暴力的な躾をしていた父は、本当の父ではなかったのかもしれない①


 私は今年29歳で、家庭もあり、子どももおり、社会的に十分大人である。大人になったからこそ、私の父親について、同じ大人として、同じ親の立場として、考えてみたいと思う。
 

 というのも、私の父親は、勤勉で真面目が故に、家庭内でも私と弟に対して、躾と称して殴る蹴るの厳しい教育をしてきたのである。もちろん、そのおかげで良いこともたくさんあったかもしれないし、殴られなかったことも、家族旅行も、楽しかった思い出もきちんとある。

 しかし、多く覚えているのは、みぞおちの痛みや、変わってしまった弟、会話のない家族、母親の泣き顔…辛かったことの方が人間は記憶に残りやすい。父親にとっては当たり前の教育であったのだろうが、時代が移り変わっている中での前時代的教育だったため、私(と恐らく弟も)は親に感謝の気持ちは抱きはすれど、本質の部分でどうしても許せない気持ちが払拭できないでいるのだ。
 

 ずっと父親の性格がそういうものだと考えていたのだが、自分に息子が誕生し、初孫を可愛がる父親の姿を見て、私の知っている父の姿と大きく乖離が生じ、もしかしたら父を暴力的にさせていた別の要因があるのかもしれないと気づいた。これは、自身の中にある過去の父親をどうにか許容するためだけに、こうだったのかもしれないな、と記憶の解釈を変えるためにまとめた文章である。

 要因を考える前に、父がどんな人だったのか、私の記憶から話そう。

 父は幼少期から子どもを厳しく躾る人で、外食先のレストランで少しでも煩くしようものなら怒号とゲンコツが飛んできたものだ。私は父に怒られないように良い子でいるように振舞うのがうまくなったし、問題をあまり起こさなければ殴られる回数はもちろん減った。

 怖いのは、父親の仕事から帰ってきたときの機嫌次第で、何が問題になるのかその日の基準が変わることだった。小学生の頃はポケモンが流行っており、そのアニメを見たくてテレビの前で待機していても、父親が帰ってきたら野球に変えられてしまったし、チャンネル権を勝手に奪おうものならそれだけで殴られた覚えがある。

 父の弟に対する躾は、私なんかよりも更にひどく、まだ母親と眠りたい小学生になりたての時に、勝手に自分の部屋から抜け出し親の布団に潜り込んだところを父親に引っ張り出され蹴られ、部屋に戻されたのである。母親に甘えたい時期に、甘えようとする度に「男だろ!」と怒鳴られ、殴られ引き離された。父はこれが本気で弟のためと思っていたのだろうし、母は父に従うことが多かったように思う。

 この他にも事あるごとに殴られることが多かった弟は、人と接することに関して悪い影響が出始めた。他人に異常に気を遣い、友だちができたとしても信頼することができず、身の安全を保証されない毎日に不安を感じ不眠症になってしまった。ついに、中学生の時にクラス内のコミュニケーションがうまく取れなくなり、不登校となった。不登校になったらなったで、両親はこれを怠惰とみなし、毎日ただただ家にいるだけの弟を責めて追い立てた。私自身は自分の学生生活でいっぱいいっぱいで家族の状況を見る余裕がなかった。

 弟は誰にも理解されないままただ毎日を鬱々と過ごしていたが、ある日父親から躾の暴力を受けた際に、ついに爆発し、父親を殴り返し、殴り返された父親は逆上し、取っ組み合いとなった。母親が悲鳴をあげながら2人の間に入り、私は何もできず部屋の遠くから見ていた。父親から引き離された弟の、興奮した野獣のような顔と、父親に宣戦布告したことをなんとなく覚えている。私が中学3年生、弟が中学1年生の2月3日節分の日、父と弟の戦争の火蓋が切って落とされた。

 そこから弟が家を出る19歳までの6年間は、情緒がぐちゃぐちゃで、聞いていてもあまりいいものではないことばかりだ。弟は父と母を殴ることが増え、父は弟の首を締めることが増え、母親は割れたコップを片付けることが増え、私は家に帰らない時間が増えた。殴り合いのドンパチと、父が弟を完全に無視する冷戦(これはこれでしんどい)とを繰り返し、カウンセラーが家にきたこともあった。

 弟は学校には行けなかったし、進学した高校も途中でやめてしまったが、バイトをすることができた。働いて自分の給与を得ると、それが自分の価値のように感じたのか、稼ぐことが好きになった。今でも給与を得ること、それ自体が好きな子になっている。

 お金を貯めた弟は19歳の時についにひとり暮らしを始めた。最寄駅は実家と変わらない近距離ではあったが、ひとり暮らしをし、親と距離をとることでお互いに冷静になったようだ。年に数回会う分には、弟は大人の振る舞いをし、冷静に父と母と会うようになったし、父親も弟が自立したことで、変に子育てのプレッシャーから解放されたのか、家族での食事を楽しくできるようになった。

 しかし、弟は1人になりたかったのではなく、親から愛されている自信が欲しかったのだと思う。実家に帰ろうと打診することも何回かあったが、そのせいでまた父親とぶつかることもあった。そのうち弟の方が諦めて、帰りたいとは言わなくなった。

 弟は自分の人生を不器用ながら進んでいるが、何かの拍子で記憶の蓋が開くと、許せない気持ちを私に吐露してきたことがあった。そこから父と弟の禍根がどうなったのかは本人たちに聞いてみないとわからないが、今の様子を側から見ると、お互いに大人の付き合いをしている。

 ここまで長々と過去の話をしてきたが、私はこれで、父親が教育方法を間違えたのだ、と言いたいわけではない。それで片付けてしまっては、私自身がそこから前に進めないのだ。何が父を父たらしめていたのか。そこを考えていきたいと思う。


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