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自分探し

「自分らしく」

何回もこの言葉に励まされた。でも今振り返ると自分らしく存在できたことなんてあっただろうか。

小学生の時は、ドラマや音楽に興味なかったのに、いつ誰に話をかけられてもいいようにそのシーズンにやってるドラマは全部見て、音楽番組も毎週見て録画して歌詞となんとなくの振り付けまで覚えた。親に勧められた習い事や受験は全部やった。

中学高校はとにかく傷つくことへの恐怖心が強すぎて、一生懸命自我を抑えて生活していた記憶しかない。

あれれ自分軸で動いていた記憶が、、

他人軸での生活しか分からなくなると、他人の欲求や感情が自分に乗り移って、自分が何を感じているのか、何がしたいのか、何が好きなのか、ほんっとうに分からない。

私は、大学一年生で上京した時、自分が自我がないすっからかん人間であることに気づき始めた。それからずっと自分探しをしている。

そして、自分探しを始めてから約3年たつが、自分探し中も自分らしくない行動の連発だ。

友達のために頑張って何品もご飯を作った時は自分が料理が好きと思い込んでいたが、あれは友達に褒められたくて確実に無理をしていた。今は堂々と胸を張って自分が食材管理と料理が苦手と確信できる。アルバイト先まで歩くのが好きだったが、それを店長たちに言ったら褒められたので毎日続けた。あれも忙しい飲食店での労働でかなり疲れた後5kmも歩いて帰ってリフレッシュになるどころか逆に疲労が溜まっていたなと気づくことができる。

そうやって後から気付けるだけでもかなりの成長だ。

今はだいぶ自分がどんな人間か輪郭が見えてきて、その輪郭も認めることもでき始めた。

そして何かを選択する時他人にどう思われるか思った時点で私は空回りしだすので、直観を信じる訓練をしている。例えば友達より先にメニューを決めたり、誰にも相談せずに髪型変えてみたり、最近は親にも相談せずに二重整形をした。最高な気分だった。

自分、意外といい選択するじゃんと最近やっと思えている。自分の人生は自分の選択でないと成立しないと実感する。

でも自我を抑えて他人軸で生きていた自分のおかげで確実に今の私がある。小学校の頃ドラマをあんな熱心に見ていなかったら大好きな野木亜紀子さんの作品に出会えなかったし、音楽番組を見ていなかったら今でも大好きなアイドルに出会えなかったし私は音楽オタクにもならなかっただろう、ましてや東京に憧れて上京する未来も無かっただろう。

自分らしくなかった過去も自分らしいと認められて私は完成すると思う。

そして私はこれからも他人の感情や意見という荒波に自分を無くしたり、無くさなかったりして自分の保ち方を理解していくのかなあ

私の大好きなエッセイ本

若林正恭さん著『ナナメの夕暮れ』(文藝春秋出版)で

なぜ誰かに言われた何気ない一言に、何日も四六時中苦しみ続けなければいけないのか分からない。
そういう人間は自分を探して見つけないとこのクソ社会に生き抜くことができないのだ。

と書かれていた。ここでいうと私も自分をよく失くしやすい人間なので定期的に自分探しをしないと自我が死んでしまう、そういう性質の人間なんだ。

私は自分探ししなくても自分の人生を歩める人に憧れてきたが、ようやく心地よく諦めることができた。

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