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第1回 徳川家康の名言~絶体絶命のピンチから這い上がり続けて天下人になった男~【名言と本の紹介エッセイ】

1.戦略マスター頼朝と【名言と本の紹介エッセイ】についての自己紹介

こんにちは。
戦略マスター頼朝と申します。

Twitterアカウント「戦略マスター頼朝@書くセラピー/文章でブランディング」(@6VQGPJH3FHYoZn6)にて、名言と本の紹介を毎日ツイートしています。

なぜ名言と本の紹介をツイートし続けているのか?
ここでちょっと自己紹介させてください。

私は子どもの頃から本を読むのが好きでした。
どうしてそんなに本が好きなのだろうと自問してみましたところ、
歴史小説やマンガの中の名セリフに魅了されている点が大きいと気づきました。

名セリフって、なんだか勇気や頑張り続ける力をもらえるんですよね。

それ以来、歴史上の偉人や著名人の方々の名言を集めては、人生の道に迷った時に繰り返し読み返すようになりました。

自分で読み返すだけでなく、人との対話の際にちょっと名言を紹介してみると喜んでもらえることにも気づきました。
(もちろん、押しつけがましくならない程度にですが。笑)

例えば、学習塾の教室長時代には、月に1回親御様への授業報告書の末尾に名言を書いてお送りしていました。
生徒さんのその時の成長段階に合った名言を一筆書き添えておくわけです。
すると、生徒さんだけでなく、親御様からもとても喜んでいただけました。

そんな原体験から、また、親友からの勧めもあり、名言とそれに関連する本をTwitterでご紹介していこうと思うようになりました。

このような次第で、2022年5月21日にTwitterを復活してからは、名言と本の紹介を毎日8ツイートし続けています

ちなみに、その1年前くらいにアカウントを開設して、初めだけちょこちょこツイートした後は、半年間ほど放置していました(笑)。
復活当初のフォロワー数は182人くらいだったかと思います。

Twitterを復活してからは、幸い、応援して下さるフォロワー様たちが少しずつ増えて、毎日文章を書いて発信し続けるのに充分な勇気を頂いています。
自分の文章に共感して下さる方々がいらっしゃることは本当に幸せなことだと感じています。

ただ、これまでに調子に乗ってコツコツと文章を書いてはツイートしてきたのは良いものの、ご紹介してきました名言がかなりたくさん貯まってきました。

そのため、特定の偉人や著名人の名言だけを読みたくても、いちいち検索しなければ読めないという不便さが生じてきてしまいました。

そこで、この【名言と本の紹介エッセイ】では、今までにツイートしてきたものを編集し直してご紹介することにしました。

歴史上の偉人や著名人、あるいはテーマごとにまとめ直した方が、フォロワー様たちも好きな偉人の名言を選んで読みやすくなるのではないか?と思ったからです。

例えば、今年は大河ドラマ『どうする家康』が放送されていますので、徳川家康の名言に特化して知りたい方も多いのではないでしょうか。

NHK大河ドラマ『どうする家康』 キーヴィジュアル画像

そんなこんなを考えた結果、記念すべき第1回目は、徳川家康の名言をまとめてご紹介することにしました。

名言に絡めて、私・戦略マスター頼朝が好き勝手な感想や意見を語っておりますので、それも合わせてお楽しみ頂ければ幸いです。
言わば、名言を題材にした個人的なエッセイになります。
(名言を題材にせず、個人的な思いや考えをツイートしただけの時のものも含みます。)

ご興味のある方はぜひご覧になってください。

それでは行ってみましょう!


