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「倒藝家」という名前について

 倒藝家(トウゲイカ)とは私と樽田賢一、颯水凛太朗を共同主宰とする劇団のことである。現在五人の団員を擁し、演劇やラジオドラマ、映像制作等の活動をしている。
 倒藝家の発起人は私だが、私は今まであまり倒藝家や倒藝家のコンセプトについてまとまった文章を書いてこなかった。何故と言って、色々と忙しかったこともあるが、倒藝家という団体の性質そのものが私にとっても未だに掴みきれない要素を内包しているということが挙げられる。
 しかし、何も書かないわけにもいかないだろう。この記事では、手始めに倒藝家という名前について書こうと思う。
 稽古場を借りるとき、この名前を漢字で書くと大抵相手は「ん?」と喉の底からくぐもった音を出して、疑問を表明する。
「たお……なんて読むんですか?」
「トウゲイカです」
「トウゲイカ?」
「トウゲイカです」
「ほう、トウゲイカ? あの粘土とか使う陶芸家……」
「はい、トウゲイカです」
こんな具合である。
 断っておくが、この名前の考案者は残念ながら私ではない。この名前を考案したのは樽田賢一という人間で、私が劇団を作ろうとして最初に声を掛けた人物である。(蛇足だが、「芸」と「藝」で迷ったとき、「藝のほうがかっこいいから藝にしよう!」と言ったのは私だ。)
 劇団発足初日、まだ"名前のない何か"を空想上の粘土みたいに言葉と想像力だけで捏ねくり回しながら、初期メンバーは語り合った。
「名前は短く、エゴサしやすく、インパクトがあって、クールで、モダンで、リッチで、エレガントでなければならないと思う」
「駄洒落がいいね」
「間違いないね」
そんな話をしていた所までははっきり記憶している。しかし、次第に議論は白熱していった。そして、その日の面々はもうだいぶ酔っていた。
 酔いが醒めると朝になっていた。我々は神とか宇宙について話していた。会話のディテールの多くが何か特別な昂揚感と二日酔いで散逸していた。「倒藝家(トウゲイカ)」という謎めいた文字列だけが残された。
 初期メンバーの三人は感覚的にもこの名前を気に入っていたから、その名前をごく自然に、殆ど恩寵のように授かって旗揚げ公演に挑んだというわけである。
 再考。そこで、私はこの名前について倒藝家の実際と重ね合わせつつ、再び考えて直してみようと思う。
 倒藝家という言葉は二つの次元で相反するイメージを内包している。
 まず、「藝」を「倒す」という新しくて破壊的でリベラルなイメージと「家」という古い保守的な二つのイメージについて。政治的・思想的なことについて触れると長くなるのでここでは触れないが、その二つのイメージの重ね合わせは倒藝家という団体の性質をよく表していると思う。我々は特に示し合わせたわけでもなしに、古典すなわち「神話・歴史的著作を含む共通のテクスト」を強く意識してきた。
 アウグスティヌスの『自省録』を元に人間存在の不安を書いた作品が笠羽流雨作『人間になりたい』であったし、カレル・チャペックの『R.U.R.』における神と人間とロボットの相似な関係をメタ的な演劇表現に落とし込むことで完成した作品が樽田賢一作『背理的ナントカ論』であった。他にも、樽田賢一作『おたずねもの』はベケットの『ゴドーを待ちながら』にインスパイアされているし、笠羽流雨作『光線の散歩』はポー、ブレイク、シェクスピア等の偉大な詩人・劇作家が残した詩句を地図に空想の世界を放浪する作品である。
 これから発表する作品に無理な方向づけを与えたくはないので未来の話はしないが、少なくともこれまでの過去作品については古典への意識が強かったことが言える。
 反面、我々は手法においては常に新しさを求めてきたということも言えると思う。旗揚げ公演『実験演劇教室』についても、それがどの程度成功したかについては観客の方々の判断するところではあるが、少なくとも我々はまさにアイデア勝負の斬新かつ実験的な作品を志したのだ。
 別の次元の相反するイメージの組は「硬さ」と「柔らかさ」である。
 倒藝家という名は当然「陶芸家」と同音異義語であるという点で駄洒落劇団名なのであるが「陶芸家」の仕事と演劇の仕事は普通の意味では結びついていない。しかし、あえて抽象的な表現をすれば陶芸家は「柔らかいもの」から「硬いもの」を創造する者である。その二項対立は暗示的だと思う。リアルな世界は「柔らかい」が作品はときに鋼のように「硬い」という特性を持っている。我々はリアルから世界についての認識を獲得するので、作品の素材は原理的には全てリアルに存在している。精神というブラックボックスの中で言葉と芸術を「硬化」させ、リアルへ斬り込む刃を創造するのは作家と俳優の仕事である。
 この二つめの次元についてのイメージの重ね合わせは倒藝家の面々で話したというより、私の個人的な思いによるところが大きい。私は常々「硬い」言葉を書こうとし、同時にそのためにこそ「柔らかい」現実を観察してきた人間である。
 最後にはひどく個人的な話にもなってしまったが、倒藝家という団体の名前についてはこれくらいで一旦筆を置こうと思う。この団体では今後色々と面白いこと、つまり「古くて新しくて柔らかくて硬いこと」をやっていこうと思っている。
 ちなみに、その第一弾が倒藝家ラジオなのだ。そう、倒藝家ラジオについてはまた別の記事に書こうと思う。気になった方はYouTubeで是非調べてみてください。

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