見出し画像

アダルトチルドレンの願望

今の時代、アダルトチルドレンと言われる方の多くは、機能不全家庭出身ということが以前より周知されているように思います。

機能不全家庭育ちってなに?となると思うんですが
機能が不全な状態の家庭ってことだから、

よく言われるのは、親の過干渉だったり、ネグレクトだったり
親同士のDVを見せられる面前DVだったり
あとは、貧困であることで親の気持ちがすさみ子どもに攻撃が向くということを考えると、貧困も要因のひとつでもありますね。

じゃあ、機能不全じゃない家庭育ちはどんな?
親に存在を認められ、一人の人間として扱われ、自己を確立していくことを育む場所としての家庭なのだと思います。
親が、自分のゆがみで子どもを巻き込むことのない家庭です。

そして健全な家庭の中では、親や祖父母が誰かしらカウンセラーのような役割を行っています。
※あくまでも「カウンセラーのような」であり「カウンセラー」ではありません。

それらは時と場合によって役割が変わってきます。
誰かに叱られ、誰かに慰めてもらい、その中で自分の非に気づき、一歩成長をするということを繰り返しながら世の中への耐性を身に付けていきます。

機能不全家庭では、どれかが欠けています。いや、すべてが欠けているといっていいでしょう。

子どもは自己否定を抱えたまま誰にも認められることもなく、どんどん自分の価値を下げていきます。
そして大人になり生きづらさが溢れて、どうにかしたいとカウンセリングに行かれるというパターンが多いのではないのでしょうか。

大人になってもやはり認められたい。
だって認められたことがないから。
それゆえ、カウンセリングで「大変でしたね」「ご苦労されてきたんですね」と言われると、やっと自分の人生を分かってくれる人に出会えたという気持ちにもなります。

人によっては、そんな軽々しく大変でしたと言うなと受け止める方もいるかと思いますが、表現のあらわし方が違うだけで、根本はそれほど違いがないと私は思っています。表面上の共感に納得できなければそう思いますから。

求めているものは自分を認めてくれること

突き詰めると、これなんだろうと思うのです。
しかし、ここで終わりじゃなくここからが始まり。

ショートのカウンセリングであれば問題解決に導ければ終了ですが、アダルトチルドレンのカウンセリングは長期が前提。

その中で段階が進むと自我を持ち始め、親への感情をカウンセラーに映して荒れた気持ちをぶつけてしまうこともあるでしょう。

それらも踏まえた上で、カウンセラーはその人の成長を目標にして、今何をしていくのがいいのかということを見極めて対話をしていきます。

アダルトチルドレンの「自分を認めてほしい」という願望を受け入れつつも、その人の成長にとって必要なものを適切なタイミングで声かけをしていきます。

それらがクライエントさんにとって大きな痛手と受け止めてしまうこともあると思います。
ここぞという分岐点でカウンセリング辞めてしまうのはもったいないけど…だけど、仕方のないこと。

認めてほしい気持ちが強ければ強いほど、相手からの客観的な意見は自己否定されたように思ってしまうくらいアダルトチルドレンの心は繊細です。

でも、カウンセリングを辞めずに自分と向き合い続けて、今度は自分が人の手助けをする側になっている人たちも私は見てきています。

そうなってくると、人に認めてもらう必要はなくなってきます。
自分が自分を認めていれば、人に望む必要はないですもんね。

今まさに生きづらさを抱えている方々にとっては、いつまでこれが続くんだろうと出口のないトンネルの中にいるような気持ちだろうと察します。
なにより私自身がそうでした。

でも自分次第で変わることはできます。
変わりたいと思って歩み出した足を止めずに進んで行ってもらえたらと願います。
時には休憩しながら、後戻りしながら、自分を認めてほしいと強く願いながら。

認めてほしいんだと自覚のある方も無い方も、その願望を恥じることなく、そう思って当然なんだと受け入れてもらえたらと思います。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?