お茶漬けの「さらさら」はどこから?
お茶漬けが大好きである。特にわさび茶漬け。わさびの風味が味を引き締めてくれて、インスタントに和の世界に飛び込んでいける代物。お酒の締めにも最高、最&高の極み。
そんなことはどうでもよくて、お茶漬けに時々使われる擬音として「さらさら」がある。
「小腹を覚えた私はとりあえずお茶漬けを用意し、さらさらと食べた」
小説や漫画で擬音として用いられるが、これはなんなのだろうか。
さらさら、とお茶漬けを食べることはない。ずずず、と食べるしカチャカチャと箸を進める。いまいちさらさら感はない。
さらさらに風情を感じるのと同時に違和感もある。どこからこの表現は来たのだろうか。
さらさらに違和感を持つ人を発見
インターネット社会は便利なもので、キーボードを叩くことで他人の考えに接触することができる。
https://kotonoha-sorcery.com/sound/sarasara
こちらの記事では私と同様の疑問が示されていた。
私の持つ違和感と同じく「わかるっちゃわかるけど、変じゃね」という所感のようだ。
この記事内ではお茶漬けサラサラという単語が出てくる。
私は永谷園のお茶漬けしか食べたことがなく、このような商品があることを知らなかった。
更に、ウィキペディアの姉妹プロジェクトにあたるウィクショナリーに「さらさら」の説明項目があった。
ここでは川の水が流れる様子とお茶漬けが食される様子が同じように説明されていた。多くない水流が淀みなく流れる様子をお茶漬けに見たのだろうか。文学的に興味深い視点に思える。
お茶漬けサラサラとはどんな商品なのか
先ほどの記事で出てきた「お茶漬けサラサラ」について調べてみる。
お茶漬けサラサラは株式会社白子(通称 白子のり)から発売されているお茶漬けブランドだ。
会社の歴史は長く創業は明治2年、設立は昭和18年となっている。創業の1872年から考えると150年以上の歴史があるわけだ。
失礼ながら私がお茶漬けサラサラを知らなかったのは盲目的に永谷園を買うばかりであったのが原因かもしれない。白子の事業所は全国にあり、大阪にも工場がある。全国的に販売されている商品なのだろう。
この会社のCMは俳優の伊藤四郎が出演しているようでCMの歴史も古い。
今でもYouTubeで見られたものは1986年頃のものであった。
ナレーションでは「あ、さて新しい日本のお茶漬けです。摘みたて海苔がたっぷり入った白子のりお茶漬けサラサラ。新発売」と語られている。確認できる中に「さらさら」を擬音として使っている感じはしない。あとCMの中でめちゃくちゃ昔の食卓が出て来るのだが、今なら炎上しそうだなと余計なことが気になる。
探していると白子のりの他のCMに関する情報があった。このブログを書いた人によるとお茶漬けCMの歌があったようだ。他でも書かれていたので、ドラえもんンのタレントみたいな現象でもないかぎり放送されていたのだろう。詳細は以下のようなものらしい。
なんか怖い気がするのは私だけだろうか。やっぱりタレントみたいなことじゃないの?
もし、お茶漬けサラサラから擬音が決まったのだとすれば、こういったCMによって文化に浸透していったことになるだろう。では、これ以前にさらさらと表現するものはなかったのだろうか。
落語の擬音はどうなっているのか
かといって私には文学に深い知識があるわけでないので、お茶漬け食ってるくだりのある作品をあまり知らない。太宰治の作品のどこかで未亡人とお茶漬けをさらさらと食っている場面があってもおかしくはないが、先人の作品は膨大な数がある。
困っていたところで思い出したのが「落語」である。
落語は擬音を上手に表現する。どれだけ蕎麦を食うんだというぐらいにずぞぞぞずぞぞぞ音が出る。言葉と身振りによって描写された場面に音で色がついていくのだ。
落語にはお茶漬けを題材にした演目があることを知っていた。
やはり有名なものは上方の「京の茶漬け」になるだろう。
京都人が帰り際に言う「お茶漬けでもどうですか」を聞いて、本当に食べてやるためにわざわざ京都まで行った男の話だ。
これならお茶漬けを食べるくだりもあるし「さらさら」と食べるかもしれない。
お茶漬けを食べる場面を聴きました。
「それじゃ、いただきます。ちょっちょっちゅじゅじゅーる」
https://www.youtube.com/watch?v=gAMeEEY7gX4
(7:56~)
桂紗綾さんは大阪では馴染みのあるアナウンサーの方で、これはラジオの中での落語披露でした。
他にも桂米朝の京の茶漬けや桂枝雀の茶漬けえんまも見ましたがどれも「じゅるじゅる」「ずずず」といった表現ばかり。リアルに表現しようと思えばさらさらの入る隙はないのだ。
まとめ
お茶漬けをさらさら食う奴はいない。すすらずに熱いお茶漬けをさらさらなどと食うていたら火傷は必至、皮がベロりである。
ただ、そのお茶漬けをさらさらと表現することに意味がないわけではない。食べる人の品が感じられる場合もあるだろうし、空間に静けさが求められていることもあるだろう。何かがあってお茶漬けが冷えてしまっていたのかもしれない。日常生活には無い空気を演出したいならお茶漬けはさらさら食べることになる。
つまり、お茶漬けの擬音に明確なものはなく、お茶漬けのある空間自体を表現するために臨機応変に変化するものなのだ。
さらさらとお茶漬けを食べる。のはお茶漬けを中心とした空間が描写されている。
今回はさらさらの痕跡を辿ることはできたが、明確な原拠を掘り当てるには至らなかった。引き続き調査を続けたい。
ていうか誰か知りませんか。おわり。
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