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エンドロールは流させない

 もし、明日世界が滅ぶとしたら、今日、私はどうしたいのだろう。
 高校の屋上、深海の如く深い青に満たされた空を見上げながら、考えてみる。別に、生に対して、強過ぎる執着心があるわけではない。もし、明日死んでしまうのだとしても、多分この世に未練はない。
あ、でも、「もし」ではないのか。
 悠里ちゃんが予言する未来は、必ず的中するのだから。
「明日、世界が滅びるよ」
 いつものように授業をサボって屋上にやって来ると、既にそこにいた悠里ちゃんは私の顔を見るなりそう言った。明日、雨が降るよ、そんな風なニュアンスで。
 悠里ちゃんは、預言者だ。彼女が予言することは必ず的中する。
 春の暖かな日に、今日雪が降るよ、と突拍子もないことを言ったかと思えば、本当に雪だるまを作れるぐらいに雪が降った。桜を真っ白に染めたその現象は気象庁でも予想できていなかったことで、一時大きく日本を、いや世界を騒がせた。またある日には、物理の先生である滝見が、今日報道番組で取り上げられるよ、と私に教えてくれた。そしてその日の夕方、滝野の名は一斉に全国に知れ渡った。児童売春の容疑で。
「まさか、悠里ちゃんも、滝野の被害者だったとか?」
 今思い出すと、とても不躾な質問だった。私は、悠里ちゃんのその未来を予知する力をどうしても信じられなかった。だって、そんな超能力者みたいな同級生がいるなんて、信じられる? 
「あんなハゲたおっさんなんかに、興味あると思う? 私が」
 端正な顔立ちをした悠里ちゃんは、本来ならモテる、のだと思う。そう、本来なら。
 でも、誰とも群れを形成しない彼女は孤高の一匹狼だ。悠里ちゃんからは、いつも関わらないでくれ、というオーラがダダ漏れしている。
 そんな悠里ちゃんと話すようになったのは、私が屋上に行くようになってからだ。
「どうして、悠里ちゃんは私に未来のこと、話してくれるの? 他の人には、その力のこと、話してないよね?」
「何でだろうね。私にもわからない。どうして、あんたにこうしてこれから起こり得ることを話しているのか。話したところで、未来は変えられないのにね」
 いつか、悠里ちゃんは言っていた。酷く寂しげな瞳で。そこには、彼女にしかわからない絶望が確かにあった。

