至って、いつまでも真顔を崩さないのが不気味だけど、じゃあ、肝臓を鍛えればいいってこと? と訊いてみたのはこれまで数時間、男の子の表情がほころんだ瞬間を思い出せなかったからだったが、やはりというか驚くべきというか、それは冗談だったらしく、まさか鍛えられるわけがないよ内臓なんだよ、と言うその顔は私の目の中で、渦を巻くようにして薄黒く歪んでいった。
暗い渦の底で、干からびた2つの目玉がチカチカと点滅して見えた。それは窓の外の街灯の点滅だった。その街灯は地域の再開発によって新設された街灯__飲食店の通りの景色をより鮮やかにするための賑やかしの街灯__とは違ってそれ以前からあった街灯に違いなく、見るからに無骨で、蹴ってもびくともしないだろう。駅名まで開発されて妙にアホっぽいカタカナの名称に変わるより前のころから、それは愚直に垂直を示し続けていたに違いなかった。

夜に人間__つまり私の、抑えられない感情のなかのたとえば苛立ちや憤りのような感情を上書きしてくれるような戦慄があるということが、十代の私には奇妙に思えるほど感動的なことだった。思えばそれはきっと、ありきたりななだめすかしや、魂を逆なでするようなことから明確に断絶した、つまり__変な言い方かもしれないけどそれは「コミュニケーション」だった。理路整然とした思いやりとか、心理学か何かに基づく回答とかではなかった。少なくともそういう胡散臭さは感じなかった。
戦慄の感覚。存在しないものに対する畏怖。
存在について考えられるほど時間を持て余していたなんて、今思えばとても贅沢な時代だったのだと思う。あの頃、私は生きているだけでは十分ではないような、焦りと物足りなさに支配されていた。と同時に、どんなに努力しても私__というより人間、というのは理性による孤独に必ず陥るさだめなのだという諦念が強かった。頑張って私という存在を誇示しようとする気分と、どうしたって人は他人の存在に気づくことすらできないんだという失望と、その両方をまるで右脳と左脳それぞれに一つずつ収めたみたいにして生活していた。毎晩の夜道の徘徊は、たぶんそういうバランスのなかにあった。

バランスというのは、意識しないで取れているからこそ安定といえるのであって、意識的に保たれるバランスというのはそもそも不安定が前提であるといっているようなもので、だから、要するに、意識的に安定を保っていることは極めて人為的な、まったく不完全な状態、たゆまぬ努力のおかげなのだということ。もし、アフリカにおける水の頭上運搬みたいに自分の矛盾する両脳を運んでいくことにいつか熟達して無心になれれば、夜の眠りは歩き疲れた体の、失神のような形ではなくて、もっとなめらかなシルクのような肌触りに似た恍惚の体験になるのだろうか。でも、彼らのように熟達しても、私が運んでいるのはどろどろとした粘性の液体と、今にも気化して飛んでいってしまいそうな繊細な液体の決して混ざり合わない混ざり合いでしかない、という事実は変わらない。今にも皮膚や唇の割れだしそうな乾燥に包まれて、悪意ある日射に炙られながら運搬中だったはずの桶のなかの水ははじめから存在せず、癒やしは得られない。私はカットされたシャインマスカットを口に運びながら、ぼんやりとした、ステレオタイプの茶色いアフリカの風景の中をさまよっていた。左前の男の子が、皿にかけられたソースをスポンジでぬぐうようにして頬張る仕草はあまりアフリカ向きとは思えなかった。垂れ流しの音楽も、アフリカ向きとはいえない。絶望的にリズム感がない民族なのだ日本人は、という内容の記事をどこかで読んだことを思い出した。噂話程度には、つまり血液型性格占い程度の帰納ならたしかにそんな気もするが、科学的にはきっと正しくないだろうと思う。そもそも、そこで言われていたリズムとはなにか?

違う、私が本当に「なにか?」と問いたいのは戦慄だった。戦慄について考えたかったのに、いつの間にか別のことを考えてる。今、私が戦慄について考え、私の左隣の子が宇宙について、さらにその左の子が狂気について、その正面の男の子が混乱について、その左手側の男の子が昏倒について、さらにその左の、私の正面の男の子が考えているのは__なにか深遠なことを考えてるか、もしくはなにも考えてないかどちらか決めかねる真顔。視線に気づいてスポンジをごくんと飲み込むと、私に味の感想を求めてきたから私は当たり障りのないことを言って、当たり障りがないね、と言われ、私もそう思いながら言ったのだったから。私もそう思った、と私は言った。そうだよね、と男の子は微笑み、私は真顔でままその朗らかな表情の奥に夜を見出す。
暗闇から私を見つめる視線。誰かが私を見ている。そう思い怯えながら歩き回ること。誰かに見られていると思うと、尾てい骨のあたりがむずむずしてきた。心臓が早鐘のように鳴り、ろくに抑えられない。想像する視線は私の中に戦慄を充満させるが、私の方からその視線を見分けることはできない。私が戦慄を与える側の立場に回ることはできない。
でもそれは常に非対称な関係というわけではない。昼間になれば視線はどこにも存在しなくなる。授業中に私を見つめる視線を召喚しようとしたこともあった。窓から差し込む昼の明るさと、その中を飛び回る気の狂った高校生たちの叫び声に混ざって私は想像したが、かの視線は現れようとしなかった。戦慄とは程遠く、私の心臓は最低限の働きしかしなかった。夜の中にだけ私をにらみつける視線があった。存在しない視線を意識して早足になりながら、決定的な瞬間を逃れ続ける緊張を楽しむ、そんな時間があった。
決定的な瞬間を待ち望みながら、永遠に引き伸ばされる約束事__なにも努力しなくても決められた時間になれば勝手に太陽が昇ってきて、真っ黒だったアスファルトや土や木々や花や虫や猫や鳥や雲や空の色を勝手に取り戻すという約束が破られないことに、喜びもしていた。私は夜に襲われることを夢見ながら、その夢が叶うことは望んではいなかったし、期待してもいなかった。ここでも私は両方だった。保険の契約や、アイドルの追っかけと同じで、それは一対多の約束だった。いや、だからこそ昔から今にいたるまで、夜の戦慄の視線とは一線を越えない気安い関係が続いたのかもしれない。
存在しないハエの飛行を払うように顔の前で手を動かしながら、雨が止んだばかりの道をいじけた、埋立地特有の潮風を浴びながら歩いてみたいという気持ちが膨らむ。今すぐにでもそうしたい。昼の統一的な光源とは違うあらゆる場所に偏在する輝きの下、それゆえに不均等となった陰影のわずかに濃いあたりに隠れる不気味な視線、私を蹴散らす戦慄の視線に恐怖しながら歩き回ることを。

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