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手漉き和紙フォトシートについて
先日、新たなグッズとして「手漉き和紙フォトシート」の販売を開始しました。
名前の通り、機械漉きならぬ手漉きの和紙にネガフィルムで撮影したものをプリントしました。
僕はデジタル化の過程を含まない写真を「作品」、デジタル化の過程を含むものを「グッズ」として区別しています。
デジタル化の過程を含まないアナログな物のもつ「揺らぎ」に魅力が宿るというのが、デジタル化しないものを「作品」とする理由のひとつです。
僕が「揺らぎ」に重きを置くのは、世界も人間も本来「揺らぎ」に満ちていると考えるからです。これは人間の理性による計算可能性におさまらないものと理解するとわかりやすいでしょう。
ただ、計算不可能性は操縦不可能性であり、それをそのまま受け入れることは万人にできることではありません。
なので、まるで世界も人間も理性で操縦できるかのように社会では扱います。この前提が共有できなければ複雑な社会は設計できません。
怖いことかもしれないが世界も人間も人生も操縦不可能である、この端っこを「作品」の「揺らぎ」によって提示するというのが僕の試みです。
なので、僕の作品を観て、怖い、不快と感じたひとは鑑賞に成功していると言えます。
話が逸れました。
写真はそもそも複製ですが、制作過程の違いでそのなかにも「揺らぎ」の振り幅があるのは興味深いことです。
このあたり、ヴァルター・ベンヤミンに結んで考えるなら、複製芸術とひとくくりにしても、その内、複製の精度の高低がアウラの多寡に影響する、というようなことなのではないか、といまのところは結論しています。
この「揺らぎ」を多くのかたの手に渡るようにしたいのですが、いまの時代、完全なアナログ過程のみでの作品づくりはコストがやたらにかかり、販売価格もそれに引っ張られて上昇します。
そこで、プリント技術のほうではなく、プリントする紙のほうへ「揺らぎ」を求めたのが「手漉き和紙フォトシート」になります。
繊維の集まる部分、手薄な部分で手漉き和紙そのものに「揺らぎ」が宿っているのです。そこへインクジェット・プリントを施すことでインクの乗りが均質ではなくなります。均質でなさが「揺らぎ」です。
この「揺らぎ」によって、「手漉き和紙フォトシート」は、区分としては「作品」に近い「グッズ」と言えます。
いずれは「作品」そのものをお手元に置いてほしいという思いはありますが、まずはここから、僕の写真の魅力を知っていただければと願っています。
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