2.徳川家康の名言集

①忍耐と堅実さが後の天下人を創った

「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし。
急ぐべからず。」
徳川家康

幼少期は今川家の人質として過ごし、独立後は戦国最強とうたわれる武田家の脅威に晒され続けるという、苦難の道を歩み続けた。

彼の最大の武器は、忍耐を己に課し続けたことだろう。
実は、短気な人だったらしいが。笑

リーダーについてよく言われることの1つに、
「リーダーの頭と体はリーダーのものであっても、実はリーダーだけのものではない。」
というものがある。

たとえメンバーが少ないチームであっても、そのチームのリーダーになった瞬間、リーダーその人は全てが自分の思うままにはいかなくなる。

自分個人の気持ちや考えだけではなく、チーム全体のことを考えなければならなくなるからだ。

本当に自分の気持ちや考えだけで生きていきたいのであれば、個人として事業を営んでいけば良い。

しかし、個人でやれることには限界があるからこそ、互いに得意なものを持ち寄って、他の人たちとチームを組むことになる。

そうすると、お互いに弱点を補い合えるメリットや規模拡大のためのスケールメリットを得られるようになる。

半面で、メンバーたちとの人間関係を常に考えなければならないといった、ある意味のデメリットも甘受しなければならない。

そのため、リーダーの立場にある人にとって、その頭と体は一種の公共物のようなものになって、自分個人の私有物ではなくなるのだ。

これまでの歴史や現在の世の中を見ていると、このことを自覚してリーダーシップを実践している人が、大きく成功していると思う。


②忍耐と大胆不敵と油断大敵

「われ志を得ざるとき、忍耐この二字を守れり。
われ志を得んとするとき、大胆不敵この四字を守れり。
われ志を得てのち油断大敵この四字を守れり。」
徳川家康

自分の成長段階に応じて、
忍耐と大胆不適と油断大敵の3つを心がける。
いずれにしても慎重派の家康らしい。
リーダーが持つべき心構え。

リーダーの立場になくても、何か目標があって頑張っている人は、「忍耐」「大胆不適」「油断大敵」の3つを心かけておきたい。

目標達成までのプロセスは、失敗の連続であるのが普通だし、それでも試行錯誤しながら改善と改良を加えていく必要がある。

成果が出ない間は、ひたすらトンネルの中を出口に向かって歩き続けるようなもので、「忍耐」の連続だ。

そうこうしているうちに、これまでの仕込みが役に立つ時がやってくる。
チャンスを逃さないためには、一気呵成に勝ち取りに行く必要がある。
そこで躊躇していては、チャンスはあっという間に去ってしまうだろう。

勝利の女神は前髪だけしかなく、後ろ髪がないために、チャンスをつかもうと思ったら素早く前髪を捕まえないといけないからだ。

もちろん、一気呵成に攻めに行く時はリスクも伴うが、チャンスをつかめる可能性の方が大きいのであれば、「大胆不敵」に攻めるべきだと思う。

次もチャンスがやってくるとは思わない方が良いのかもしれない。

最後に、めでたく目標を達成した後の姿勢にも気を配っておきたい。

目標を達成した後、達成感に包まれて良い気分になるのは人間としての自然な感情だろう。

一時的には良い気分に浸るのも、それまでの努力のご褒美として良いことだと思う。

ただ、目標を達成した後に一発屋で終わるか、次も成功するかどうかは「油断大敵」を心がけているかどうかにかかっている。

まずは、目標を達成するのに協力してくれた人たちや支えてくれた人たちに対して感謝して回りたい。
それがあるからこそ、周りの人たちも「次も応援しよう」と思ってくれるから。

ところが、調子に乗って自分一人の力で達成したと勘違いしてしまい、感謝の心を失うと、途端に周りの人たちの気持ちは離れてしまう。
中には、呆れて去っていく人も出てくるだろう。

慢心やおごりは、失敗の元。

目標を達成した後は、くれぐれも「油断大敵」を心がけ、気を引き締めていきたい。


③成功した人でも滅びる原因とは?

「滅びる原因は、自らの内にある。」
徳川家康

徳川家康は、鎌倉幕府の公式歴史書『吾妻鑑』の愛読者だった。
特に源頼朝を研究した。
その後の室町幕府の衰退も研究していたようだ。
彼の結論は、失敗の原因は必ず自分の中にあるということ。
徳川260年の太平の世はこうして築かれた。

歴史をひもとけば、鎌倉幕府の源氏将軍が三代で滅びたのは、他にも様々な要因があるものの、世継ぎを安定的に供給する分家を設けておかなかったことが大きい。

そのため、家康は自分の子供たちを尾張家、紀伊家、(後の)水戸家に配置し、その他にも自身の血を引く親藩を設置することで、徳川宗家を支える分家体制を創っておいた。

さらに、室町幕府が滅びた要因も様々あるものの、大きな要因としては守護大名に力を持たせすぎたことと、幕府自体の直轄量が少なく、財源に乏しかったことが挙げられる。

そこで、家康は関ヶ原の戦いの後に、元々の領地であった関東250万石に150万石をプラスした合計400万石の直轄領を獲得し、さらに、徳川系の親藩大名や譜代大名の領地も合わせると、全国3000万石の領地のうち800万石を占める体制を実現した。

さらに、領地からの年貢収入だけでなく、金山や銀山も直轄領に組み込み、さらに主な商業都市には幕府の代官を置いて直接支配することで、豊かな財源を確保した。

そのため、軍事力を支える経済力においては、どの大名も足元に及ばないほどの力を徳川幕府は持つことができた。

加賀100万石の前田家ですらも、徳川家から見れば、経済的にも軍事的にもそれほど脅威なものにはならず、安定した全国支配体制を敷くことができたのだ。

そのおかげで、江戸時代は農民一揆などが各地で起こったものの、大きな戦乱に庶民たちが巻き込まれることはなく、260年もの長きにわたって世界的にも稀に見る平和な時代を実現することができた。

徳川家康が残した平和な世の中の実現という実績は、多くの庶民にとってかなり大きな功績だったと思う。



④リーダーがつまずかないためには何を大切にするべきか?

「いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある。」
徳川家康

個人でも歴史上の大帝国でも、失敗や滅亡の一番の原因は、諫めてくれる人に耳を傾けなくなること。

忠言耳に逆らうとはよく言ったもの。

自分の判断力を過信せず、年齢や立場が上がるほど、人の話には謙虚に耳を傾けたい。

特に歳をとってくると、自分より年上の人が少なくなってくる。
代わりに若い人たちに囲まれるようになると、自分の至らないところを注意してくれる人がいなくなってくることに気づく。

やはり、礼儀を重んじる私たち日本人の社会では、若い人たちが年上の人に注意をするのはどうしても遠慮があるからだ。

だからこそ、年齢や立場が上がれば上がるほど、自分の至らないところは自分で気づいて律していかなければならない。

そして、何よりも、自分では気づかないところを気づくために、今まで以上に年齢や立場に関係なく、周りの人の話には謙虚に耳を傾けるようにしたい。



⑤リーダーがつまずかないために大切にするべき人とは?

「いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある。」
徳川家康

大体失敗する時は、 周りの人の忠告に耳を貸さないで突っ走ってしまった時。
メンバーは遠慮があるので、リーダーに意見を言いにくい。
だからこそ、優れたリーダーはいさめてくれるメンバーを大切にする。

確かに、自分の欠点を周りの人から指摘されると良い気はしない。
人間は感情があるから、どうしても自分にとって良いことを言ってくれる人たちばかりで周りを固めたくなる。

しかし、そうすると自分の欠点を改善する機会が全く失われてしまう。
改善しないまま時が過ぎると、事態は知らず知らずのうちにどんどん悪化していってしまう。

だからこそ、チームの成長を安定的に実現していくためには、リーダーは時には耳に痛いことを言ってくれるような、誠実なメンバーをそばに置いて大切に接する必要がある。



⑥他人の発言を封じることの危険性

「愚かなことを言う者があっても最後まで聴いてやらねばならない。
でなければ、聴くに値することを言う者までもが発言をしなくなる。」
徳川家康

メンバーごとに聴く態度を変えてしまっていないか。

リーダーが雑な態度で聴く姿勢を見せていると、それを他のメンバーたちも見ている。

人は、自分が見たいものを見て、聞きたい話を聞きたがる性質を持っている。
それ自体は自然な感情なので、必ずしも否定するべきことではないかもしれない。

しかし、リーダーが自分が聞きたい情報だけを聞き、それ以外の情報には耳を傾けない姿勢をとってしまうのは、チームの存続にとってまずいことになる。

そういう姿勢を見て、周りのメンバーたちはリーダーに聞こえの良いことしか言わなくなるからだ。

しかも、リーダーから見てつまらない意見しか持っていないメンバーに思えたとしても、実は重要な情報を持っているかもしれない。

10のうち9つつまらない話であっても、辛抱強く話を聞いた方が良い。
1つでも重要な情報が得られるかもしれないからだ。

また、どんなメンバーの話であっても最後まで聞く姿勢を見せることで、周りのメンバーたちも安心してリーダーに話を持っていくことができるようになる。

どんな相手であっても、人の話を最後まで謙虚に聞く姿勢を持とう。



⑦どんなに考えても未来が見えない時は

「いくら考えても、どうにもならぬ時は、四つ辻へ立って、杖の倒れたほうへ歩む。」
徳川家康

家康ほどの戦略家でも、考え抜いたその先は、ある意味で潔く、神頼みしている。
人事を尽くして天命を待つとはこのこと。
打つべき手を全て打ち尽くして、後は潔い姿勢を保つ。
そこに神は微笑む。

考えすぎて前に進めないのが一番いけない。
決断すべきタイミングで決断できず、みすみすチャンスを逃すことも多い。

どんなに現状を分析して詳細な資料を作ろうとも、どんなに立派な戦略を考え抜こうとも、未来のことは誰にも分からない。

だから、戦略を成功させるために必ず必要となるのは、不確かな未来を前にして一歩前に踏み出せる決断力と勇気だと思う。

ぐずぐず迷っている暇はない。

歴史を見ても、ここ一番の勝負どころで決断できなかった豊臣秀頼や徳川慶喜は自らを滅ぼしてしまった。

未来を切り開くのは、決断力と潔く一歩を踏み出せる勇気だろう。

不確かな未来を恐れずに前に進む勇気を持ちたい。


⑧物事を進めるために一番難しい点は

「決断は、実のところそんなに難しいことではない。
難しいのはその前の熟慮である。」
徳川家康

有効な決断をするには、まずは情報収集して判断材料を集める。
その後に比較検討。
周りの人の意見も聞いてみる。
決断したことを正解にするには、その前のプロセスが大切。
良い決断には良い準備を。

物事を前に進めるためには、決断するプロセスをある程度仕組み化しておくのがオススメ。

決断するための思考枠組みがあることで、もれなく判断材料を精査して考察し、やるべき結論を導き出すことが安定的にできるようになるから。

ただし、手続きのための手続きでは本末転倒。

あくまで、決断するためのプロセスを効率化し、そして、後の検証に耐え得るようにしておくための手続きだということを忘れないようにしたい。




⑨ライバル不在は素直に喜べない

「強敵がいなくなれば、こちらの力も弱くなる。」
徳川家康

武田家が滅びた時、家康の家臣たちは喜んだ。
しかし、家康はそんな家臣たちをたしなめた。
武田家という強敵がいたからこそ、徳川家は油断せずにピリッとしていられたのだと。
そういえばローマ帝国も油断しだしてからは崩壊が始まった。

