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『そんな時もあるよ』の言葉が辛過ぎた話


発達障害の子供を育てるのが辛い


こんな言い方をしては定型発達も違うしんどさがあるし、

どんな子育てであっても大なり小なり辛さはつきものだと思う。

しかし
8歳に暴力を振るわれ、キレ散らかされ、
あまつさえ言葉のコミュニケーションがうまくいかない。

これをどう楽しめば良いのだ?と考えてしまった。

暴力を振るわれることを笑い飛ばすのか?
辛いと思う心を上書きするように
なんてこと無い日常として捉えるのか?

正直言って私は自分の心に嘘をつきたく無い。

だって痛いんだもん。
悲しいんだもん。
辛いんだもん。

上書き出来るくらいのタフさと容量は今の私には無い。


愚痴を言っても現状は変わらないのは重々承知


頭では理解しているし、他責思考になってるのもビシバシと感じる。

娘に私のハンドルを横から握られてる感じ。

無免許運転の娘は、ちょー蛇行運転で。
私は振り落とされそうやわ。

マリオカートやったら何回も釣竿で戻されてるで。

自分の心のハンドルをドリフトさせるくらいズギャーンとさせればいいのも分かる。


夫に『愚痴なんやけど。解決策もちゃんと考えてるし、共感して欲しいだけ、正論は欲しく無いの』

って伝えてから

今しんどいことを伝えたら

『今がそういう時期なだけ、そんな時もあるよ』

と言われて悲しい気持ちになった。


『大変だったね、今が辛いんだね』

って分かち合いたかっただけ。

理解されないというのは、どうしてこうも辛く悲しいのだ。怒りも湧く。

暴力を振るわれる辛さ、かんしゃくにならないように気を張る毎日。


それが嫌なの。

ブラック企業の上司に怒られないように
ビクビク怯えて生活するそれに似ている。

ハゲ散らかしたメタボな課長ではない。8歳の我が子である。


『親』を仕事をしている感覚。
親という役職で生活してる感じ。


ここまで書いてて思ったけど

私が娘に対して『私の存在を脅かす脅威』と思って接してるから

娘も私に対してそういう態度になるのかなぁ?

だから楽しめないのかな。

そもそも役職ではないんだよね、人間としては同期なんだよね。

対等でいたい。

テニプリの四天宝寺中も

勝ったもん勝ちやー!!

っていうてたもんな。
それはそうだわ。

要はそれに向けて行動したもん勝ちっちゅー話や。


物理的に近づきたく無い


娘と息子を物理的に離して

息子にこう言った。

『あんまり近づき過ぎたらまた叩かれるで。離れて』

この言葉に私の思いが集約されてるよな。

娘は私にとって脅威なのだ。

近づきたくないのだ。


じゃあその脅威とどう戦うのか?


私は戦いたく無い。

親の役職を捨てた素の私、
そうアホでちゃらんぽらんな私で
仲良くなりたい。

親としてでは無く、

宇宙人と仲良くなるように

ありのままのお互いを受け入れ合いたい。


結局私の気持ちを理解できるのは私なのだ。

当事者のママ達なのだ。

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