見出し画像

ヴィジュアル・ミュージックという試みについて

僕にとって音楽は自分の部屋でラジオから流れてくるものだった。何もせずにラジオに向かって、何もせずただ聞いていた。今は何かしながら聞くていることが多いけれど、今でも本を読みながら聞くことはできないし、文章を書きながら聞くことはできない。本を読み始めたら音は聞こえない。文章を書き始めたら音は聞こえない。音楽を聞いている時に視覚は何をしているのかという話だけれど、きっと何もしてない。

音楽を映像的に表現、または音楽と視覚表現を融合させる試みでヴィジュアル・ミュージックというものがある。抽象形態が音楽と同期して動く形になるものが多く、これは今でいうモーショングラフィックやVJの原型になっていると言える。起源を辿ると20世紀の初めくらいになり、映像に音がついたのは1927年とか言われるので、その頃からすでにあった。

ヴィジュアル・ミュージックの分野で最も有名なのはオスカー・フィッシンガーだろう。1900年、ドイツで生まれて、1921年にヴァルター・ルットマンの抽象映画に感銘を受け、映画作家としての活動を開始する。その後、映像と音楽の完全なるシンクロを志向する抽象アニメーション『スタディ』シリーズ(1929-33)を制作する。

この後に作られた『COMPOSITION BLUE』(1935)は立体を撮影して作られている。『ALLEGRETTO』(1936)、『An Optical Poem』(1938)もこの頃作られている。また、ディズニーの『ファンタジア』(1940)の制作に協力するが映画が純粋抽象映画にならないことを理由に制作から離れている(クレジットにも載っていない)。

『ラジオ・ダイナミクス』(1942)ではサイレント・ムービーで、線や形の運動など視覚のみによる音楽表現が試みられた。視覚のみのミュージックである。『モーション・ペインティング No.1』(1947)では、抽象絵画の漸次的変化によって制作されている。これらの作品は『TEN FILMS』に収められている。そして、『TEN FILMS』のDVDは今でも買うことができる。素晴らしい。

オスカー・フィシンガーに影響を受けた作家にノーマン・マクラレンがいる。ノーマン・マクラレンは実験的手法を用いた映像を手がけ、多くの国際賞を獲得している。『球の配列』(1969)や『カノン』(1964)では輪唱の映像化などを行なって評価が高いが、やはり『シンクロノミー』(1971)が映像の動きと音楽が一致し、動きある色彩を探求し続けたマクラレンの集大成だと思う。まさにヴィジュアル・ミュージックと言える。

ヴィジュアル・ミュージックはコンピュータの開発に伴い新たな展開を迎える。特にホイットニー兄弟(ジョン・ホイットニー、ジェームズ・ホイットニー)は1950年後半からコンピュータをヴィジュアル・ミュージックの分野に積極的に導入し、広告などと絡みながら独自の発展を遂げ、モーション・グラフィックスとして展開をみせる。

現代は過去の進化の上に成り立っているのは確かだけれど、過去には途中で進化が止まってしまったもの、忘れ去られたものがかなりの量眠っている。それらを掘り起こして、その先について考えてあげるというのも面白いことだと思う。ヴィジュアル・ミュージック周辺ついては、また機会を見つけて調べてみたい。

僕は昔からご飯を食べながらテレビとか見れなかった。目の前のことが1つしかできないタイプなのだ。基本的には人間は並列的に処理はできるけれど、直列的にしか思考はできないとと思っている。並列的にできていると思われている人も思考・意識のスイッチを行ったり来たりさせているだけなのだろう。もしくは、僕も小さかった時から比べると、そのスイッチの切り替えは上手くなっていて、今ではお皿を洗いながら映像を見れるようになっている。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集

ヴィジュアル・ミュージックという試みについて|202号室 - TAMAOKI Jun