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クレイジーな父:ショウゾウの話①

会ったことはないが毎月アメリカ菓子を送ってくる男

父は神奈川県で単身赴任していた。
子どもの頃にみんなに聞かれてもどう説明していいのかわからなかったのでそれっぽく「単身赴任」という言葉を使い続けていたが、それが正しいのかと問われれば多分違う。
離婚はしていない。夫婦仲も良い。ただ二人の謎の距離感は否めず、それでも母はいつも父のことを思っていたようだった。父はハイパー自由人なので一途に裕子のことを思っていたかどうかは謎に包まれている。
父は川崎で商売をしていて、母方の祖父母が関東で大地震が起こるから戻ってこいと煩く、更には祖母が60歳でうつ病の診断をされ、祖父だけでなんとかするのが難しかったようで、致し方なく母は子3人を連れて酒田で暮らし始めたらしい。
父といえば、毎月アメリカのお菓子を箱いっぱいに送ってくる男という印象。菓子箱が届くと必ず母は夜に父に電話をかけ、姉たちと変わりばんこで話す。毎度「お父さん、お菓子ありがとう。」としか言いようがなかった記憶があるが、それでも言葉を交わしたいと思っていた。

初めて父親に会う日

父と初めて顔を合わせたのは(私の記憶に残っているところから)小学4年生の11月頃だっただろうか。なぜか突如車を走らせて酒田までやってきた。なぜ来たのかはわからない。
不登校気味ではあったが、小学4年生は完全登校と行かないまでも学校には頑張って行っていた。父が来る日も父に不登校だと悟られたくなくて(父が私が不登校であることを知っていたかはわからない。)いつも行ってますよ感を出すためにその日は学校に行った。学校にいるときも、家に帰る道の上でも初めて会う父にどう接したらいいのかわからずに戸惑い隠しきれないままオドオドしていたと思われる。

父によるキッスの嵐に困惑


家に帰ってからの記憶は、その後起きた事件のことしか覚えていない。
もうすぐ10歳という年齢で実の父親と共に眠るはじめての夜。

私は自分の鼻息が誰かに到達するのを恐れていた。鼻息がかかってもいいのは母だけ。だから寝るときに母の方には顔を向けて眠ることができた。

(ここで説明しておくと鶴田家は鼻穴が丸い家系である。空気の通りが大変いいので鼻息も荒目である。)

母にこっそり寝る位置を確認したところ、なぜか父が隣に眠るという。
この時点で緊張して眠れなさそうな予感がした。

おやすみなさい。
皆に告げ、床に入ったはいいものの、眠れない。
でも寝ないと何を言われるかわからない。だからずっと寝たふりをしていた。
瞼を閉じていたものの、父が私の寝顔見たさに回り込んでみたり移動していることはわかる。絶対に父に私の鼻息がかかるのはいやだ。困った。私は目を瞑りながら本当に困っていた。

すると突如顔の前に大きな影が近づいてきた。
顔の向きを変える間もなく、私のほっぺに父のカッサカサの唇が突撃してきた。WOW!

寝たふりを続けながら私は心の中で叫んだ。心の中のリアス式海岸沿いで、冬の日本海の荒波を見つめながら吠えた。ワーーーーー!

私は愕然とした。そこはかとなく愕然とした。

ごく一般的なご家庭だと、小学生くらいまでの娘への父親のスキンシップは当然のことだろう。でも私にはそれまでのスキンシップは一度もなく、完全に父親スキンシップ歴は空白区域である。

その日はきっと一緒に初めての夕食を家族でとったり、お話ししたりしたことだろう。でも私の脳に残っているのは父親からのキッスで愕然したという夜だけである。

そこから一緒に寝ることに抵抗を覚え、翌日、私は母に頼んで配置換えを要請した。母はキッス事件の話を聞いて笑っていた。

頼む!ショウゾウ!
我々はいいから、おかんにキッスしてやってくれ!

子どもながらに本気でそう思っていた。
とここまで書いてきて「愕然」と言っているものの、はっきりと申し上げておきたいのは私は父のことは親として大変好き。そのことだけは世に伝えておきたい。

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