「あんたも、こんなところで油売ってないで、何かやりたいことでもやれば? 残り二十四時間足らずだけど、一つぐらいはできるでしょ」
 あいも変わらず海みたいな空を大の字で寝転びながら眺める私と悠里ちゃんは、まだ屋上で話していた。人生最期の時間は、限られているというのに。
「明日世界が滅びるっていうことを知ってるのって、私と悠里ちゃんだけ?」
「多分ね」
 ふーん、そっかあ。私は間抜けな声で呟く。死の実感は、中々湧いてこない。
「ちなみに、人類が滅びる原因は何?」
「隕石。明日のこれぐらいの時間に、降り注いでくる」
 あられが降り注いでくるみたいに、それは降り注いでくるのだろうか。ぼんやりと想像してみる。
「NASA? とかの凄い人たちでも、明日隕石が落ちるってわからないんだ」
 私の呟きに、悠里ちゃんは「日常の終わりなんて、案外あっという間なのかもね」、静かに微笑みながら言った。
 明日、日常が終わることを知っている私と悠里ちゃんより、明日もこの日常が続くと思っている人たちの方が幸せなのかもしれない。何も知らないままこの世を去る方が幸せなのかもしれない。明日の隕石が、もしたった一瞬の出来事なら、死んでしまったことすらも気づかないのかな。
 だけど、私と悠里ちゃんは、例え隕石の落下が一瞬の出来事だったとしても、明日死ぬことを既に知っている。そんな私たちが後一日でできることって、一体何だろう。
「ねえ、悠里ちゃん」
「なに?」
「死ぬの、怖い?」
 ただ真っ直ぐと青空を見つめていた悠里ちゃんは、私の方に顔を向ける。僅かな沈黙が、その空間に生まれた。彼女のその透き通った瞳に映る未来は、どこまでも続いていくように見えた。続かないけれど。
「嬉しい、かな」
「え、そうなの」
 まさかの答えに、私は素っ頓狂な声を漏らしてしまう。でも、悠里ちゃんはとてもウソを付いているように見えなかった。
「私が、この世に執着しているように見える? 見えないでしょ」
 確かに、悠里ちゃんが、死にたくないと言っている姿は想像できない。でも、嬉しいとまで言うとは意外だったのだ。
「悠里ちゃんって、厭世的だよね」
「そう? かなり楽天的なつもりだけど」
「楽天的な人なら、死ぬのが嬉しいなんて言わないよ。多分」
「それは、どうだろうね」
 上体を起こした悠里ちゃんはそのロングの黒髪を優雅に揺らしながら、私を見下ろす。いつ見ても、神秘的な美しさを兼ね備えている十七歳だった。私も、叶うことなら彼女のようになりたかった。
「私はね、来世に期待してるの」
 立ち上がりフェンスに向かいながら、彼女は続ける。
「もっと、普通に生きたかった。普通の女子高生みたいに、異性の話で盛り上がったり、オシャレなカフェに行ったり、インスタグラムで承認欲求満たしたり、ね。こんな力、別にいらなかった」
 フェンス越しに映る平和な街並みは、果たして悠里ちゃんには窮屈だった。全てを見通せる彼女の瞳は、本来なら予想もつかない人生から色を奪い続けている。楽しみに待っていた週刊連載の漫画の続きがいとも簡単にネタバレされてしまうように。その漫画自体から興味を奪い去ってしまうように、悠里ちゃんもまた、自身の人生への興味を失っていた。
「だから、次生まれ変わるときは普通の何かになりたい。またどこかの星で新たな文明が生まれれば、の話だけどね」
 私には、明日の死ぬ間際まで、悠里ちゃんの苦悩や葛藤にはわからない。なぜなら、私が普通の人間だから。何も、持たざる人間だから。凡人に、天才の孤独は理解できない。そしてまた、その逆も然りで。
「普通って、悠里ちゃんが思うほど尊いものではないよ」
 私は上体を起こし、そのしなやかな背中に向かって呼びかける。背中はこちらを向かなかったけれど、構わず続ける。
「私は悠里ちゃんが羨ましい。だって、未来が視えるなら、未来を変えられるじゃない。普通の人は、見えない未来に向かって事前に準備することしかできない。仮に完璧な準備をしたとしても、上手くいくとは限らないんだよ。だって、例えば受験がそうでしょう? 合格という未来に向かって、どれだけ勉強したとしても、必ずしも合格できるとは限らない」
 高校受験に失敗した苦い記憶が呼び起こされていく。中一から志望していた高校にはどれだけ勉強しても、届かなかった。あのときの、親の失望した顔は今でも忘れられない。
 もし、私が未来を見通せる力を持っていたら、今はもっと違う人生を歩んでいたのだろうか。明日世界が滅亡するとわかったとき、その世界線の私は隕石を憎たらしく思っていたのだろうか。
 だけど、結局行き着く今は変わらないのだろう。そんな世界線の私も、きっとこうして屋上で青空を見つめている。明日、死んでも構わないと思いながら。
「あんた、多分何か勘違いしてるかも」
 太陽の光を背にして、悠里ちゃんは私をじっと見つめる。終期末の世界に現れた女神のように神々しい輝きが、そこにはあった。
「私は、別に未来が視えるわけじゃない。世界が、私の思い描いた通りになるの」
 えーー? 声は、出なかった。頭がその現実を理解するまでに、どれほどの時間がかかったのだろう。わからない。わからないけれど、多分目の前にいるのは、この世で最も神に近い存在だった。
私の力、自分自身のためには何一つとして使えないまがいモノなんだけどね。悠里ちゃんは、再び青空に視線を戻し、話し始める。
「いつからだったかな。物心ついたときから、自分の思い描いたことが現実に起こるようになった。真剣にこうなって欲しいって願う感じじゃなくて、何となくこうならないかなー、みたいな感じで考えたことだけしか起こらないんだけどね。春に雪が降ったら綺麗だなーって思ったら本当に降ったし、物理の滝野がいやらしい目で見てくるから捕まればいいのにって思ったら本当に捕まったし。私に備わってるのは、そんな力」
「悠里ちゃんの思い描いた未来は」
「覆らない。十七年間、その通りになってきたから。寸分も狂うことなく」
 この世界は、たった一人の少女の気分で成り立っていた。この世界をリセットして普通の何かに生まれ変わりたいという、その一心で、明日地球は滅びる。
 私の十七年間は、一体何だったのだろう。途端に、今まで生きてきた道全てが、馬鹿らしいものに思えてきた。同時に、何かが弾け飛ぼうとしていた。何か、抑え切れない衝動のようなものが。
「…未来を変える方法は、一つもないの?」
「ある…かな」
「なに?」
「私の死だと思う。この世界から私が切り離されたその瞬間に、元の在るべき姿に戻るんじゃないかな。確証は何もないけど、きっとそんな予感がする。私は地球に紛れ込んでしまった、何かだから。存在してはいけない生物なの」
 私は、ゆったりとした足取りで悠里ちゃんの元に近づいていく。
「悠里ちゃん」
「なに?」
 その視線は、まだ遙か上空を見据えている。
「私、今まではいつ死んでもいいって思って生きてきた。なにもいいことなんてなかったし、私自身何の力もないただの凡人だから。明日死ぬなら、それはそれで楽だと思った。ようやく、こんな不条理に満ちた世界からおさらばできるんだって」
 きっと、私は自分の意志で生きていくことを放棄していた。この足で歩んでいくことを諦めていた。いつだって、この世界の不条理に抗わなければならないのに。それが、生きていくということだから。誰かに、明日の私の運命を決めさせるわけにはいかなかった。例え、相手が神に等しい存在だとしても。
 眼前に佇む「何か」に向かって、私は叫ぶ。
「でも、私は明日も明後日も生きていく。私の人生だから。生きるも死ぬも、誰にも決めさせない」
 神は、振り返り静かに微笑んだ。エンドロールは、まだ流させない。

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