ライバル同士による自由競争のない市場は、腐敗して堕落し、社会を進展させることがない。

公正な競争環境があることが前提だが、少なくともライバルがいることで内向きの視点から脱することができ、自分をより良く進化させていこうという動機が生まれる。

ライバル不在は一見楽なように見えて、自分で自分を律し続けて行かなければならないので、実は一番厳しい環境かもしれない。

切磋琢磨とはよく言ったもの。

自分が成長するためにも、また、社会が発展するためにも、公正な競争環境の中で適度にライバルがいてくれる方がありがたい。



⑩成長のためには適度な負荷を

「重荷が人をつくるのじゃぞ。 身軽足軽では人は出来ぬ。」
徳川家康

困難や葛藤を乗り越えた経験が自分に深みを加えてくれる。
人に堂々と語れる材料ができる。
人の共感を呼ぶかどうかはその経験の重さに比例する。
ただ、それも相対的なものなので、誰かの役に立つのなら発信していく方が良い。


筋トレも適度な負荷をかけなければ筋肉はつかない。
勉強も教科書や参考書を理解するだけでは足りなくて、問題集を解くトレーニングをすることによって、本当に自分の身になる。

自ら負荷をかけて実践することで、昨日までの自分とは違った新たな力を手に入れることができる。
また、その経験が人に堂々と語れる材料になる。

重荷を背負って困難や葛藤を乗り越えたプロセスは、これから同じような経験をしていこうとする人にとってみれば、貴重な経験談だからだ。

何かしら実践経験を持っている人は、そこから得た自分の気づきや学びを発信していこう。


⑪負けを知らないことの弊害

「勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る。」
徳川家康

負ける悔しさや痛み、辛さを知って初めて真の強さが身につく。
なるべく戦わずに勝利を得る戦略を練ろうとするようになる。
ここ一番の戦以外は、何でもかんでも戦えば良いというわけではない。


負け知らずという言葉は、誰もが憧れるところだろう。

しかし、勝ち戦からは意外と学べることは少ない。
今日の勝ちパターンは、明日もそのまま通用するとは限らない。
また、他人の勝ちパターンは、その人だからこそ実現できたということもあって、再現性が低いものも多い。

他方、負け戦は学べる教訓が豊富だ。
負ける原因は、実は多くの人に共通しているからだ。
再現性が高いと言える。

つまり、負けパターンを研究することで、まずは負けない体制作りをすることができる。

負けなければ、少なくとも次回以降からの勝ち戦の可能性が出てくる。

したがって、大きく勝たなくても、まずは負けない体制作りをしっかりやっていこう。


⑫頭が良い人が周りの人たちから好かれるには

「智恵ある者は、己れ一人にて智恵を用ふるべからず。
必ず仲間へも譲りて、誠信を尽すべし。」
徳川家康

せっかく頭が良いのに、周りの仲間から評価されない人がたまにいる。

自分の知識や知恵を共有したがらない、あるいは自己満足に終わって、人の役に立たせるために使わないことが原因だろう。


たとえ自分の功績が大きくても、功績の一部をきちんと周りの協力をしてくれた人たちに譲って、他の人たちにも紹介することが大切だ。

そうすることで、次回以降も快く協力してくれる人たちが増えるからだ。

自己顕示欲が邪魔して、周りの人たちの協力を素直に認められないのは損だと思う。

自分にとっても周りの人たちにとっても良い結果は生まないだろう。

本当に頭の良い人は、中長期的に物事を考えて、周りの人たちとの良好な関係性を維持するためにはどうすれば最善であるかを考える。

時には、良い意味でプライドを捨てることも大切だ。

周りの人たちから自発的な協力を引き出せる人こそが本当に頭が良い人であると思う。


⑬少人数だからこそのメリット

「多勢は勢ひをたのみ、少数は一つの心に働く。」
徳川家康

大人数の場合は、適切なリーダーシップがあれば、集団心理が働いて勢いが出る。

少人数の場合は、リーダーシップを効かせやすいが、メンバーがより強く結束して大きな相手に立ち向かわなければならない。
ただし、0 → 1を作っていく楽しさはある。


確かに、戦の基本は、相手よりも大兵力を用意して、正面からぶつかって圧倒することだ。

勝ち続けるためには、相手よりも豊富な経営資源を揃えておくための努力は欠かせない。

しかし、少人数の中小零細企業は、全く市場競争で勝ち目がないかというとそうでもない。

大企業が戦力を集中投入していない、つまり、守備が薄いところに全戦力を集中投入すれば、勝ち目は出てくる。

つまり、いきなり大きな戦場で勝とうとせずに、狙いを定めた狭い範囲の戦場で勝つことを優先する戦略をとると良い。

例えば、相手が10の戦力を持っていて、こちらが3の戦力しかない場合に、正面からぶつかるのではなく、相手の戦力が1ずつに分散しているところにこちらの3の戦力を集中投入すれば、3対1で勝つことができるという理論だ。

また、大人数の大企業は、意思決定が遅く、図体がでかい分だけ小回りも利きにくい。

それに対して、少人数の中小零細企業は、社長との距離が近く、人数が少ないため、意思決定が速い上に、小回りも利きやすい。

スピードで上回ることで勝てる市場を機動的に設定し、一つ一つの市場でNo.1を取ることで、大企業を各個撃破していく。
そして、勝てる市場をコツコツと増やしていき、ひいては市場全体で勝つことを目指すのだ。

