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【極彩色の記憶】田名網敬一 記憶の冒険 国立新美術館


展示を見て
「横尾さんにしても、宇野さんにしても、田名網さんにしても1930年代生れ、元気だなぁ」
と思った翌週に訃報を聞いた。
これだけたくさんの作品を世に残したのだ。
どうか、安らかに。


発色良かったな。


デザイン文脈の仕事に惹かれる

80年代の雑誌の画面構成。
雑誌そのものの特集の面白さについつい展示物を読み蹴ってしまった。

ディズニーランドがオープンするかしないかの頃
この配置のディズニー。
そもそも記事が面白い
タモリ。


これ、フライヤーを保存していたはず


↑このポスター見たことあるし、フライヤーを入手した記憶がある。なんだろう?応募しようとしていたのかな。これ田名網さんのデザインだったのか。21世紀、と言うタイトルから時代を感じる…
そういえば先日「お母さんは20世紀の人だね?」と息子に言われた。
それなんで声に出して確認するかな?

「篠原有司男」の文字。

ピカソにたどり着く

コロナ禍から始めたピカソの模写。これが圧巻だった。

ぅわっ!
すごい枚数
模写、とは。
写経の如く、って表現、すごく納得する。


なんか笑ってしまった。
ピカソなのに田名網さん。田名網さんなのにピカソ。
どんなに自分の画風を確立してもピカソに惹かれるのか。
横尾さんも画家宣言のきかっけはピカソの個展を見てからだった。

芸術家が受信するピカソの凄さ、偉大さはただの鑑賞者とは違うものがあるのだろう。

つい同時期に活躍している芸術家として横尾忠則さんが頭をよぎる。
横尾さんは寒山拾得をコロナ禍に描いた。

田名網さんはピカソだったのだ。
訃報が届いた後、写経という言葉が妙に染みる。

ネオン、面白いな。


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