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【エコとエゴ】私たちのエコロジー 森美術館


「私たちのエコロジー」というタイトルで大手デベロッパーの高層ビルの53階で「美術展を見る、見に行く」とは一体私は何をしているのだろうか?と思いながらも、出展作家の中に中西夏之氏の名前を見つけて乗り込んで行った。

人間なんて矛盾してナンボ、というどこからの囁きと抗えない好奇心に背中を押されて。
結局見てみないと分からない。

公害の年表

第二章の導入にあった年表。
自分は遠い昔、この年表に記載されている公害患者の当事者であったことを思い出した。
80年代初頭に千葉市と市原市の境目で生活していた私は小児喘息を患っていた。公害認定されていた。
喘息の子供を集めた水泳教室にも通っていた。夜中に発作を起こして救急病院にお世話になったこともぼんやり覚えている。三姉妹の中間子だった私だけ、見事に喘息を患っていた。なぜだ。
自治体の子供から寄せられる地域文集の様なものには必ず喘息の苦しさを訴える作文が載っていた気がする。

そういう時代に当事者だったのか!と年表を前にして少し驚いてしまった。自分のことなのに。
年表にはちゃんと地域名も記載があり、世代も時代もあっていた。

中西夏之 コンパクトオブジェ


キャプションを読んだ。
作品は撮影禁止だった。
「撮影禁止作品はキャプションも撮影禁止なのか?」と看視員の方に尋ねたところ、キャプションの撮影は可とのことなので、撮らせてもらった。

キャプションは撮って良い、とのこと。


どうも解説が腑に落ちない。
最後の、プラスチックの文脈の部分のことである。
でもなぜかそれらしい文脈でここに展示されている様になっている。
文字って怖ぇな。と思った。

もしかしたら自分が知らないだけでこういう解釈を他の場所や作品でしていたかもしれないのか。


中西夏之氏に関しては本人の文章が難解なため、作家の掴みどころがなかった。赤瀬川さんの図録にも寄稿しているし、読んでみるのだが私の読解力では到底文章が理解できない。

ところが先日、
ART TRACE PRESS 04 2016 AUTUMN
(中西さんの追悼号)
という雑誌に氏のインタビューが載っていて思わず購入した。
インタビューなら読みやすいかも?
という一抹の期待を持ち、2000円を払った。
結局読みやすい訳もなく、ひーひー言いながら読み進めている最中である。

手前の本。自主出版系の雑誌なんだろうか?
普段はあまり見かけない雑誌だ。


まぁそこで今回展示のあったコンパクトオブジェについても語っているのだが。

制作当時は今回の展示で言われているエコロジーの文脈、プラスチック問題まで頭に本人が入れて製作していたか?という。
ちょっと後付けが過ぎる気がする。
これが展覧会というメディアなのか。

第三者が意味を見出したり意義を付与すること、とは。
うーーーーん…
解釈は確かに自由、受け取り方は自由なのかもしれないけれど。
提示する側の解釈に限定的な意義をもたらしても良いのだろうか。

疑問を持つことに意味があるならば六本木の高層ビルに登って「見た、目撃した」ことに意味はあるんだろう。

うーーーん…。
めちゃくちゃ足が痛くなって帰ってきた。

もちろん他に良い作品もたくさんあった。
だが今回はこの話のみしたい。

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