結論として、少人数には少人数ならではのメリットがあるので、それを最大限活かしていけば、まだまだ勝ち目はある。


⑭晩年の家康は嫌われ者のイメージがあるけれど

「最も多くの人間を喜ばせたものが 最も大きく栄える。」
徳川家康

豊臣秀吉亡き後、権謀術数の限りを尽くして天下を取った徳川家康。
嫌いな人も多いかもしれない。

ただ、庶民の多くは150年以上続く戦乱の世が終わって欲しかった。
ひたすら平和な世が来ることを望んだ。

家康はそれを実現した。


徳川家康の最大の功績は「戦のない世の中」を実現したことだろう。

彼自身、祖父や父が家臣に裏切られて殺された悲しい背景を背負っている。
若い頃には三河一向一揆が勃発し、代々の家臣の半分が敵に回るという苦しい状況にも陥った。

家康の事績を分析してみると、単純な領土的野心で動いている事は極めて少ない。
全て徳川家の行く末を考えた上での生き残りのための戦略を描いていたことがわかる。
決して好戦的な人間ではなかった。

綺麗事ではなく、誰よりも「戦のない世の中」の実現を願ったのは彼だったかもしれない。

関ヶ原の戦い以後、晩年における豊臣家への仕打ちは執念に似たものがあるが、それも「戦のない世の中」を実現するためであっただろう。
そのためには、権謀術数の限りを尽くし、心を鬼にして徳川家の安泰を図る必要があった。
徳川家の安泰=世の中の安泰という時代だったから。

豊臣家から見れば、徳川家康はとんでもない逆賊であり、悪党であったと思う。

しかし、武士同士の争いなどには興味がない多くの一般庶民にとっては、太平の世を築いた徳川家康は大きな功績を残した人物だと言える。


⑮戦いに勝つための強さの種類

「戦いでは強い者が勝つ。辛抱の強い者が。」
徳川家康

不安に駆られて根拠の薄い決断をしてしまうと、だいたい失敗する。
あと少し我慢してタイミングを見極めれば好機到来になったのに、焦って手を出してしまうことで失敗することも多い。

コツコツと実力を蓄えつつ、辛抱強く勝機を待つこと。


勝負事では、荒々しく猛々しい者が強いわけではない。
むしろ、どんな状況においても冷静さを失わずに、やるべき布石を着々と打って前に進んでいく者の方が強い。

有り体に言えば、イキがっている者よりも、冷静沈着に戦略を練り、着実に実行していく物静かなタイプの方が強いのだ。




3.徳川家康についての小エッセイ集

①今年(2023年)の大河ドラマは「どうする家康」

徳川家康ほど、苦労と選択の連続に追われた人物はそうそういないだろう。
今川義元、武田信玄、北条氏政、上杉謙信、織田信長などそうそうたる大企業に取り囲まれてよく生き残った。
三河(愛知県東部)の一土豪だった中小零細企業がどうやって成り上がったか?

まさに「どうする家康」と問われるような選択の連続だったと思うので、それが大河ドラマの中でどんなふうに描かれるのかに注目したい。

徳川家康ほど危機的状況で選択を迫られた人生を送った人はいないだろう。
現代のリーダーたちにとって最も共感しやすい歴史上の人物ではないだろうか。

そして、天下を取るに至ったプロセスについて研究することで、リーダーシップのみならず中小零細企業の戦略を考える上で大いに参考になるだろう。


②絶望感が半端なかった若い頃の家康

普通に考えて、今川と織田、そして戦国最強武田に囲まれていた家康は、絶望感が半端なかっただろうな。笑

どこを向いても、強者の大企業に取り囲まれている。
しかも当時はリアルな生き死にがかかっていた。

中小零細企業が生き残れる生存領域を必死に考え、実行したからこそ、強くなれたのだろう。

家康が偉かったのは、絶望的な状況の中でも領内統治や軍制などの改善・改良を繰り返していたこと。
また、良いものをすぐに真似して取り入れてしまう柔軟さも併せ持っていた。

強敵に取り囲まれた状況の中で、生き残ることに知恵を絞った青年期から壮年期の経験が、晩年の戦略の上手さを培っていったに違いない。

何せ、今川義元、織田信長、武田信玄・勝頼父子など、いわば一流の家庭教師について勉強していたようなものだから。


③吹けば飛ぶような零細企業社長の成功物語

徳川家康と言えば、後年の大権力者のイメージが強い。
しかし、駆け出しの若い頃は吹けば飛ぶような中小零細企業の社長。
周りは強国に囲まれ、舵取りを間違えばいつ滅んでもおかしくない状況が続いた。
持ち前の勉強量と家臣団との強い絆を武器に数々の困難を乗り越え、天下を取った。
見習うべき成功物語。

日本史上の有名なサクセスストーリーと言えば、身分制度が厳しかった時代に農民から天下人にまで成り上がった豊臣秀吉の出世物語が挙げられる。

確かに、豊臣秀吉が織田家の中で活躍の場所を得て成り上がっていった出世物語は実に面白い。
特に羽柴筑前守の頃の人たらしエピソードや知恵を絞った城攻めの方法など、ワクワクさせられるエピソードが豊富だ。

