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叔母について【ヤバさ:★★★★☆】②

母は活字嫌いである。母が唯一読み通した小説は、同僚の若いホステスさんに借りた片山恭一の『世界の中心で愛を叫ぶ』であった。生まれて初めての小説を読み終えた母は少し赤い目をして「すごい感動した~泣ける~」などと全米が泣いた系映画の試写会に参加した人のような感想を述べながら中学生の私に又貸ししてくれた。それから程なくして今度はお客さんから別の小説を借りて読んでいたが、そちらの方は「なんかこれ難しくてよくわかんないからRONI読みな」とすぐに途中棄権した。そうして回ってきたのはリリー・フランキーの『東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜』であった。当時まだ母への信愛のようなものが残っていた私にこの小説は刺さりまくり、胸が苦しすぎて二度と読みたくない名著として記憶された。ちなみにセカチューの方は恋愛コンプレックスを拗らせすぎていたのであんな壮絶な悲劇に見舞われたカップルさえ妬ましく羨ましく、あっという間に読み終えた癖に「なんか、ふぅんって感じ」という感想にもならない感想を吐き捨てて返却した。母はカーステでEXILEや倖田來未を掛け続け更にカラオケで披露するようなヤンキー気質であるが、漫画やアニメには感心を示し、シャンクスや緋村剣心に恋をするという夢女子な一面があった。母の触れてきた日本語はそういった「話し言葉」中心の日本語であった。そのせいだろうか。母の書き言葉は時々かなり残念なときがあり、自分が生まれ育った静岡県の振り仮名が「しぞおかけん」ではないと知ったのは私もとっくに産まれていた30代半ばであったという。先日母からのLINEで「一応」が「一様」なっており、まぁこの程度は母らしい想定内の過ちであったがその次のメッセージでは「勢い」が平仮名で「いきよい」と書かれてあった。そりゃあ平仮名で送られてくるだろう。変換できないもの。私は母と恐らく一度は変換を迫られたであろう母のスマホのことがじんわり気の毒になった。
そんな母から生まれた私が文学部に入ったのは、私が読めもしないスタンダールの『恋愛論』を通学のバスの中で開き半寝状態でうつらうつらと一行ずつ文字を追っていたため寝過ごし、教科書やら電子辞書やらが入ったケースを車中に忘れバス会社の営業所まで取りに行くハメになるといった衒学者だからでもあるが、叔母の影響を多分に受けてきたからでもある
叔母はヤンキー一家に生まれながらも何故か読書家であった。だからといってヤンキーの血を受け継がなかったのかというと、中学一年生にして初体験と喫煙を済ませたところはまさにその血の定めである。だが、祖父母、それから母と中卒一家の中で叔母だけは高校を卒業し、看護学校で学んだ経験がある(寮生活で酷いホームシックにかかり中退してしまったが)。そのため幼少の頃の私にとって周囲の大人で一番学があるのは叔母であった。例えば、マグカップやクッションなんかに書いてある些細な英文(“Have a nice day!!”や"So sweet memory"や“Kyo wa tanoshii odekakeda”など)が気になった際はいつも母から「叔母さんに聞きな」と言われていた。ちなみに母はというと地元のヤンキー校として名を馳せた一番偏差値の低い私立高校を2年で退学になってしまったので英語どころか母国語も疎かなのである。叔母は私が訪ねた英文をいつも読んでくれたため、私はすっかり「私には頭が良い叔母がいる」と得意になった。
そんな叔母は本が好きであった。中でも叔母が愛してやまなかったのは『赤毛のアン』シリーズであった。叔母が持っていた新潮文庫の『赤毛のアン』シリーズはどれもとっくにカバーを失い黄ばんでところどころ折り目の入った表紙を剥き出しにしていた。一目見れば叔母がどれほどそれらの文庫を読み返してきたかがわかった。人の大切なものは汚したりスタンプを押したりしてはいけないと学ぶ前の幼き私は叔母がそんなふうに長年大事にしてきた文庫本の表紙にあろうことかピングーに出てくるの名も知らぬアシカのスタンプを捺し、叔母の美しい笑顔を引きつらせた。その数年後、小学校5年生くらいになると、段々小学生向けの文庫が読めるようになった私(愛読書ははやみねかおるの『名探偵夢水清志郎事件ノート』シリーズであった)に叔母は大事な大事な『赤毛のアン』シリーズを親切心というよりアンへの信仰心から貸してくれた。布教である。叔母は空想好きで作文を得意とし、勉強家の私をアンに似ていると言って可愛がってくれ、「いつかプリンスエドワード島に一緒に行こう」と私以上に夢見る夢子発言をかましウットリしていた。その後私は教師になったことでますますアンとの共通点を増やしたが、私は若くして右乳を失い、アンは若くして子供を失い、お互い大変である。また、当時大流行した『ハリー・ポッター』シリーズも叔母と私の共通の愛読書であった。まだ高価なハードカバーでしか売られていなかったため、私はいつも叔母が読んだあとに貸してもらっていた。叔母は記憶力に優れており、いつも読後の感想を頭から結末まで粗筋を交えて順を追って読む前の私に披露してくれたので、私は分厚いハードカバーを「わぁ叔母さんの言った通り!」凪のような安定した感情でめくっていった。
残念ながら、『赤毛のアン』シリーズはアンとギルバートとの誰得イチャイチャ文通で挫折し、『ハリー・ポッター』は5巻の薄暗い雰囲気に怖じ気づいて脱落した。


