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【マネから始まった終着点は…】練馬区立美術館 企画展 「日本の中のマネ」


なんか…すごいものを見た。
資料と考察展示がおもしろかった。
展覧会を見たというより、展覧会を読んだというか。

日本におけるマネへの理解は、なんとなくボンヤリとしているというか、取り残されている感は確かにうすうす感じてはいた。

モネやルノワール、セザンヌにゴッホなんかはもう子供でもわかる訳で。すぐ代表的な作品名まで出てくるだろう。
その日本での認知度、人気を助けたのはわかりやすくジャポニズムを取り入れていたせいだと私は考えている。ある種の親近感を持って鑑賞していないか。

ではマネは?? 

・マネは印象派の画家ではない(から一纏めに語れない)
・クールべから流れるレアリスムの画家寄りだったこと(とは言え凄いレアリスムかと言えば違う)
・サロンに出品し続けたこと、それにこだわったところ。(でも落選展もしている)
・黒の使い方ならジャポニズムの影響があった様に思えるが、他の画家よりわかりにくい。
・モネなど各県に一枚ずつ所蔵があるのでは?と思うがマネを所蔵する美術館は実は日本では少ない。(最近はベルト・モリゾに関わる人物側からの紹介が多い気がする)
と、上記の様に今回そんなとらえどころのないマネを「なぜ、日本でとらえどころがなかったのか」に向かって突き進んだ練馬区美術館。
こういう、再考を投げかける企画展ができるのは凄い。そして面白い!

中にはマネやその他の巨匠が地元に来るって言うんで見に来た!という方もいるだろう。
実際、平日昼間の展示室は年齢層も高くゆったりのんびりしていた。1階は。

…。

そして、現代、マネはどの様に表現されているのか…2階の展示室に待ってる森村泰昌さんと福田美蘭さんの

パワーーー!!

炸裂なマネオマージュ作品をどんな気持ちで見たのだろうか…

さて。余談が長くなるがご興味あれば。

練馬区美術館といえば、私が自分の意志で展覧会フライヤーを手に入れ計画を立てて訪れた初めての美術館である。
1995年。多分9月16日の土曜日。曇り。
現在に続く美術館巡りの最初に訪れた記念すべき美術館。
(夏の課題で世田谷美術館へ行くこともあったが、そこは課題きっかけなのでノーカウントとするが、練馬の展覧会のチラシを手に入れたのは世田谷美術館かもしれないから布石にはなっている)

何に惹かれて見に行ったかというと「コラージュ」というテーマ。
コンピューターグラフィックの合成技術もまだ知らない95年当時中2の私にとって、写真と絵の組み合わせは新鮮だったのだろう。
新しい美術だ!と思っていたかもしれない。(実際出品作品の年代は60年〜70年代で95年当時から2〜30年も前の作品なのだが)

で、これ赤瀬川さんを認識する前の時期でもあるわけで。(赤瀬川さん作品との出会いは96年の受験生の頃だ。)
単にこの企画展目的で見に行ってるんですよね。

この展覧会のチラシは未だに保管していて、20代になりチラシの出品者名見直していたら赤瀬川さんやら三木さん(耳の人)の名がある事に気が付き「あぁー、赤瀬川さんという作家名を認識する前に作品見てたのかぁ」と宿命すら感じた思い出がある。

で、今回なんと練馬区美術館の年報が販売されていた。
展示資料を販売する美術館、素晴らしい。もっと売ってくれ!
棚の前にしゃがみ込んで血眼で95年の冊子を探す。あったー!400円!買う買う!

そして前述の企画展ページを見つけて鼻息荒く出品作品の詳細を読みました。(手元のチラシには出品者の名前しか載ってなかったのだ)
赤瀬川さんの出品作品は…「あいまいな海」シリーズだ。これ、夏に千葉市美で見たやつかも!と思ったが少しタイトルが違うので別物で、95年の冊子には所蔵先が記載されていなかった。個人蔵だったのか。
こうなったら!95年と今ではデータベースへのアクセスが物凄く容易なのだ!目に物言わせてやるぜ!
と、作品名を検索したら現在は名古屋市美術館の所蔵となっていた。
そうかー…95年以降に名古屋に行ったのかーー…

……。
これは行かねば。名古屋に行かねば。
と先日の名古屋行きを強く決心したきっかけ、となりました。
もちろん常設展で見れる保証は無いのですけど、それでも名古屋には行かねば!なのです。

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