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私は誰だ

私は一体誰だろうか。
何者なんだろうか。
いい歳して、まだそれがわからない。

とりあえず音楽を職にして生きているけれど、本当に私がしたくて就いているのか、これまたわからない。

小・中・高・大学、とそれぞれ自分のキャラが違ったため、本当の自分がどれなのかわからない。多重人格なのかと言われたら、それも違うと思う。

言動は何も知らない子供のような無知の域で、と思ったら、すん、と急に冷めて夢のない大人のような意見も口から飛び出る。まるで布切れを縫い合わせたちぐはぐ人形のようだ。

頭と心の中がごちゃごちゃで、今書いているこの文も、もしかしたら支離滅裂かもしれない。

このように、自分のことがよくわからなすぎて困っている。何を馬鹿げたことを、と誰かが言うだろう。でも、仕方ないのだ、本当にわからないんだから。

でもこんな私でも色んなことに興味はある。
飽き性なのが少し残念だけど…。

故に、始めたばかりのnoteを続けられるかもわからない。#自己紹介 のnoteなのに、私は何を言っているのだろう。もっと読んでもらうための自己紹介じゃないのか…?でも嘘はつけない性分なのだからしょうがない。

あぁ、色んな言葉が頭をぐるぐる駆け巡って、結局口から出てくるのは、意味のない言葉の切れ端ばかり。本当はもう少し読み手の為になることを書きたいけれど、私にそのための知識がないのが現実だ。

だけれど、唯一誰にも譲れないほど好きなものがある。

それは、家族だ。

家族のことが心底好きで、自分の一生を彼らに捧げようとさえ思っている。

家族構成はこうだ。

祖母・母・私・弟・弟

嫌いだ!と思うときもある。だが感情がある限り、たとえ家族が宝物だとしてもそれは起こり得ることだと考えている。

マザコンやブラコンと名前があるように、家族大好き人間のことを何と言うんだろうか。
知っている方がいたら是非教えて欲しい。

上記の通り、家族が大好きなのだが、恋愛はからっきしダメだ。性別としては、男性にトキメクのだけれど、結婚して新しい家族を築く気持ちになれない。

そう思う原因は何なのか、私はもう知っている。

大切な人を作るのが怖いのだ。

時々、ふと考えることがある。
家族の誰かが天へ昇った時、私は耐えられるのだろうか、と。年齢的に考えて、私はいつの日か祖母や母の最後の瞬間に立ち会うことになるだろう。それを考えると、どうしても辛くなって、先に私が天に昇りたいとさえ思ってしまうのだ。それが親不孝だとわかっていても、願望として頭の中に浮かんでしまう。

でも、だから家族の誰よりも先に死にます、と言って自ら命を投げ捨てる度胸はない。

時の流れを考えれば、あと最低2回は絶望の淵に落ちるわけで、私はこれ以上その回数を増やしたくないのだ。新しく大切な人ができてしまったら、私はまた不安にかられることになる。考えるだけで頭が痛い。

だがそれと同時に、辛く悲しい時に寄り添ってくれる誰かがいて欲しいとも思っている。

何と欲張りなんだろう。
己の大切な人の枠には入れてやれないけれど、悲しい時は隣にいてよ、だなんて。全く身勝手だ。

まだ誰にも要求したことがないこの自分本位の考えを、いつか誰かが受け止めてくれるのだろうか。正直、ほとんど期待していない。

でも奇跡でも起きて、
その『誰か』が現れた時、
私が何者なのかを聞いてみたい。

その人は、一体何と答えてくれるのだろう。

答えが知れるまで、私は永遠に『誰かさん』

#日記 #体験談 #note #写真 #エッセイ

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