私が成人しても叔母と趣味が合うのは変わらなかった。その頃には男女関係に対して甘酸っぱい夢を見る純粋な瞳を失っていた私は、叔母と共に海外ドラマに狂った。最初は「BONES」にハマり、従弟も交えてスマートでセクシーな文化人類学者とタフでこれまたセクシーなFBI捜査官の活躍に盛り上がっていたが、そのうちリアルすぎる変死体に食傷気味になった。その次に手を付けたのが「デスパレートな妻たち」であった。これは私にとって国内外合わせてすべてのドラマの金字塔となった。一人も善人が出てこないドロドロな愛憎劇だが、それぞれが己の欲に向かって醜くも強かにひた走る姿が、人間もっと自由に生きて良いんだ、という気付きをくれた。私にとって人生の教科書となったこの作品は、叔母にとっては不倫の教科書となった。
とにかく息の長いドラマでシーズン8まであったが、どのシーズンでもとりあえず誰かが二股か不倫をしていた。だからいつの何のエピソードのときかはもう思い出せないが、そういった最早ファンタジーの域に達した爛れた恋愛劇をキャベツ太郎をパクつきながら観賞していたある日、叔母が見終わったDVDを収納しながら言った。

「私も彼氏いるんだよね」

「あ、そうなんだ?」
私は昔からヤバイ話をされた時ほど平静を装うクセがあった。また、実は母が数週間前から「アイツ最近怪しいんだよね」仲間のJKがパパ活してるのを察した一軍女子のようなノリで言っていたので、驚きはしなかった。ただ、ドラマと違ってこれはファンタジーではないのだなぁとぼんやりと思った。
詳しく聞いてみると、相手は6歳下のワサビ農家の跡取りだということだった。そして二人の出会いは当時モバゲーと人気を二分していたマンモスSNSであるGREEであった。ちなみに私は高3の時ものすごく過疎っているマイナーSNSで冗談にならないくらい精神を病んだ20以上歳上のオジサンに「君は僕が本気で結婚したいと思った3人目の女性だ」という言葉と共にTiffanyのペンダントを贈られたことがある。怖かった。それはさておき、叔母はもうそのワサビ農家の男と既に3回ほど「会った」ということであった。

「若いからやっぱ全然違う。相性も叔父さんより良いみたい」

こんな哀しいSATCがあるか。秘密を打ち明けたという興奮からか叔母は望んでもいない生々しいガールズトークを一方的に始めた。同じ一方的な語りにしてもまだハリポタのネタバレの方が数億倍マシであった。私は考えることを拒否しているせいか靄の掛かり始めた頭で必死に話について行った。楽しそうな叔母の気分を害さないよう何とか質問を絞り出した。話者に話を聞いていることをアピールするには質問が一番である。
「で、どんな人なの?写真とかないの?
「あるある!ほら!」
そこに写っていたのは、その手のホテルのその手の照明に照らされ、妙に暖色系に彩られたチャ○ンワイであった。もちろん本人ではない。だが「本人ではない」という点くらいしか相違点がないのではないかという程限りなく○ャンカワイであった。私の頭はいよいよ霧の都であった。そのような視界の悪さが思考を鈍らせたのか、私は話の締めとして最低な一言を口にしてしまった。

