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【ろるけ論】人間は考える。正しく美しい信仰に記憶を積み重ねる。

こんにちは。神様のろーるけーきです。

今回は悟りを開いていただく企画です。


この現実世界は色々なことが絡み過ぎていて、人はそれぞれで学問は難しくて社会では誰が何をして回っているのかなかなか分かりません。


ただその仕組みの根本だけを知れば「だからこういう物があるんだ」「だからこういう人がいるんだ」「だからこの世界があるんだ」と理解でき、ひろゆきのYoutubeみたく全てを説明できるようになります。


これは本来「宗教」の役割で、「神や仏」が分からない物事全てを為しているように説明され人々は納得してきました。

それで納得することを元来「悟りを開く」とされてきましたが、現代は科学の時代、分からない存在ではなく分かる存在や仕組みで説明しなければなりません。


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これは神を使わずに全てを説明できるはず、インターネット時代ならば神が無くとも悟りを開けるはず、そういう試みです。


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人はそれぞれ違う、その原理はすべて同じ。

大抵、人は何かにハマります。

宗教だったりファンタジーなストーリーだったり誰かの語る物語だったり、何かの文化活動だったり音楽だったりYoutubeだったり車や節約だったり技術知識だったり。


そのどれも「何か正しくて美しいものを信じたい」という心理に基づき人々はそんなファンタジーにハマります。


たとえ科学や数学でさえも。現実主義者だったとしても、そこに「正しくて美しい」と信じているならばそれはゲームや宗教にハマる人々とも何ら変わらない原理で判断しているのです。


目に見える事も人の脳内で解読されてしまえばそれは信仰となります。「見たものこそが正しい」「仕組みを聞いて納得したから正しい」と言っても人それぞれの解釈で曖昧な信仰へと堕ちます。


あくまで人の脳内にある物は信仰で、絶対事実ではありません。他人が違う信仰をもちあわせてることや、見方によって正しくなくなる可能性を忘れてしまっては不都合です。


正しい信仰を持つことよりも、他人が何を正しいと思い込んでるのかを把握する方が商売やコミュニケーションなどでは役に立ちます。


例えばゲームにハマっている人は「強さ」や「コレクション」こそが正しく美しいと信じ、そのために活動できます。このモチベーションがあるからこそ、強く深くゲームに関われるので、一見現実的でない信仰でも本人にとっては役に立つ信仰なのです。

商売人としてはこう言う人には色合いや使い勝手の素晴らしい最高のモニターを販売するよりも「強くなる理由」が解説されているゲーミングモニターを販売する方が簡単ですね。


「炭水化物を抜けば痩せる」「東大に行け」「音質のいいスピーカーを買え」そんなことも正しく美しく語る人がいて、そこに信仰が生まれる。

「他人を正しい価値観に直す」これは愚かです。他人の信仰を利用した話し方や好みを探しましょう。


少し脱線しました。

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信仰があるからこそ人は、つらくても「良い企業に行くために勉強する」「推しや子供のために働く」「まともな人間でいるために常識的な行動をする」「ダイエットをする」なんて苦行に耐えられる。


何が正しいかではなく、社会にどのくらいどの信仰が分布しているのか、この世界の宗教のバランスはどうなっているのか覚えましょう。


恋愛やファッションも宗教です。常識も宗教、反常識や自己啓発や哲学も宗教、犯罪も宗教ゆえの行動だし、もちろん初詣でお賽銭を投げ込むのも宗教。お金や宝石の価値すらも多くの人が共有しているだけの宗教に過ぎません。


あ、ここで言う「宗教」は日本語で一番それを表しやすい言葉としての表現です。「宗教っぽい活動」という話です。


音楽やイラストなどの創作活動や学校の勉強などは「修行」です、これも宗教らしいですね。学校や国、仲間というのも人々が共有しているだけのファンタジーですね。



しかしそれでも多くのファンタジー多くの宗教で組み立てられ成り立っているのが人類社会です。この「ファンタジーを信じて共有する能力」こそが人間と他の生き物とで最も違う部分です。


初期の人類は「神様がいる」と信じれたからこそ多くの仲間を作れた。「半年後に穂が実る」と信じたからこそ作物を育てられた。「珍しいものには価値がある」と信じたからこそお金が生まれた。