ただ、その影に隠れてはいるものの、徳川家康の成功物語にも注目すべきだと思う。
特に中小零細企業の社長といった現代のリーダーの皆さんにとっては。

なぜなら、徳川家康は周りを強国に取り囲まれた状態の苦難の時代を耐え忍んで過ごしていたから。

リーダーブランドやチャレンジャーブランドなどの競合がひしめく中で、生き残りを図るフォロワーブランドを展開している企業の社長などは、徳川家康の方こそ学びが多いのではないかと思う。

豊臣秀吉は、いわゆるサラリーマンから出世した成功物語だ。

それに対して、徳川家康は、いわば中小零細企業の社長が大企業に取り囲まれた過酷な状況の競争を生き残って、最終的に日本一の大企業になった成功物語だからだ。


④気を使いまくりのリーダー・家康

源頼朝も徳川家康も、家臣たちに気を使いまくりのリーダーシップだった。

歴史書を読むと、一般的なイメージに反して、頼朝も家康も家臣たちとのコミュニケーションを積極的に行い、要所要所で功績を褒めたりなどしている。

家康は、祖父や父が家臣に裏切られて殺されたことも影響しているのだろう。

歴史から何かしらの成功哲学を学ぼうとする場合には、表面的な成功の結果だけを見てしまうと学びが少ないだろう。

現代の成功した企業経営者から学びや気づきを得ようとする場合も、華々しい成功の結果だけを見るのでは、本当の成功の要因を見つけ出すことは難しい。

成功の結果からだけでなくそのプロセスにまで踏み込んで研究してみると、様々な苦労や葛藤、困難を乗り越えた軌跡が浮かび上がってくる。

本当に歴史から教訓を得ようとすれば、自分が興味を持った人物に着目して、その成功に至るまでの様々なプロセスを詳細に分析してみよう。

そうすると、英雄や成功した企業経営者たちにも自分と変わらない人間的な側面があったことを知ってなんだか親近感が湧いてくるのと同時に、自分がこれから成功するために何をするべきかを学びとることができるだろう。

⑤家康脱糞逃走事件(笑)は放映されるのか!?

今ふと疑問に思ったことだが、NHK大河「どうする家康」で、松本潤さん演じる家康に三方原の戦いの脱糞逃走エピソード(笑)をやらせるのだろうか?

イケメンすぎる家康にやらせて大丈夫なのだろうか?笑

脱糞逃走エピソードは後世の創作によるものらしい。
家康の人間味溢れるエピソードの1つだが。

英雄のこぼれ話を読んでみるのも、歴史を学ぶ楽しみの1つだったりする。

ともすれば、華々しい結果論だけをダイジェスト的に紹介している歴史本が多い中で、英雄の人間的な側面を紹介してくれる本にも注目したい。

英雄や偉人たちの知られざる側面を知ることで、彼らも同じ人間であったのだと感じて親近感が湧くし、自分も頑張れば何とかなるのではないかと勇気も湧いてくるから。

⑥本屋さんもNHK大河「どうする家康」を盛り上げる

よく行く蔦屋書店さんのディスプレイ。

来年の大河ドラマは「どうする?家康」。

今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に関連する鎌倉時代本が展開されていたところに、家康関連本を展開し始めている。

本屋は時代状況を映す鏡。
時機に合わせたもの言わぬセールスがうまい。
店内を歩くだけでも楽しい。

私も休みの日には散歩をするが、必ず本屋に立ち寄ることを散歩コースの中に組み込んでいる。

Amazonなどのオンラインショップで本を購入するのは確かに便利だが、レコメンド機能(おすすめ機能)が進化し過ぎて、自分が好きなジャンルだけしか目に入らないことが多い。

それではどうしてもインプットに偏りが出てきてしまう。

偏ったインプット素材からは、偏ったアウトプットしか生まれないだろう。

他方、本屋に行けば、店内を歩きまわるだけで様々な本の表紙や背表紙が目に入ってくる。
世の中の世相を反映したタイトルや人、写真などが表紙になっている本が上手くディスプレイされている。

それらを見ることで、自分の頭の中のインプット素材がどんどんアップデートされていく気がする。

したがって、良いアウトプットをするための素材探しのためには、本屋巡りをするのがお勧めだ。

蔦屋書店の「どうする家康」関連本ディスプレイ(2023年12月撮影)


⑦頼朝と家康が天下を取れた秘密

セールスレターの話が続いたので、ここでちょっとした歴史うんちくを。
(注 この前までのツイートでブランディングの観点からセールスレターの書き方について述べていた。)

源頼朝も徳川家康もお手紙作戦で天下を取ったと言っても過言ではない。

頼朝は挙兵前後から、坂東の武士団たちにセールスレターを送りまくった。

家康は関ヶ原の合戦直前に160通強のセールスレターを外様大名に送りまくった。

もちろん、対面でのやりとりも、諸大名を味方にしていく上で重要な役割を果たしただろう。

ただ、面白いのは、戦国時代であれ、現代であれ、自分に味方してくれる人たちを増やすのは、言葉や文章であるということだ。

現代の売れているセールスパーソンも、対面での営業トークはもちろんのこと、セールスレターを書くのも上手だ。

天下を取るにも営業成績を上げるにも、人の心を動かすトーク術や文章術が必要だということが分かって面白い。


⑧あまり知られていない家康の人柄とは?