「でも叔母さんの気持ちもわかるよ。叔父さん退屈だもんね…」

「でしょ?!」

叔母は海外ドラマ仕込みのオーバーな相槌を打った。こうして私はリアルデス妻の「寄り添ってくれる姪RONI」としてキャスティングされることとなった


文系大学生の例に漏れず暇人だった私は思ったより早くクランクインの日を向かえた。それはある日曜日、従妹も従弟も遊びに出掛け、叔父も母親の足となるべく実家に赴いていた、そんな叔母にとって約束された自由の日であった。季節は春が始まるか始まらないか、まだ肌寒い頃だった。

「RONI、ドライブ行かない?K津桜祭り行こうよ!」
「それって…。まぁ、いいよ」

そこはまさにチャンワサビの家がある場所であった。叔母曰く、もちろん直接会うことはできないが、車が通りかかるのを見計らって彼が遠くから手を降ってくれるということであった。
青春である。まるで甲子園のアルプススタンドからマウンドに向かってこっそり手を振る吹奏楽部員のような健気さである。なんでこんな純愛みたいなことを、なんでこんな汚れた恋人たちが…。私は環状線に入る前から酔いそうであったが「エェ?タノシミダネ」と微笑んだ。
桜祭はあくまで口実だったので「わーきれいだねー」と桜も聞き飽きたであろう賛辞を適応に送りすぐに車に戻った。そこから10分ほど車を走らせ、住宅がポツリポツリと現れ始めたとき、叔母がケータイをサッと耳に当てた。

「もう通るよぉ」

聞いたことのない叔母の甘い声にサッと酔いと緊張を感じた。ついにチャンワサビの実物が見られるのだ。車は大きく緩いカーブに差し掛かった。そのとき、叔母は急に色めき立った。

「ほら!RONI見てあそこ!!」

目を凝らすと遠くの斜面の藪の中に、こちらに向かって手を振る恰幅の良い坊主頭の男が見えた。叔母がもう一度ケータイを耳に当てる。

「見えた!見えたよワサビくん!!」

確かに見えた。が、それは例え本物のチャンカワ○であっても誰も気づかないくらい遠かった。この一瞬のためにここまで来たのか。あんな豆粒のようなスキンヘッドを見るために一時間半も運転してきたのか…
帰りに私と叔母は海岸に寄った。春を待つ海辺は肌寒く、そのときの私のテンションによくマッチしていた。叔母はどこかから棒切れを持ってくると、砂利の多い砂浜に何やら書き始めた。外れてくれと願ったが予感は的中した。
それは、叔母とチャンワサビの名を抱いた相合い傘であった。
「ねぇRONI撮って!」
叔母は自らが書いた相合い傘の横にそわそわうきうきと収まった。私の首筋に鳥肌が立ったのは強すぎる海風のせいばかりでない


数年後、叔父の執念と叔父に雇われた私立探偵の手腕により、叔母の不倫は明るみになった。そしてあろうことか身内に激甘の祖父が何故か100悪い己の娘を庇い叔父を「この甲斐性無しが!!」と罵ったことで叔父は探偵代につぎ込まれた大金と共に人としての尊厳を失った。
叔母は不倫に止まらず、何故か自身の貯金はもちろん子供たちの学資保険の解約金までどこかへ消してしまっていた。男に貢いだのかどうか、そこはとうとう藪の中であった。私は叔母が不倫に加えて金銭トラブルまで抱えているとは知らず、母からことの一部始終を聞かされたときは心から驚いた。
しかしそれ以上に驚いたのは、叔父が探偵を雇ってまで暴いた不倫相手はチャンワサビとは別の男であり、さらにチャンワサビから数えて4人目の男であるという事実であった。
ちょっとこれはデス妻でも見ないファンタジーであった。


叔母の話はこれで終わりである。現在叔母は不倫から足を洗い、妻や母という役割からも足を洗った。従弟たちの親権を叔父に譲り、誰にも侵犯されない自由に向かって邁進中である。
次回は番外編をお送りしようと思う。


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