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元新体操選手が考える「美」⓪なぜ美しくあるべきか?

 前回の投稿では、『なぜスポーツで人は感動するのか?〜スポーツ美学を用いて〜』と題し、スポーツで感動する素晴らしい体験はなぜ起こるのかということについて、スポーツ美学の観点から少し分析してみました。やっぱり、人の心を打つスポーツは私たちに新たな世界を見せてくれると同時に、自分の憧れや思いを代弁してくれる、私たちの心のヒーロー的な存在になりうるなと感じています。

 さて、今回は新体操には欠かせない「美」についての考察第0弾として、新体操になぜ美が必要なのか」について考えていきたいと思います。

新体操に必要な「美」についての解説−ルールから−

 まず、新体操に「美」は欠かせない、と述べていますが、なぜ「美」を求める必要があるのでしょうか。少し新体操のルールについて話しましょう。

 新体操のルールは、毎年オリンピック後4年に一度内容が変わっていきます。それも、ほかのスポーツと比べると主軸が変わるほどの大きな変更になるのですが、それでもずっと採点の基準にあたる2つの要素は変わっていません、それは、「D難度:技術点」と「E難度:芸術点」です。

 技術点では、身体や手具(新体操で使う道具。リボンなど)の“技”についてみます。技には一つ一つあらかじめ点数が配分されており、演技の中でその技が完成できればその技の点数がもらえます。形が崩れている・十分な静止がない、手具の操作を失敗してしまう、などすると点数はカウントされません。(つまりその技は0点)これはそのつど、点数がカウントされるか否かについて判断されます。

 一方芸術点は、「音との調和」「場の使用のバランス」などの演技全体の印象によって演技終了後に点数をつけるものと、技の失敗などにより演技の雰囲気が崩れるなど、そのつど減点されるものとがあります。芸術点ではその名の通り、演技の芸術性についてジャッジをするものです。○×で判断するのではない、人の印象によって判断されるもので、ここが新体操に必要な「美」的な要素と強い繋がりがありそうです。

 「美しさ」については、上記の芸術点によってジャッジが行われます。ただ、「美しいかどうか」という直接的な判断というよりかは、「美しい」の中の要素による判断(例えば足先が伸びているか、無駄に足を踏んでいないかなど)でジャッジが行われると言った方が正しいと思います。

 ただ、点数を取ることだけを考えると、技が完璧にできれば点数は出ます。要するに非常に極端な考えですが、多少美しさを欠いていても、難しい技をミスなくこなすことができれば点数は出て上位に食い込むことはできるということです。

新体操の本質にある「美しさ」

 では、勝つために難しい技ばかり練習して、それで点数を取る新体操選手がいた時、ほかの選手はどう感じるでしょう。批判が出ることは容易に予想できます。きっとルールで定められている以外の「美しさ」が必要な理由があるのだと思います。それは新体操の本質に関わる部分ではないでしょうか。

 本質とは、「それがそれたらしめるもの」。その要素がなくては新体操とは言えないもの、ということです。美しさは、新体操の本質ではないでしょうか。いつの時代も、美しい演技をするために選手・指導者は努力してきました。

プローポーション/身体の動き/曲との調和/コスチューム/表情…

  新体操の起源は諸説あります。バレエと体操の融合、体操に音楽をつけたリズム体操…生まれた国も、断言できませんが、「美しさを求めるスポーツ」という根っこがあったことは言えるのではないでしょうか。美しさがなくては新体操とは言えない、私たちは美しさを求めるために新体操をし、新体操をするために美しくあろうとしているんだと思います。

新体操でしか表現できない「美しさ」を求めて

 新体操には芸術点という点数配分があり、また「美しさを求めるスポーツ」という言葉もあることから、「新体操は芸術ではないか?」と思う方もいらっしゃると思います。実際、そのような議論が起こったこともあったようです。しかし、以前『新体操を研究してみない?』でも少し述べたように、新体操も含めたスポーツは芸術と同じようにはできません。音楽・美術・ダンスのような芸術とは枠組みは異なりますが、ただ「芸術的である」ことは言えると思います。

 どうしてもルールの変更が大きく、点数を取らなければ勝つことができない“スポーツ”ですので、ルールに大きく左右されているなと感じています。そんな中でも、自分の「目的」「憧れの新体操像」をしっかり持っている選手はいつの時代も強い上に人を惹きつける新体操をしているなという印象を持っています。現在のルールでは、美しさや表現よりも技の難度が重要視されていますが、それでも本質「美しさ」は変わらないと思います。技やルールに左右されても、新体操の本質や自分の理想・目的は見失わないようにしたいものです。

 そしてこれは私の理想ですが、ほかの芸術にはない新体操の「美しさ」や「芸術性」が明らかになれば、それが新体操の売りとなり、もっと広まるきっかけにもなりうるのではないでしょうか。今のところ、新体操の普及に尽力することは考えていませんが(そんな力はありません)、これから考える上で明らかになれば面白いなと思います。

 物事の本質を忘れずに、目的を持って自分らしさが表現できればいいなと思います。


 最後まで読んでいただきありがとうございました。新体操を軸に「美しさ」というテーマについて、これから数回に渡って考えていきたいと思っています。

Twitterもやっています:

@rolling0_0panna

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