【小説】人欲(2/10)
■最初のエピソードはこちら
長いこと提案を続けた取引先から、「御社のシステムの導入をしたい」と連絡をもらった。IT企業に勤めるわたしが思うのも妙な話だが、画面越しではなく、やはり足を運び、面と向かってことばを交わしたほうが熱意が伝わるのだと実感してしまう。
わたしの勤める会社にはいま推しているふたつの新サービスがある。ひとつは「コスモス」と言って、いわゆる通信販売のシステムだ。単なるカートショッピングのアプリではなく、「コスモス」を通じ、購入した顧客の情報を解析し、購入顧客の好みを分析できたりもするので企業から顧客に対し誕生日にその顧客にぴったりのノベルティを送ったり、顧客の好みに合う商品のクーポンを送ったりして、顧客満足度の上昇に繋げることができる。
この「コスモス」はわたしが発案した企画なので思い入れは強い。
もうひとつは「イダテンフード」。フードデリバリーのシステムだ。「イダテンフード」を介した注文を解析し、天気や曜日などの条件での売れ筋・死筋が一目瞭然なので、メニュー改定に役立てることができる。
こちらは同期の樫木が発案した。「コスモス」に比べるとあまり導入数は伸びていない。
「よかったですね、松倉さん。ぼくも頑張らないと」
二年後輩の本高はまだまだわたしの腰巾着だ。背が高く痩せ型で、垂れ目なので人当たりは悪くない。ただし、営業職には向かないあがり症で、事前のプレゼン練習でうまく行ったことが本番では発揮できないことが多々。ただ、視点の置き方は悪くないから、早いところあがり症を克服してほしい。
「よかった。よかったけど、まだまだ導入数が少ないからもっと増やさないと」
きょう契約が取れた会社は老舗和菓子メーカーで、いままでずっと通信販売を行ってこなかったが、焼き菓子等、日持ちするものを販売するために通信販売のシステムを入れようと長らく検討していた。競合他社はいくつかあったが、最後はこちらの根気とコスモスの将来性にかけて契約を結んでもらえたようだった。
気分がよかったので本高に昼食を奢る。
昼過ぎの蕎麦屋はひとが閑散としていて、注文したざるそばは驚異的なスピードで提供された。
「わたしこれから会社戻るけど、本高くんどうする?」
「ぼくは、ご飯食べ終わったら家で仕事します。なんか疲れたんで」
「帰ってすぐ寝るなよ」
「わかってますよ」
彼は憎めない顔で笑った。
わたしも家で仕事をしてもよかったのだが、帰った途端、脱力するのが目に見えたから、会社に戻った。二年ほど前から、会社がリモートワークを推奨するようになり、在宅で業務ができる環境が整った。それでもやっぱり会社のほうが集中できる。以前に比べて出社をする必要のないひとは会社に来なくなったので、他人の存在が気にならなくなり、物音が格段に減ったから働きやすいというのもあるだろう。
品川駅の港南口を出て正面に大型ビルがある。会社はそのワンフロア借りている。わたしの地元は埼玉で、一年目は実家から通勤していたが、二年目からは品川の隣の駅の大崎で一人暮らしをし始めた。品川には大型のビルが林立しているが、わたしの地元にはこんなガラス張りの大きなビルはひとつもなかった。
「あ、お疲れー」
エレベーターホールに同期の男、樫木が居た。きょう、こんなところで会うなんて実についていない。
到着したエレベーターに樫木が先に乗り、ドアを開いたままにしてくれた。そのまま十五階のボタンを押す。
「宮市製菓さんの契約取れたんでしょ?」
営業部のチャットに速報を入れたから言わなくても知っているのだろう。わたしは身を縮こまらせ、敵から身を隠す梟のようになる。
「なかなか落ちなかったのに。すごいね、松倉さんは。やっぱきれいな女のひとが足繁く通ってくれたから嬉しかったんだろうね。おじいさんでしょ? 宮市さんとの社長」
「担当者は社長さんではないし」
「みんな男でしょ?」
きょうはいつもに増して到着音が大きく聞こえた。
