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【京都光華女子大学 高井小織 #02】片耳難聴って隠せるんですけど、隠して良いことはあまりないんです。

こんにちは。小野寺です。

このnoteは片耳が聞こえない15才、
中学三年生の君へ贈るメッセージです。

それでは、大学で言語聴覚士を育てている、
高井小織さんの続きをどうぞ!(前回はコチラ

■片耳難聴でつらかった時期は?


――― 高井先生は片耳が聞こえないと伺いました。


はい。私の場合は左耳の難聴です。

そのことに自分も周りも気がついたのは、
小学校に上がる頃だと思います。

原因はハッキリしなくて、
幼稚園のときの小児リウマチぐらいしか
思い当たりません。

NHKの朝ドラ「半分、青い。」だと
それらしい症状がありましたけど、
私は気がつけば片耳難聴でした。


――― 耳のことを気にするようになったのはいつ頃からでしたか。


気にするようになったのは
小学校の高学年からです。

友だちから呼びかけられたときに
聞こえなくて無視してしまうこともあり、

「友だち付き合いって面倒だな」
と思うことが増えました。

そして耳のことを一番意識したのは、
中学校の部活の時です。

バスケ部でしんどい練習をする中で、
そこまで強豪校じゃなかったけど
主要メンバーになれなかったのを、

片耳が聞こえないから反応が遅れるとか、
なにかと耳のせいにしていました。

いま思えばハードな練習が嫌だっただけ
なんですけど、自分で理由を見つけて
逃げていたように思います。

部活だけじゃなく、友だち関係も
中三の頃はすごくしんどかったので、
余計にそう思っちゃっていたのかも。

そして人生最大の挫折が高校一年のとき。

バスケ部の合宿があまりにつらくて、
初日の夜に泣きながら荷物を背負って
逃げ出したのをよく覚えています(笑)


――― 中学生前後はつらい時期だったのですね。


ただ高校で部活は辞めたんですけど、
合唱は当時からいまでも
好きで続けているんです。

好きなことのおかげで仲間もできて、
高校で気持ちはだいぶ安定しました。

左耳難聴は一部の友だちにだけ伝えて
みんなの前で自己開示はせずに、

合唱のときは自分にとって良いポジションを
探るのにうろうろしながら

「私の耳、左右差があるから」
ぐらいの言い方をしてたように思います。


■どうして先生になったの?


――― 先生の道に進んだきっかけはありますか。


大学は京都大学の教育学部なんですけど、
そこで両耳が聞こえない子と出会います。

彼女はお母さんとの二人三脚で
京都大学に現役合格をしたあと、

「あとはあなたの好きにやりなさい」
とお母さんから背中を押されたとき、
人生で一番絶望したそうなんです。

大学受験までは先生の話がわからなくても、
問題集を解けばなんとかなってきた。

でも大学に入ったらご年配の教授が
もごもご話すような講義が多かったんです。

彼女はまったく聞こえませんから、
講義の間なんにもわかりませんよね。

ただそこからが彼女の強いところで、
すぐ周りに助けを求めたんですね。

私はわりと最初に声をかけてもらって、
そこからノートテイクという筆記サポートや
手話も覚えました。

そうやって彼女と過ごした日々が、
先生の仕事をしている原点な気がします。


――― 最初は中学校の先生をされていましたが、片耳のことで気をつけたことはありますか。


片耳難聴って隠せるんですけど、
隠して良いことはあまりないんですよね。

ただこの自己開示について大事なことは、
秘密を全部話そうということではなく、

それを言って損になることは
言う必要がないんです。

私の場合、学校の先生になったので
「ちょっと先生」と話しかけられたとき

聞こえる側にはニコニコして「なあに?」、
聞こえない側にはまったく無視となると

えこひいきに見られますから、
そうなったら信頼が地に落ちますよね。

だからこの職業をする上では、
片耳が聞こえないことは伝えた方が
損にならないと思うんです。

最初にできるだけ明るく自己開示をして、
どう接して欲しいかを伝えています。

大人になるにつれ、そうやって片耳難聴と
うまく付き合う術を身につけて行きました。


(続きは明日公開!お楽しみに!)


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