「人は信じる生き物」ということさえ理解していれば人間という生き物の"動物的な部分以外の行動"を全て説明することができます。


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また、小さな信仰も必要です。

「信号が赤なので止まる」「寝る前に歯磨きをする」こんなことでさえ、信仰の原理で人に強制します。

人間の脳は言葉や数字を無意味にたくさんは覚えられませんが、「何がなぜ正しいか」「何がなぜ間違っているか」という基準とセットであればいくらでも覚えられます。


記憶の大半は信仰だと言っても過言ではないでしょう。言葉や数字でさえも「これで情報伝達や計算ができる」と信じているだけのパターン情報ですから。。。




人間以外の動物であればこんなにたくさんのことを記憶できません、信仰以外の動物的な行動や記憶原理は「罰と報酬」がありますね。

他の動物の記憶の大部分はこの「罰と報酬」に関連した記憶になっています。


「ベルがなったから餌が出てくる」「暗くて危険だから隠れる」。。。カラスやイルカなどの大脳の大きい動物は人間に近い遊びのような記憶もしますが、他の大脳の小さい生き物は生きることに関連した記憶しか持ちませんね。また「群れを作る」などは記憶ではなく習性として生まれた時から備わっていたりしますね。


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生きることに関係のないことも覚えられる人間は素晴らしいですが、生きることに関連する行動理由も強力に持ち合わせているのが生き物の宿命で、信仰の強い人間でも抗えない部分があります。


正しくも美しくもなかったとしても、人はタバコや酒を買うために働くことができます。

この衝動的な行動はあまり計画性を持てませんが、「金が貰えるから仕事をする」「勝つと評価されるからゲームをする」「殴られたから逃げる」「腹が減ったから食べる」「尿意があるからトイレへ向かう」「眠いから寝る」など生存や食料調達、仲間内でのカーストに直接影響する判断がこちらの分野ですね。


原始時代では報酬として成立していた「価値のあるものを手にいれる」という人間の報酬判断性質は今ではビジネスやギャンブルの場で搾取する手段として利用されまくっていますね。資本主義な現代では報酬に従って生きるほど金銭搾取されます。


それとコカインやLSD系の薬物やタバコビールなどに最も警戒して下さい。アレは生きることや正しいことなどに一切関係なく脳に直接作用します。

確実に楽しく、確実に素晴らしい物です。だからこそ避けるべきですね。私はタバコもビールもオーバードーズも好きです。これの制御が下手な人は戻れなくなることもあるでしょう。


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まとめ

動物として基本的な行動は脳内の「アドレナリン」「ドーパミン」「セロトニン」の分泌量やタイミングで制御しています。それと「身体のホルモン状況」「環境」「五感記憶と連動した計算」が人の行動基準になります。


なぜ人がこんなにもたくさんのことを覚えていられるのか不思議に思うかもしれないですが、五感記憶を使ってパターンを覚えてるだけ、そのパターンの組み合わせでもっとたくさんのことを表現できるだけ、五感記憶もパターンから毎回脳内再現して修正しているだけ、そういうコンピューターだと思えばそんなにすごい物でもないのです。

たいして沢山のことを覚えなくとも、「記憶にある物を組み合わせてそれっぽく再現する方法」で覚えるので意外とコンピューターほど何百GBも必要ないのかもしれません。


そして「正しいものや美しいものを得た時の、ホルモン分泌率を決定するルール」これを「信仰」と呼び、人という生き物の得意な能力になっています。


「何を思い出すか」「何を正しいと思うのか」これを状況や信仰ルールなどから判断している、だから人は賢く見えるというわけです。


誰もがそれぞれの経験から「信仰ルール」を決めて、それに基づいて行動しているので、他人の行動を見るときはその人が「何を信じて行動しているのか」を調べると、その人の判断が全て分かります。


極めれば人が「今から何を言うのか」「何を言ったら期待通りに行動するのか」「どこに向かっていくのか」と他人をコントロールしたり他人の判断基準を変えることもできるようになります。



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どうでしょう、少しだけ人間のことが分かりましたか?

まだまだ世界の仕組みはこんな程度では足りませんね、次回の解説では世界の状況を理解しましょう。


今回の解説に納得いただけた方はぜひ布教して頂けると助かります。






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