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【洗濯バサミを追い京都へ】Re: スタートライン 1963-1970/2023 現代美術の動向展シリーズにみる美術館とアーティストの共感関係 開館60周年記念 京都国立近代美術館

昨年2022年に開館70周年だった東京国立近代美術館に続き、今年2023年は京都国立近代美術館が開館60周年ということだ。

こちらは90年代リチャードロング展の軌跡。
絨毯の模様も可愛い。

近代の画家や京都画壇の作品収集をしながらも早い段階で「『今』の美術」を開示してきた京都国立近代美術館。
伝統的な歴史ある地域だからこそ「現代美術の動向」というテーマで1963年〜70年まで展示してきた意義は深いのだろう。

旧館時代の写真ですね。


同じ頃、東京都美術館では読売アンデパンダン展の熱気に包まれているわけですけども、こちらはやや固定概念をぶっ壊せ的な、お祭り的な要素も多かったのではないか。

その喧騒をまるで一旦冷却するかのように文字通り、距離を置き、冷静に美術として見つめた感のある京都国立近代の「現代美術の動向展」。
今回はその軌跡とアーカイブ資料の公開。

今でこそ、東京都現代美術館にMOTアニュアル展があるように新しい作家達にフォーカスすることは珍しくないが、60年代に公立の美術館で若手〜中堅を作家を紹介することは大きな話題を読んだそうだ。

お墨付き、が好きな傾向のある日本人からするとすでに価値の決まった美術品には反応するが、まだ価値の定まってた無いものに対する日和見というか、周りの反応見ながら、もの珍しさからの話題もあっただろう。
しかしここから生まれた言葉や潮流は、今現在の現代美術を語る上での源流になっている部分でもあり。
新しい1つの「点」が時間が経ち「原点」になったのかもしれない。

しかしですね、、、60年代当時の序文がそのまま掲示されたりと展示室内に資料として見て取れるのですが、とにかく昔の文章が難しい。
なんであんなに難しい文章で書いたの?口語なのに古典文章のように感じる。読んでいるうちに主語が迷子に…あ、わかった。一文が長いのだ。

難しそうに書くことが敷居を高くしてきた部分も、過去、日本現代美術が敬遠される理由の一つに合ったのではないの?と思ってしまう。
そう思うと文字解説文化というのもどこかでターニングポイントが合ったはず、で。解説が面白いな!と思った展覧会はいつだったかな。これもいつか振り返って文章にしてみたい。
まだ時代的に名のある批評家もいた時代。論争、論文、で解説とは少し違う毛色だったのだろう。
まさに、今そのものの作品だから時代考証とかもないし。

さて今回のハイライトは。

中西夏之 「洗濯バサミは撹拌行動を主張する」


東京都現代美術館から出張していてる中西夏之氏の洗濯バサミ。
関西ではなかなか展示されることも少ないと思うのでぜひ見ていただきたい。変色した下着の色もなかなかの迫力である。

展示メイキングの映像が面白いのでぜひ!今回もクロネコさん大活躍。


そして李さん、展示指示にきたの!という感激。

昨年まで都現代美術館で展示されていたときは地元小学生の美術鑑賞教室でこの洗濯バサミを嬉しそうに解説している先生を見て、(あーこれは同士だな)と思いながらニヤニヤしながらその後ろをついていったものだ。

凱旋展示になるのだろうか。
そもそも京都国立近代の建物も古い頃、旧建物時代か。
写真展示もふんだんにある。安齋重男氏の記録写真である。

これだけ資料があるなら、東京国立近代で昨年やっていたようなVR再現などもちょっと見てみたいな、という欲が出てくる。

他にも東京都現代美術館所蔵なのだが、なかなかコレクション展で展示されないものもこのように出張先でテーマに沿った状態で初めて見ることができ、ありがたい。
逆にいうと、東京都現代美術館ではこういう切り口の展示をしていないということで(最近は、の話。過去は時系列展示がスタンダードだった時もあった)。
東京国立近代だとコレクション展はある程度時系列に並んでいるのだが、現代美術館は海外作家も含めてのテーマ展示になるので、一定の時期の作品が出ないときは出ない。10年単位で。
これもまた難しいな。

三木富雄 EAR・耳

大阪 に続き、京都でも出くわした、氏の耳の彫刻。
これはアルミニウム製。大阪でみた石膏とはだいぶ違う。
しかし東京にあるアルミニウムの耳ともまた違う。
1続きの彫像でない、というか。パーツにわかれている。
これ、展示方法が床置きだった。
ちょっとぎょっとした。
床に横たわるでっかい耳。
床置き状態は初めて見た。
京都近代の所蔵品だったのですが、京都ではこの展示の仕方がスタンダードなのだろうか?
過去映像見ると、壁掛け展示をしていた様子もあるので、床置きはスタンダードではないのかもしれない。
床に置かれていると、より重量感が伝わる気がした。ドスン、と。
壁にかけたことで重量感分かりにくくなるというのはあるのかもしれないな。


この過去の展示シリーズのアーカイブ企画。
その当時、リアルタイムで見ることができた人が今もう一度見たら、どう思うのだろうか。存命の作家も減っていく、どうしても止められない時間の流れの中、この展示は何を示してくれるのか。
自分が今後生きていく中でいつか見た展覧会もアーカイブで再び見ることができるのだろうか。
近しいことは身近に起こることはたまにある。

そんなことも、今後の美術鑑賞の楽しみになっていくのかもしれない。
年齢を重ねるのも、悪くないなぁと思う。

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