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芸術とスポーツは融合しうるのか?

 元新体操選手、ろるです🎀

 今回は、「スポーツ」と「芸術」の関係についてです。
 スポーツは、人を熱狂させ、感動の渦を作ります。
 フィールド上で汗を輝かせながらひたむきに挑戦し続けるスポーツ選手の姿は、時に芸術作品に値するような美しさを感じさせます。スポーツの場面には、数えきれないほど、「美しい」と感じる契機があります。ひたむきに挑戦する選手、選手の肉体、整ったフィールド、一致団結し声を出し合う観客の姿…。
 しかし、結論から述べると、「スポーツは芸術ではない」というのが、最近での学問の定説です。
 私はここで、自分がやっていた新体操というスポーツを思い出します。

新体操もスポーツだから芸術ではない、ということ!?
大学院1年生の私

 今日は、そんな芸術っぽいスポーツについて考えていきます!

スポーツは芸術なのか?論

 大学院時代、縁あって「スポーツ哲学」専攻のゼミに所属し、「スポーツとは」「運動とは」というような「そもそも論」を考えていました。一つ下の学部生の子は、「スポーツは鑑賞できないのかなあ」という疑問のもと研究をしていたのですが、それをきっかけに「スポーツと芸術」について考えるようになりました。

 スポーツと芸術に興味を持って、一番しっかり読んだのが、スポーツ美学の権威である、樋口聡先生の文献でした。樋口先生は元陸上選手ですが、クラシック音楽が好きで、スポーツをする傍ら芸術の世界を好んでいたそうです。
 それまで、スポーツと美に関する考えは日本では浅く、あったとしても、

・スポーツの肉体美にのみ注目した研究
・スポーツの美しい場面のみが抽出されたもの

があった程度でした。

 先生の博士論文であった『スポーツ美学』は、そのようなこれまでのスポーツと美の研究を踏まえ、海外での学説も取り入れながら、「スポーツと美・芸術」についてまとめられた読み応えのあるもので、当時の私は手書きでメモをしながらじっくり読んだ記憶があります。(それでも解釈不足な部分は多々あり💦)

 特にスポーツと芸術について、海外ではすでに、「スポーツ・芸術論争」とも言えるような、バチバチのやりとりがあったようです。

 「スポーツは芸術である」派のワーツくんは、このような考えです。

ルース・ソウという人物は、芸術作品を、①芸術家自らの手で作り出す「物体」②実演芸術や複製芸術の基になる「指示書」③「実演」④鑑賞目的で制作されるわけではないけど、美を喚起させる「物体」「実演」 の4つに分類している。スポーツはこの中でも、③④に当てはまる。だから、スポーツは芸術なんだ!
『アーティスティックスポーツ研究序説』p,27.28

一方、「スポーツは芸術ではない」派のベストくんは、以下のように考えたようです。

まず、スポーツは”目的と手段が明確に区別できる「目的的スポーツ」(サッカーや野球など)”と、そうでない「美的スポーツ」(体操やフィギュアスケートなど)に分けられる。どちらも美しく、特に美的スポーツは美が意図的に作り出されているが、美的=芸術ではない。だから、スポーツは芸術であると言い切ってはいけないだろう。
『アーティスティックスポーツ研究序説』p,28.29

 彼らの論争はこの先ももっと続きますが、ここでは省略します。


芸術と美について



 さて、ここで、「美」と「芸術」について少しだけ考えてみましょう。

 私たちは、きれいな景色を見たときに「美しい」と感じます。また、綺麗な人を見ても「美しい人だ」と言ったり、整然とした部屋を見ても「美しい部屋」と言ったりします。

 同じように、芸術作品についても「美しい」と言うことがあります。フェルメールの代表作「真珠の耳飾りの少女」は、容姿の整った女性が、大きな耳飾りをつけているのが印象的で、まるでそこにいるかのように描かれていることから「美しい」と評価されます。

真珠の耳飾りの少女 ヨハネス フェルメール

 このように、芸術と「美しさ」は同列に並んでいるかのように感じますが、果たして本当にそうでしょうか。

 では、美しいものは全て芸術的であると言ってしまってよいのでしょうか。初日の出を見て、確かにそれは美しいですが、それが芸術的かと言われると…。美しい女性も、女性は芸術作品ではありません。ひたむきに走るスポーツ選手は、確かに美しいですが、選手自身は芸術的ではないのです。

 つまり、美しいからと言って、=芸術であるとは言い切れないのです。
 ベストくんが言っていたように、「スポーツは美しいからといって芸術であるとは言えない」のです。

芸術って何ですか?