徳川家康は学者・研究者タイプの人だった。

孫子の兵法や鎌倉幕府の準公式記録「吾妻鏡」の愛読者であったことでも知られる。
彼の私設図書館・駿河台文庫には3千冊の蔵書を所蔵していた。

鎌倉・室町幕府がなぜ滅んだのかをよく研究していたと思われる。

家康は、当時としてはかなりの読書家だった。

ちなみに、ナポレオンもかなりの読書家で、戦場には必ずたくさんの蔵書を積んだ荷馬車を連れて行ったそうだ。

現代の名経営者と言われる人たちも、読書家の人たちが多い。

それはおそらく、自分個人の体験から学べることには限界があることを知っているからだろう。
自分で実際に体験したことや人との会話からだけでは、学べる範囲が狭くなってしまう。

読書をせずに成功した人もいるが、それは総じて少数派だ。
また、読書をせずに成功した人が晩年に望むのは教養であると言う。

読書をすることで、実際に経験していないことでも仮想体験できるメリットは大きい。
また、他者の知恵をインプットして自分の体験とミックスさせることで、新たな知恵を生み出すこともできる。

昨日や今日までとは違う魅力的な明日を創りたかったら、今日から読書を始めよう。


⑨天下を取れる人の意外な共通点とは?

源頼朝と徳川家康が天下を取った秘密とは、圧倒的な読書量。

同時代の武将たちに比べて、かなりの読書家だった。

彼らは自分に天才的な才能がないことを分かっていたからこそ、人の話をよく聞き、書物からも多くを学んだ。

ちなみに、ナポレオンもかなりの読書家だった。
戦場でも読書したほど。

家康が集めた蔵書を保管した駿河台文庫には3000冊の書籍があったと言う。
当時としてはかなりの分量だと思う。

読書家の家康ならではのこぼれ話として、家康は健康オタクみたいなところがあり、自分で当時の医学書を読んでは薬を調合していた。

そのため、侍医のアドバイスを聞かずに、自分で体の診断をして、それに見合った薬を飲んでいたことから、侍医は閉口していたそうだ。笑


⑩家康の性格的な長所とは?

徳川家康は家臣たちに理不尽・不合理な命令をしなかった。

彼はその生涯で家臣を殺さなかったのも、当時としては立派だったと言える。
重臣・石川数正が豊臣秀吉に調略されて裏切られた大事件はあったが、三河一向一揆の件を除いて、家康はその生涯でコアな家臣から裏切られることはほとんどなかった。


理不尽な指示や命令をリーダーがしてしまうと、それを直接受けたメンバーだけでなく、周りで見ているメンバーたちも萎縮してしまう。

明日は我が身だと誰もが思うからだ。

そうなると、メンバーの方から建設的な意見は出てこなくなる。
いかにリーダーから目をつけられないようにやり過ごすかばかりを考えるようになる。

したがって、たとえ腹が立つことがあっても、リーダーは常に合理的な精神と寛容的な態度を心がけて、メンバー達から支持を失わないように注意する必要がある。


⑪家康の資産となったものとは?

徳川家康を単なる「狸親父」のイメージで捉えるのはもったいない。
それは秀吉死後、豊臣家滅亡までの晩年のイメージ。

それまでの家康のブランドイメージは「律儀者の徳川殿」。
これにより、信長や秀吉、その他諸大名からの信用を買った。
また、小牧長久手の戦いで秀吉に負けなかったことも大きい。


権謀術数の上手さだけで天下を取ることは不可能だろう。

やはり、周りから信頼されるだけの実績と姿勢があるからこそ、ここ一番の勝負どころで味方についてくれる人たちが現れる。

多数派の支持を得られなければ、天下を取ることもできないし、それを維持することもできない。

徳川家康は、「海道一の弓取り=戦上手」と「律義者=誠実な人」というブランドイメージを形成することに成功したからこそ、それが大事な資産となって天下を取れたと言えるだろう。


⑫家康のブランドスローガンは?

個人的な魅力頼りではなく何を旗印として掲げているか?

チームの人数が増えると、リーダーの個人的な魅力だけで引っ張っていくのは難しくなる。

旗印としてどんな理念や目的を掲げているかによって、チームの風土や結束力が変わってくる。

ちなみに、徳川家康のスローガンは
「厭離穢土欣求浄土」
(様々な解釈の仕方があるものの、秀吉死後の家康の行動を見てとると、「穢れた戦国の世から清らかな平和の世にする」との解釈を採りたい。)

この「厭離穢土欣求浄土」というスローガンをかけることで、家康が普段直接対話することのない一般兵士や庶民たちに対して、自身の理念や目的を浸透させることができた。

そして、この理念や目的にかなうように、家臣や一般兵士たちも動くようになる。
諸大名たちも、徳川家康に味方するか敵対するかの判断材料の1つとしてこのスローガンを見るようになる。

旗印にどんなメッセージを込めるかは、戦国時代においてもとても重要なものであった。

現代においても、強いブランドはメッセージ性の高いブランドスローガンを掲げている。


⑬家康もブランド価値を言語化していた

ブランドの旗印は鮮明か?

