見出し画像

手具に命を、そして愛を。

 私が新体操をしていた時、恩師の先生に言われた言葉で忘れられないものがあります。その一つが、

 「あなたは手具が身体と一体になった時、いい演技ができるわね」

 あの時、恩師は何の気もなしにボソっと私に言いましたが、私の中に妙にスッと入ってきたのを覚えています。

 手具とは、新体操で使う道具のことで、具体的には、フープ・ボール・クラブ・リボン・ロープの5つを指します。これらの手具と自分が一つになった時に上手くいく、というのです。だからといってそれはそう簡単にできるものではなく、自分の操る手具であるのに予想外のところへ飛んでいってしまったり、手具の扱いに精一杯で思うように身体を動かせなかったり…。手具というのは見た目以上に大きな存在で、手具の存在に頭を抱える選手も少なくありません。逆に、手具によって輝く選手もいたりします。(私はどちらかというと後者)

 新体操では「手具」ですが、同じようなことが「ボール」や「ラケット」などでも言えるかもしれません。今回はそんな手具(道具)と身体の関わりについて、考えたいと思います。

道具は操るものなのか

 新体操の道具である手具は、大小様々です。また、それぞれ大きさや重さ・素材等が規定されており、試合会場では毎回必ず「手具点検」が行われます。規定にクリアできなければ、その試合の点数はスコアにならず、試合に参加することはできても点数をつけてもらうことはできません。(もちろん順位も出ない。)

 それぞれの手具の規定は以下のとおりです。

画像1

公益社団法人 日本新体操連盟サイトより 

https://www.japan-rg.com/about/argrule.html 

 新体操人生を通して、必ず全ての手具に関わることとなります。どれも思ったより大きくて重いです。バランスやターンをしながら、体の軸の不安定な状態でこれらの手具を操作するのはなかなか至難の技でしょう。私は現役時代、この手具操作は得意な方で、逆に身体での技に限界を感じていたので、「手具の扱いを頑張ろう!」と思っていました。

 ですが、高校に入り引退が近づくにつれ、手具操作も大したことはできなくなる…。結局、どれも中途半端なまま引退を迎えました。

 ここでの私が伸びなかった要因は、「手具と身体を別物として捉えていたこと」だと思います。「身体はあまり動かないから手具操作で頑張ろう」「手具は苦手だから身体を極めよう」このような思考になりがちですが、そうじゃない。手具の扱いは自分の手が行います。結局手具を操作するのは自分です。手具を単なる道具と思っていたから、手具操作もうまくできなかったんだろうと思います。恩師からの言葉を体現せずに引退したこと、少し後悔しています。

道具に命を愛を

 そういえば、試合前日には先生からこんなことをよく言われていました。

「今日は明日使う手具と一緒に寝てね」

 毎回冗談半分だったので実践することはなかったのですが…これは新体操ではよく言うことだと思います。「明日は頼んだぞ」という意味を込めて、「あなたを大切にしているよ」という意味を込めて。手具に愛を伝えることで、明日はうまくできる、そんなふうに思っていました。

 また、「人の手具は絶対またがない」ということも教えられてきました。これも、手具は人と同じように「命」や「思い」があって、そんな大切なものをまたぐような粗末な扱いはしてはならないという意味でした。

 技重視になった今でこそ、手具に対するこんな思いは変わっていないのではないでしょうか。新体操選手にとって、手具は大切な友達で、ここぞというときに私を助けてくれる存在なのです。

手具に命を吹き込む新体操選手の紹介

 さて、そんな手具に本当に命を吹き込んでしまった選手がいますので紹介します。

 こちらはロシアのヤナ・クドリャフチェワ選手、2013年のボールの演技です。

 彼女は2013年世界選手権で、16歳という若さで優勝。(史上最年少)身体の線が美しいことはもちろん、くちばしのようなつま先と、何より魔法かのような手具操作に定評があります。

 この動画は史上最年少で優勝した時の、ボールの演技です。ノクターンの美しく、落ち着きがありつつもどこか若々しさを感じる曲に合わせ、科学では説明できないような操作を次々とこなしていきます。こんな方向にボールが転がるのか。投げたボールを背面で転がしながらキャッチするところも、もうありえないです。そして最後、片手で前方回転をしながら、もう片方の手では一本指でボールを回し続けています。これはおそらくバスケットボール選手でも難しいでしょう。

 彼女のすごいところは、こんな難易度の高い魔法のような操作を、途切れることなく行うというところです。流れるように、涼しい顔で、技の質も落とさずに踊り切るのは、もう「手具の神様」に愛されたとしか思えません。

 どこかの動画で、彼女自身も言っていました。「手具に命を吹き込むんだ」と。私のように冗談でやり過ごすのではなく、本当に手具に命を吹き込み、愛することができれば、手具も自分の身体の一部になるんだと思います。その境地までたどり着ける選手は歴史を辿ってもほんの一握りだと思いますが、そんな選手の生きた時代に私も生きることができていることって、すごいことなんじゃないかと思います。

まとめ

 ここでは新体操の手具の話をしましたが、これは新体操に限った話ではないと思います。どんなものも、私たち人間が作り上げ、私たち人間の手によって役割を果たします。その道具が道具ではなくなり、私たちの身体の一部になった時、私たちはより一層輝きを増すのではないでしょうか。

 どんなものも、愛着を持って大切にしたいものです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?