学校のヒエラルキーは幻覚説
※このブログは全て個人の見解です
小中高皆さんはクラスのヒエラルキーを意識して生活してましたか?
ハイわたしはヒエラルキーがハッキリ見えてしまう人間でした
あの子は一軍のリーダーか、で、あの子は一軍の中に入るけれど無理して入ってる、あの子は二軍にいるものの最近はぶられ始めてるな、、てことは近いうち三軍の子に、話しかけるかも
とか
必死で脳みそで分析しながら自分は無難な位置に立つことを意識して傷つくことを逃れて生きてきました
とか言いつつもヒエラルキーの一番下になったこともあるし二軍にいたこともある感じです
ヒエラルキーが見えるのは、まあ観察力があるっていうのもひとつだけど、自分に劣等感を感じてる人、人と比べる癖がついている人、だと思います
誰かの上に立とう立とう、あの子よりはマシでいたい
と無意識に考え行動することでいつの間にかヒエラルキーを基準に動いていると感じます
そして大学生になっても私は入学当初ヒエラルキーがハッキリ見えてました
勝手に人を仕分けして、この子は一軍ぽいし怖そうだから壁を作ろう、キモがられたくないから愛想を振りまくのはやめようとめちゃくちゃに意識してキャンバスライフを始めました(当時の友達から聞いたら私はめちゃくちゃに愛想悪かったらしい)
この行為は差別的行為で人としては最悪だと今は感じます
しかし、入っていたクラブの関係で友人がとても多くでき、わかりやすくいうと味方が格段に増えたので自分を隠すことをゆーーーーーっくりやめていきました
それから1年半くらい経った頃にヒエラルキーは見えなくなりました
基本誰にでも同じ態度で話すことができ、面白いことに素直に笑えて、外見が派手めな子と話す時顔が引きつることもなくなり(たまにあるけど)、嫌なことは嫌と最低限だけど言えるようになりました
人間関係への考え方がガラッとかわりました
自分の位置なんてどうでも良いからとりあえず大好きな友達とたくさん会話してたくさん遊びたいと純粋にそう思えました
かと言ってヒエラルキーが見えていたのは100パーセント自分のせいだとも思いません
いじめられたこと、親に他の兄弟や子供と比較されながら育ったこと、可愛い子は何もしなくてもみんなに優しくされていることを何度も実感したこと、先生があからさまに生徒によって態度が違うこと、いじめられていた子にお前が悪いと怒鳴る先生がいたこと
そりゃヒエラルキー見たくなくても見えるようになるわ!
でも今考えると、人と比べる癖がついた自己肯定感の低い人間がさらに自己肯定感低い人間を製造していたとも思います
自己肯定感低いいじめっこは必死で私の上にのし上がろうとして、自己肯定感低い親は世間体を基準に子供を育てる、自己肯定感低い先生は必死で一軍と呼ばれる生徒に絡みに行く
きっとそういう負の連鎖がどこにでもあるんだなあ、、
これは、もしかして、自己肯定感の授業小学校高学年から中学の間にした方がいいのでは??
検討願う、、
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