織田信長なら「天下布武」、徳川家康なら「厭離穢土欣求浄土」などが、自らが世の中に提供する価値をメッセージ化したもの。

企業や個人でも何をしたいのかが分からない、旗印が不鮮明なものではファンはつきにくい。

まずは自分が実現したい価値を明確に言語化すること。


自分が実現したい価値を言語化できていないと、自分自身はもちろんのこと、周りの人たちもどこに進んでいけば良いのかが分からなくなる。

なんとなくのふわっとしたメッセージでは、人はついて来れない。
できれば、具体的でイメージしやすい言葉によって、実現したい価値を表現したい。

目標実現のためには、たかが言葉、されど言葉なのである。
言葉の重要性を理解しているリーダーは、一致結束した強いチームを作り上げるのが上手い。

したがって、まずは自分が何をやりたいのか、どこに向かいたいのかをできるだけ明確に言語化して、文章に書き記していこう。

そして、その文章をどんどん発信していこう。


⑭現代にも続く経営者の後継者問題

リーダーの最大の仕事は後継者育成。

急逝した源頼朝の場合は致し方ないが、鎌倉幕府や室町幕府、そして豊臣政権は後継者育成問題で失敗した。

それを学んだ江戸幕府初代将軍・徳川家康は健康寿命の維持を心がけ、大御所となって2代将軍秀忠をバックアップすることができた。

リーダーは歴史に学ぼう。


翻って、現代においては中小零細企業の後継者不足問題が深刻なようだ。

せっかく育ててきた企業も、後継者がいないためにたたまざるを得ない場合もあると聞く。
あるいは、M&A(=企業の合併・買収)によって他人に譲り渡す場合もあるとのこと。

経営者の子供には、職業選択の自由がある。
親御さんも無理には後を継がせようとはしないだろう。
それもまた1つの正解ではないだろうか。

さらには、後継者がいたとしても、うまく事業承継ができるとは限らない。
先代の重役達と後継者との間で経営方針が対立することもあるようだ。
この場合には、戦国時代も現代も共通の葛藤が生まれている。

後継者がいる場合であっても、スムーズに事業承継ができるか、事業承継をした後に順調に経営を引き継いでいけるかどうかはまた別問題のようだ。

現代においても、後継人材の確保及び育成が重要な課題であることには変わりはない。


⑮謙虚な家康の特技とは?

日本型リーダーシップのロールモデルとなった徳川家康。

家康は信長のような天才型ではない。
強いて言えば、上手くいっているものの真似をするのが非常に上手かった。
現代の「徹底的にパクる」の元祖とも言える。
また、信長や秀吉が行ったような虐殺も行っていない。

長期安定政権を作れるタイプ。

織田信長と徳川家康を見比べてみると、自分に自信がある天才型よりも、自分に自信がない努力型の方が、政治家としては長期安定政権を築けるのかもしれない。

自分に自信がないけれども向上心がある努力型の人は、自分よりも優れた人から謙虚に学び取ろうとするからだ。

そうすると、自分の器の中にたくさんの知識や協力者たちが入ってこれる。
つまり、周りの人たちが協力しやすいタイプなのだ。

さらに、自分でも読書をしたり、自分より優れた人から話を聞いたりして、貪欲に知識や知恵を吸収しようとする。

この姿勢が、自分の器以上の知識や知恵、そして他人の協力をもたらすことになる。

したがって、自分に自信がある人も、その自信を心の内に秘めておき、周りの人たちと謙虚な姿勢でお付き合いしていこう。


⑯家康はセールスレターの名人?

集客も採用活動も本質的な目的は同じだと思う。

自分の会社に共感して、好きになってくれる人をどれだけ集められるか。
そのためのメッセージを文章やビジュアルで訴求できるか。
発信し続けられるか。

言葉で人の心をより動かすことができるか。
言葉を裏付ける誠実な行動をとることができるか。

そう考えると、手紙で天下を取った源頼朝や徳川家康はセールスレターの名人だったかもしれない。

源平の合戦も、徳川家康の天下取りのプロセスも、歴史を詳細にひもとけば、源頼朝と徳川家康が送った手紙が勝敗を大きく左右していることが分かる。

したがって、どうしても人に協力してもらう必要があるといった、ここ一番の勝負どころでは、文章によって相手の心を揺り動かすことに挑戦してみよう。




最後までお読みいただきましてありがとうございました。

幼少期から苦労をし続けた徳川家康の名言からは、現代を生きる私たちにとっても学べることが多いのではないかと感じております。

今回の名言と本の紹介エッセイが何かしら読者の皆様のお役に立てたら幸いです。

興味を持っていただけましたら、ぜひ次回作も楽しみに待っていて下さると嬉しいです。

これからも名言と本の紹介をコツコツと続けて参りたいと思います。
応援のほどどうぞよろしくお願い申し上げます。

戦略マスター頼朝


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