 では、ここでさらに浮かんできました。

 次は、芸術の概念について考えていきます。

芸術(art)の概念は、変化を遂げながら進化してきました。歴史を辿ると、確かに「美しければアートだ」なんていう時代もありました。
 そういう時代を経て、芸術といえばこれは外せないだろうという定義があります。

①人工物であること
②作者ー作品ー受容者の3つの立場がある
③表現主体にメッセージがあること
さまざまな書籍を私の頭の中でまとめたもの。なのでかなり過不足あり。ごめんなさい。

 これら3つが揃って芸術であると言われるそうです。こうした時、先に述べた初日の出は①の条件がないので×、美しい女性も何かメッセージを発しているわけではないので×、ひたむきスポーツ選手も、選手自身が何かを表現しているわけではないので×です。

 芸術には、人が作り出したもの、そこに作ったもの・表現するもの、その表現されたものを受け止めるものの3者の立場が必要で、さらにその表現には何かしらのメッセージが必要です。これらの条件がクリアできたとき、「それは芸術である」と言えるのです。

 なので、芸術には「解釈」が必要になります。表現された何かしらのメッセージを、受け取る側は「経験」や「知識」を使って解釈する必要があります。


 先ほどの「真珠の耳飾りの少女」。見た目の美しさのみで「美しい」と評価したのでは、これは単純に美しいものになり、芸術的であるとは言えません。

 では、ここに解釈を加えるとどうなるのでしょう。例えば時代背景。この絵が描かれた時代に着目してみる。それから、フェルメールの人間について。この女性はフェルメールとどのような関係性なのか。さらに、身につけているもの。真珠の耳飾りや頭につけているターバンは、この時代・この国にとってどのような意味があるのか。絵画の画法にも注目してみる。このように、知識を総動員すると、この絵は単純に美しいものではないということが分かります。


私は残念ながら美術史や画法について知識がないので、この作品を芸術的に見ることが難しいのですが💦上のサイトに詳しく説明がされていたので、参考にしてください。

 私のような知識のない人間は、芸術作品を芸術的に見ることができません💦

改めて、スポーツは芸術なのか?

 こうしたことを踏まえ、私の研究の出発点である樋口先生は、このように述べます。

 スポーツは芸術ではない。しかし、芸術的な側面をたくさん含んだものである。
樋口先生の言葉をまとめました。

 こうしたことから、スポーツ=芸術 ではないの定説ができたということです。私はここまで聞いても、腑に落ちませんでした。

 ん?新体操は、ただ美しいスポーツじゃないぞ。選手は音楽に合わせて何かを表現しようとするし、それを受け止める観客や審判員がいる。しかも一つの演技のことを「作品」って言ったりするし…新体操も含めて「スポーツは芸術ではない!」と言い切っていいのか?
大学院1年生の私

 確かに、スポーツと芸術はイコールではない。サッカーで見る選手の美しさは芸術的ではない。だって選手がなにかを表現しようとしているわけではなく、こちらが勝手に美しく見たからだ。でも、新体操をはじめフィギュアスケートやアーティスティックスイミングは、サッカーや陸上や野球と同列で考えていいスポーツではないはずだ。表現されるし、ある一定の知識を持ってそれを受け止めることができる。