「まあ、松倉さんは能力あるしね。すごいね」
「開」ボタンを押し、どうぞと言って樫木を先に行かせた。自分の喜びに泥を塗られた。樫木はわざわざそういうことをするやつだ。
わたしは「きれい」なのか。容姿に絶対の自信を持っているわけではないので、自分ではそれを認めきれていない。「きれい」という価値は多数決で決められているようなもので、時代によって評価軸にブレがあると思う。わたしは単に「清潔感がある」「万人受けする化粧をしている」「髪型が整っている」この項目にチェックが入っているだけだ。
営業メンバーはオフィスに固定の席はなく、空いている席に座る決まりになっている。お礼のメールに契約書を添付し、記入のお願いをした。「コスモス」の営業資料の見直し、次の企画会議の資料作り、アポイント、導入後のフォローとやることはたくさんある。
お手洗いに向かうと樫木が休憩スペースでコーヒーを片手に談笑しているのが見えた。忘れていたのに姿を見てしまうと、クールダウンした怒りに再び火がともる。
十九時過ぎに会社を出て、目の前のカフェに入りアイスティーを注文する。プラスチックを通じる冷たさが指の感覚を明確にする。
最近は、「いい日」だなと思っても、そのまま最後まで「いい日」のまま日付が変わることが少ない。お客さんに言われたことよりも樫木に言われたことばが澱となっている。新卒から営業で働いて五年が経った。成功すれば「女のくせに」と陰口を叩かれ、チヤホヤされれば「女は得」と言われ、失敗すれば「女だから」と言われる。この国は女性進出に遅れを取っているときくが、こんな不条理は自分の周りだけならいいのにと思う。ほかにもこんな思いをしている「女性」がいるのだろうか。バカバカしい。この前読んだ雑誌には成功した女性社長のインタビューが載っていた。ほかのページにも輝く女性の特集が組まれていた。しかしそこには「最近“は”女性進出が進んでいる」と書かれていた。まるで願望のようだ。実際のところ、進んではいるのだろうが、足踏みしているのだと肌身で感じる。
これ以上はもう、仕事をする気にならず、スマホでレズビアン風俗の店名を検索し、すぐに遊べる女の子を予約した。こういうときは誰か、わたしのことをよく知らない誰かの体に触れたくてたまらなくなる。
外見の好みはないがレズビアン界隈でボイ系と言われるボーイッシュな風貌の子よりも、フェム系と言われるボイ系の正反対のタイプを選ぶことが多い。わたしはフェムタチだと自認している。タチとは性行為のときに能動的な側。
「男性らしさ」「女性らしさ」とはなんだろう。ほんとうは、それぞれの性別など神様のように目に見えない、形がないものなのに、誰かが勝手に思い描いた「男性らしさ」「女性らしさ」を大多数のひとが追い求めている、もしくは追われているだけなのではないだろうか。
きょうの相手は「るみ 二十四歳」。最近は、あんまり年上のレズビアン風俗嬢が新しく入ってこない。
いつも利用する女子会プランのある新宿のラブホテルに向かい、るみを待った。
るみはレモンシフォンのワンピースを着た子だった。身長はわたしと同じ一七〇センチくらいで、わたしよりも肉付きがよかった。
歯を磨いた後、一緒にシャワーに入り、ベッドを共にする。
出会ってすぐのひとと、こいびと同士がするようなことをするなんて妙なことだと自覚がある。だけど、自分にとってこれがいちばん楽しいこと。この魔法が解ける瞬間、雪山に放り投げられたような気持ちになるけれど。人間社会に属し、人間を求めているわたしは健全だと自分に言い聞かせる。
きょうは貪るのが面倒くさいから、マグロで過ごした。何度も何度も快楽に導かれ、無駄と思われることは何も考えないようにした。でも、すぐに「あしたも仕事がんばらないと」という日常に脳が汚される。
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