「キャラ」を脱げ
言葉には意味の他に属性があります。陰(ネガティブ、否定的)の属性と陽(ポジティブ、肯定的)の属性です。
例えば、「楽しい」はポジティブな属性も持ち、「つまらない」はネガティブな属性を持ちます。
さて、導入です。
「変態」という言葉を聞く機会が増えました。ファッション関連の話題においてです。
「変態」という言葉は本来ネガティブな属性にあるので日常あまり使われません。
文脈を参照せず、単語の意味や属性に反射的に嫌悪感を抱いてしまうひとが少なくないからです。
実際にこの言葉を聞く現場ではポジティブなものとして「変態」というワードが用いられます。多少の注意を払いながら。
具体的にはデザイナーのこだわり、エンドユーザーのこだわりが強い場合を指して「変態」という言葉が使われます。
本来ネガティブな属性にある言葉を、誉め言葉としてポジティブに用いるのです。
文脈に依存するこの反転は愉快で小さな冒険でした。散文的な会話では到達できない快楽がそこにはありました。
しかし、事情は変わってきました。
「変態」をポジティブに反転して使用するひと、機会が増えた、という文脈のスライドによって、これまで反転という過程を経てポジティブ化されていた「変態」が「キャラ」としてベタで承認され始めたのです。
ここから本題です。
「キャラ」は複雑性を排除し、分かりやすさを提供します。
「キャラ」を装備することで、コミュニケーションが得意でないひとでも円滑に会話ができるようになります。コミュニケーションにおける摩擦が減るからです。
しかし、情報量を削ぎ落とした単純な記号である「キャラ」は平板な存在です。奥行きがないのです。そして問題はその入れ替え可能性にあります。
平板な記号的存在である「キャラ」を被り続けると、そのひとの唯一性が揺らぎ、誰かといる時、どこかに所属している時、「別にわたしじゃなくてもいいんだ」と、入れ替え可能性を感じ、自尊心を保てなくなります。
そして、お互いが「キャラ」を装備した状態ではコミュニケーション自体が平板化します。このコミュニケーションにも唯一性は見出せず、お互いがお互いにとって入れ替え可能になります。
「友だち」という記号に還元された入れ替え可能な誰かを見て、同じく「友だち」という記号に還元された入れ替え可能な「わたし」を発見します。これは「友だち」を「パートナー」という記号に置き換えても同じことが言えます。
ショッピングモール内の店舗に似ています。流動性が高く、入れ替え可能(店舗が入れ替わると昔そこになんの店があったのかすら思い出せないことは多々あります)な存在です。
さて、かつて、つっつきにくい存在であった「オタク」は「キャラ」化によって、コミュニケーション・ツールになりました。
「変態」にも同じようなことが起こっています。平板な「変態」が増えています。
コミュニケーションに限らず摩擦の少なさを求めると日常はどんどん平板化していきます。
先にも述べたように平板化したものは入れ替えが可能です。
ちなみに、入れ替えが不可能なものは「かけがえがない」と表現されます。この言葉は現在気軽に扱われていますが、本来なら尊厳に関わる大切な概念です。そしてその真の意味を理解して使うひとは多くありません。
僕は、摩擦によって、例え不快さをもたらすとしても、平板からの脱却、奥行きへの扉を用意するつもりで作品をプリントしています。
芸術とは、「キャラ」化の反対に位置するものだからです。平板化に抗うものです。
結論です。
「キャラ」は名刺にはいいでしょう。便利な道具です。大切なのは「キャラ」を脱いで接することのできる人間が周りにいるかどうかです。
コミュニケーションにおける摩擦の少なさは不快さを除去しますが、それ自体が目的化することは上述の理由により生きづらさに直結します。
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