 こうした、芸術により近いスポーツを、元フィギュアスケート選手である町田樹さんは、「アーティスティックスポーツ」と呼んでいます。

町田樹さんの『アーティスティックスポーツ論』

 町田さんは、まず、スポーツは以下のように分類できると述べます。


①対戦競技…サッカー、野球、ボクシング等
②記録競技…陸上、競泳など
③採点競技…体操、フィギュアスケート等
『アーティスティックスポーツ研究序説』p,70

上記の分類は一般的なものですが、町田さんはさらに以下のような分類を提唱しました。

①純粋なスポーツ(sport)
…上記の対戦競技、記録競技
②フォーマリスティックスポーツ
(formalistic sport)
…技の難度と質のみを競うスポーツ。
③アーティスティックスポーツ
(artistic sport)
…評価対象となる身体運動の中に表現行為が内在するスポーツ。
『アーティスティックスポーツ研究序説』p,70

 この中の②には器械体操が、③にはフィギュアスケートや新体操をはじめとするスポーツが含まれるといい、ここで同じ「採点競技」と括られていた器械体操と新体操の境界ができます。どちらも審判員が点数をつけて順位が決まるという方法には変わりないですが、器械体操と新体操の目指すところは明確に違うということがはっきりしました。

 では、器械体操とは異なる新体操は、どこを目指せばいいのか。ここで、新たに提唱された「アーティスティックスポーツ」は、詳しく述べると以下のようなスポーツであるといいます。

〈アーティスティックスポーツ〉(artistic sport)とは、「競技規則が選手に芸術性の発揮を課しているスポーツ」を同定するための概念なのである。
『アーティスティックスポーツ研究序説』p,52

 さらに、アーティスティックスポーツが成立する条件として、

(a)日常生活とは異なる意味連関を持つ特殊な情況の中で、人為的な規則に基づいた、他人や過去の自分と競争することを含む身体的活動で、
(b)なおかつ規則が、競争の結果を決定する因子として、表現意図に基づく身体的活動と、競争関係にある当事者以外の他者によるその身体活動の解釈を要求していること。
中略
(c)(b)の身体活動と解釈の両者が、芸術史的コンテクストを求めているか、あるいは芸術の制度による影響を受けていること。
(d)(b)の身体活動と解釈の両者が、スポーツ史的コンテクストを求めているか、あるいはスポーツの制度による影響を受けていること。
『アーティスティックスポーツ研究序説』p,67.68

としています。これは、スポーツの競争の考えと、アーティスティックスポーツに限定される「表現」、さらに芸術の成立条件である「解釈」や「歴史」を入れた条件です。これら全てを包括するものが「アーティスティックスポーツ」なので、サッカーや野球、陸上といった対戦・記録競技が外れることはもちろん、スポーツではないバレエや舞踊とも異なることがはっきりします。

 また今度書きますが、実は現在、アーティスティックスポーツに含まれるスポーツは全て「音楽」を使用しているそうです。なので、これも踏まえて、

「評価対象となる身体運動の中に、音楽に動機付けられた表現行為が内在するスポーツ」
『アーティスティックスポーツ研究序説』p,68

がアーティスティックスポーツであるといいます。

 そうして定義された「アーティスティックスポーツ」は、「スポーツ」と「芸術」の汽水域であり、スポーツの良さも、芸術の良さも、どちらも体現できるものであるといいます。

スポーツとアートの汽水域

 こうして、私の大学院時代の思いは、腑に落ちたわけです。
新体操は、スポーツの芸術の境界に位置する。スポーツだが、芸術的な要素を必要条件とする。新体操選手自身はアーティストになりうる。

 確かに、スポーツ自体は芸術ではありません。むしろ、芸術に内包できない要素をたくさん含んだ、それだけで自立する文化です。

 しかし、中には芸術と切っても切り離せないスポーツがある。そんな場所に、新体操はあります。

つまり、スポーツと芸術は融合しうる!そしてその融合を可能にするのが「アーティステックスポーツ」である!

 ならば、アーティスティックスポーツ特有に考え方があるのではないだろうか!!

これから、町田さんの『アーティスティックスポーツ研究序説』をヒントに、私なりの「アーティスティックスポーツ論」を展開したいと思います。

 次回は、「アーティスティックスポーツ」とは を詳しく。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました☺


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