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ソロ人間の敵は「退屈」のみ。8月8日の日記

昨日は日記を書いたあと李琴峰『彼岸花が咲く島』を読み始め、あまりの面白さに一気に読み終えてしまった。感傷にひたりながら寝る。0時半すぎ。

私のいる文芸部が旧派と新派に分かれてしまった。人気があり部の中心的存在だったHが新派に移ったことで部員の大半は新派についた。Hは部外にも仲の良い人が多いので積極的に彼らにも声をかけ新派に引き入れているようだ。旧派に残ったのは部長と私の二人だけになってしまった。が、一応正式な部としては旧派が登録されていることから、新入部員は旧派のほうにしか入ることができない。4月に入ったばかりの新入部員が何人かいて、なかには元気のある面白い人たちもいる。私と部長にできるのは、もはや元いた新派に寝返った人たちを説得して戻ってきてもらうことではない。自分たち二人と新入部員とでできることをやるのだ。新入部員はまだ入ったばかりだが、彼らの力を借りてやるべきことをやろうと部長に話した。文芸部のお昼の回がまもなく始まろうとしていた。

朝8時に起きる。7時間半眠れた計算だ。エビリファイも飲みなれてきて、睡眠時間も長くなり、躁期が終わりつつあるのを感じる。

コーヒーを飲みながらネット。noteに『彼岸花が咲く島』の感想をアップ。

外は台風で荒れている。疲れて横になったりなど。部屋に掃除機をかけたり、食事をしたり、後片付けをしたりと、やるべきことを粛々とする。

それが終わるともうやるべきことはなにもなかった。本を読む。荒川和久『超ソロ社会』読了。2035年に日本人口の半分以上が独身になる。このソロ社会の課題だとかについて書かれた本。私はこの著者の『ソロエコノミーの襲来』も読んでいて、どちらも「なるほどな」と思わせられる内容なのだが、そこから一歩進んだ共感というか新たな発見がない。私にとって、ソロだとかなんだとかいうのはもはや当たり前になっており、むしろ世間の人がいまだに「家族」に囚われていたり、出産リミットまでに子供を産まないとと焦った女の人が必死に婚活していたり、独身だと孤独死すると言われたり、などといったシーンに直面すると、「いまだに世間はこんなフェーズなのか」と驚いてしまう。なんだか私一人だけがどんどん次のフェーズに行っており、世間はまるでそれに追いついていないような気がする。それこそ私は李琴峰の『彼岸花が咲く島』に出てくるような島で行われている暮らしのように、家族を持たず、人が個々でも同性でも異性でも自由に人と付き合う、子供も引き取って「オヤ」になって育てるのが原則、というような考え方に共感する。それこそがある意味「超ソロ社会」じゃないか?

まずもう私のなかでは「家族を作らなきゃ」「結婚しなきゃ」「子供を産まなきゃ」という発想がまったくない。一人で生きるほうがあらゆる意味でラクだと思っている。ただ、一人で生きるのには、とてつもなく大きな問題がある。「孤独死」なんかではない。孤独死なんかむしろどうでもいい。自分がどんな死に方をするのかわからないし、なんで孤独死はダメなんだ?別に孤独死を恐れる必要なんてないではないか?死んだあとのことなどどうでもいい。

一人で生きる人間に降りかかるとてつもなく大きな問題、それは「退屈」だ。

人生とはそもそも死ぬまでのヒマ潰しなわけだが、一人で何年も過ごすとなると、どうやって時間を潰すかというのが大きな問題となってのしかかる。たとえばやりがいのあるのめりこむ趣味を見つけたり、多くの友人と交流したり、あるいはときどき恋愛の真似事でもしないと、とてもじゃないが死ぬまでの膨大な時間を自分一人だけでは潰せない。子供がいたりすると退屈しているヒマはないので、そういう意味では充実感を覚えるのだろう。が、もちろん自身の退屈しのぎのためだけに子供を作るというのは間違っている。

でも結局、人が恋愛したりするのも、「一人でいると退屈だから」という理由なのではないだろうか。たとえば食事をするにしてもどこか出かけるにしても、一人よりも誰かと一緒のほうが、会話もあるし発見もある。より「充実感」を感じられる気がする。ずっと家にいてなにもしてないような日でも、人と一緒にいるだけで意味のある日になる。それは「その人とゆっくり過ごした日」となるからだ。

私のように、映画やドラマを観たり本を読んだりといった受動的なことが趣味だと、それらに時間を費やしても人との関わりは生まれないので、どちらかというと虚しい。もちろんnoteに感想を書いたりなどのアウトプットはできるが、なんかそういうのではなく、もっと自身の身体や手を使ってなにかを生み出すような趣味を作らないといけない、と感じている。音楽でもいいし、絵を描くといったことでもいい。あるいはダンスだとかの身体を動かす系。趣味といってもアウトドア系の、人と一緒じゃないとできないことが趣味だと、だいぶ人間関係も変わる気がする。インドア人間は孤独なのだ。

が、新たに趣味を見つけるというのは億劫なことであることは間違いない。新たな友人や恋人を見つけるというのもまた億劫だ。結局は一人で、なにもやらないでいるのが一番ラクなのだ。でもそこから「退屈」との闘いがはじまる。ソロ人間の闘いは退屈との闘いだ。世間の圧力とか、周りが結婚してるとか、出産リミットだとか、そんなの関係ない。

「出産リミット」ってもっともらしいように語られているけど、この言葉自体が女性を苦しめている。「出産リミットがあるから早く結婚しなきゃ」と焦る女性は多いけど、今は40代で初産という女性だって多い。それに自分自身が産まなきゃいけないということもないのだし、別に里子を引き取るということでもいいのでは?きちんと手続きすれば、自分の子となるのだろうし。とにかく「産まなきゃ」というプレッシャーから焦りのあまり望まない結婚をしてしまったりするのは不幸だ。

私は今、そうしたあらゆるめんどくさいことから逃れて一人で気ままに生きている。今のところ仕事も順調だし、退屈に悩んでいるというのは、贅沢な悩みなのかもしれない。でも生きるためにクリアすべき悩みであることは確か。

あーやっぱり一日中家にいるのはしんどいー。明日は図書館に行くなりお昼食べに行くなりしよう。ちょっとでも退屈しのぎして気分転換しないとね。ソロはソロゆえに自分を大切に、自分を退屈させないように気を配らないといけない。これぞソロ戦争。



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