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東京五輪新体操金メダル騒動について~芸術スポーツとスポーツの結果の関係~①

 こんな題名をつけること、私には新体操の恥さらしのように思えるのですが、一番内容が伝わるのでこうした文言にしました。

 先日行われた東京五輪。新体操では歴史的な1頁が刻まれることとなりました。

何があったのか

 1年越しに行われたオリンピック。新体操は五輪の花形とも言われ、最後の2日間に行われました。個人ではイスラエルのリノイ・アシュラム(Ashram Linoy)選手が優勝。2000年シドニー大会から5大会連続で優勝してきたロシア(今大会はROCとして参加)を差し置いての優勝となったのです。

 今大会も優勝候補筆頭であったロシアのアベリナ姉妹(双子)は、大会前から双子で金・銀を獲るかもしれない!と注目されていました。(兄弟で同種目で金・銀は、すべての競技で前例がなく、今回はその第一号として期待されていた。)特に妹のDina Averinaは、直前3年の世界選手権を3連覇しており、優勝最有力候補とされていました。

 この結果に対し、ロシアは国を挙げて猛反発。FIG(国際体操連盟)に抗議まですることとなったのです。

抗議の中身

 ロシアの主張は「ディナが勝っていた」「優勝はディナであるはずだった」というものです。特に、最終種目のリボンでアシュラムがミスをし、ディナはミスなく演技したことを引き合いに、「ミスをした選手が優勝して、ミスをしていない選手が優勝でないのはおかしい」と主張。主な発言は以下の通り。

・ディナ「フェアだったとは思わない」(試合の翌日の発言)
・ヴィネル(ロシアの新体操界のトップ。とても権力を持っている。)
「採点が不当」「新体操への侮辱」「審判員は(長年王者に君臨する)ロシアにうんざりしていたから、イスラエルの選手を支持した」
・ロシア外務省役員「全世界の前で捏造をした」

 ほかにも、ロシアのバレリーナやフィギュアスケート関係者までもが、同じような主張をしています。

 FIGはこの抗議に対し、「採点は不当ではなかった」とし、ロシアの主張を退けました。しかしロシアの怒りは収まらず、決着の場を裁判にまで持ち越そうとしているようです。

本当に不当だったのか

 実際、今回の採点は私はフェアであったと思っています。私は審判の資格を持っているわけではないですが、新体操の眼を持っている人ならば納得のいく結果になったと思います。

 それは、先に述べたリボン以外の演技の内容からわかります。新体操個人は、「フープ」「ボール」「クラブ」「リボン」の4種目の合計点で順位が決まります。いくらリボンの演技の出来がよくて点数が出ても、他の種目の点数が伸びていなければ優勝はできないのです。

 今大会で優勝した、アシュラム選手のリボン以外の3種目は、「神がかっていた」ように見えました。身体・手具(リボン等の道具を指します)・音楽全てが一体となり、一つ一つの技のこなしも確実でした。そして何より、「自分の演技をする」それに尽きる彼女の意識が伝わってきました。
 実際、演技の難度(技)の出来を現すD得点は、ロシアのアベリナ姉妹よりも上で、その結果は審判から見ても確かであったと言います。

 一方のディナ選手の演技は、一種目目のフープからやや縮こまった印象で、元来彼女が持っている思い切りのよさや難しいことを簡単にこなしてしまうよさは見えたものの、何か別のことを意識しているようでした。
 つまり、「優勝」という結果にこだわり、自分の最大限を発揮するというよりは、うまく収めようとする、そんな意識が垣間見られたのです。(彼女は本当はどう思っていたかは定かではありません。)

不当にならない採点方式

 さて、私の考えを述べましたが、こうした私のような主観、「新体操の眼」だけで採点されることは、主観的で平等でないジャッジとなりかねません…(*_*)ので、最近ではそうならないような工夫も為されているようです。例えば審判員の国籍が偏らないようにすること。ルールも、より主観の入らないような、○×のはっきりしやすいものに変化していること。そして「inquiry」という制度を導入したこと。これは出た点数に納得がいかない場合、再審査を要求することができる制度で、要求された場合映像をもとに再び採点が行われます。本大会でも何度も使われ、これによって点数が変わったこともありました。

 こうした○×はっきりルールは、「新体操の芸術性を失わせる」と批判を浴びることもありますが、「よりスポーツらしく」公正なジャッジを行うために必要なものでもあり、以前に比べると人間の主観に頼らない採点となっているように思います。

 採点競技の難しいところで、まだ完全に客観的で平等なジャッジが叶っているとは言えませんが、ある選手にとっては不当となってしまうような審判がなされないようになっています。

 (余談ですが、昔は国体では「開催地得点」なるものも存在し、開催地のチームが優勝・もしくは入賞するように、よく点数が出るようにするなんてこともあったように思います。開催県にバイアスをかけることができる採点方式だった時代もあるということです。)

前半のまとめ

 東京五輪新体操は、結果が出てから波乱の展開です。ロシアが金メダルを逃したことに対し、採点にバイアスがかかっていたと抗議。しかしこの結果は覆ることはないように思いますし、私はバイアスはかかっていないと感じます。より公正な採点に向かっているということもお話しました。

 さて、こうした事実をもとに、私は疑問に思ったことがあります。
 それは、「新体操はこんなに結果に執着するスポーツだったか?」ということです。

 この事態を受け、新体操界は大事なことを失ってきているということを身に染みて感じました。いや、もしかしたら、私が思っている大事なこと、つまり新体操の軸であった概念は、変化してきているのかもしれません。

 この疑問については、後半でまとめたいと思います。

頑張って早めに書き上げます!!!


最後まで読んでいただきありがとうございました(^-^)

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