ロシア映画『狩場の悲劇』鑑賞

2022年(令和四年)2月23日。今日は天皇陛下誕生日。世界では残念な出来事が起きてしまった。

現実逃避も良くないけれども、一般市民が日本からできることはあまりない。そして、こんな日にこのタイトルの映画の鑑賞記を投稿するのは、当初迷いましたが、このタイトルだからこその意味合いもあるという強引な理屈で投稿することにいたします。

チェーホフのミステリー

原作はチェーホフ唯一の長編ミステリー。ただ、チェーホフの元の原稿からすると推理小説風を装い、実際殺人事件が起きてその調査もされるにも関わらず、それを台無しにする注釈などが多数つけられていることから推理小説のパロディともいわれています。

私はロシア語やロシア文学はここ数年になって取り組み始めたので、それほど詳しく知っているわけではありません。ですが一つの映画を見たら背景や俳優・女優を調べて行くと、少しずつロシアの歴史や偉人などが繋がっていって、朧げながらでも霧が晴れていってるような感じがします。

きっかけはこんな感じでした。
ロシア語を学習する過程で、入門書を終えた後の中級レベルの短編集などを探していて、まずは大学書林さんの「語学文庫」などを見つけました。

短編小説作家・戯曲家 チェーホフ

チェーホフは膨大な短編小説、そして有名な四大戯曲等から、中級以上の副読本教材に相応しいようで、複数の出版社からチェーホフ短編集を扱った書籍が発売されています。

そして、これらの作品については戯曲は映画化もされていますし、文芸大国と呼んでも過言ではないロシアではいくつもの朗読音源が公開されていたりします。

チェーホフの四大戯曲の一つ、『かもめ』についてはアメリカのAmazonからディスクを購入して、鑑賞記を書きました。

そんな中で今回の本題『狩場の悲劇』です。

『狩場の悲劇』 概要

チェーホフの『狩場の悲劇』。なぜかウィキペディアで単独の項目も見つからず、翻訳もちくま文庫のものは絶版となっている状況です。

概要をあちこちのサイトで見て回りましたが、小説版については、かなり詳しいサイトがありました。こちらはミステリ(推理小説)としての分析がメインとなっています。

これ以外では、映画についての記述が多いのですが、翻訳本が絶版な状況ではこうなるのも仕方ないかもしれません。
なにぶん上記の「ミステリの歴史7-3」にもあるように、当時はまだコナン・ドイルも登場前で、ミステリや推理小説が確立される以前のモノなので、推理小説としては残念な作品という事で、短編集と違って余り人気が出なかったのでしょう。

小説版ではありませんが、個人的にはこちらの紹介が一番しっくり来たのでリンクしておきます。
※ 2022年3月5日 ロシア映画社アーカイブのほとんどのページが
  閲覧できなくなっています。下記のリンク先ページも404の
  「HTTPステータスコード」が表示されています。

ロシア映画社アーカイブス「狩場の悲劇」の状況

映画『狩場の悲劇』

翻訳小説やウィキペディアの記載が見つからないにも関わらず、映画に関してはFilmarksに限らず、個人のサイトもあったりします。

そんな『狩場の悲劇』ですが、今年の1月に入手できました。

本当はもっと早く見たかったのですけども、他のイベントを優先しているうちに後回しになっていました。

RUSCICO版の音声・字幕メニュー

日本で発売されていたもので、当然ながら日本語字幕もついています。

ですが、以前の記事でも書きましたように、提供がRUSCICOなのでアメリカ版を買っても日本語字幕が付いてた可能性は高いと思います。日本で発売されているディスクの音声言語が、ロシア・英語・フランス語の3か国語。

『狩場の悲劇』音声言語選択

字幕も13か国語がついています。この豪華さは本当にすごいですね。

『狩場の悲劇』字幕選択画面

この字幕メニューで明らかですが、ロシア語字幕も表示できます。ロシア語学習者にも優しい設計。
RUSCICO(Russian Cinema Council)版、毎回、感動します。
お金もかかるでしょうが、こういうのはこのまま残しておいてほしいものです。
また、これならディスク版を買うべき理由にまなるかと思います。(特にロシア語学習者には)

『狩場の悲劇』あらすじ

19世紀末、ロシア中部の森にある領主の領地。
林務官の娘オルガ(ガリーナ・ベリャーエワ)は19歳の美少女で「天使」のように自然で軽やかに見える。
高齢だが若々しく遊び好きなカルネフ伯爵(キリル・ラヴロフ)の邸宅にやってきた40歳のハンサムな予審判事カムィシェフ(オレグ・ヤンコフスキー)は、たちまちオルガのとりこになってしまう。
しかし、オルガは貧しさから抜け出したいためには、カルネフ伯爵邸の管理人で、貴族ではあるが50歳の男やもめウルベーニン(レオニード・マルコフ)と結婚する事を簡単に決めてしまう。
結婚式の日、オルガは祝宴から逃げ出し、彼女を追いかけてきたカムィシェフへの愛を告白する。
カムィシェフはオルガが自分を選んでくれるように願っており、お金でオルガを貧乏から救いだせると思っていたが、すぐにもオルガがどんな人間であるかを知ることになる。オルガはカルネフ伯爵の妾となっていたのだった。
夫婦関係が破綻しており、貴族とは言え執事に過ぎない夫ウルベーニンは田舎の家から逃げ出すように都会に引っ越し、徐々に酒に溺れ身を持ち崩していく。
秋になって、狩りとその後のピクニックで、カムィシェフに出会ったオルガは再度、自分が愛していたのはあなただけと告げるが、彼女の本性を知っているカムィシェフは、彼女を突き放す。
ピクニックを楽しんでいた一行たちは森から大きな悲鳴が聞こえたが、血まみれになったオルガを抱えるウルベーニンを発見する。
屋敷に運び込んで医者を呼ぶも、致命傷を負ったオルガは死亡するが、誰が自分を殺そうとしたのか、予審判事であるカムィシェフにも告げなかった。
夫のウルベーニンは疑いをかけられ、有罪判決を受け重労働に追放され、4年後に死亡した。
カムィシェフはこの事件を小説として描き新聞に掲載してくれるよう編集長に依頼する。
編集長は記事を読み、犯人の正体をカムィシェフと推測し、問い詰めるのだが…

ロシア語『狩場の悲劇(映画)』の説明文をもとに抜粋・修正して記載

原作の『狩場の悲劇』の柱となる場面は映画にも反映されているようです。

とはいえ、細かい点では原作からカットせざるを得なかったプロットがあるようですが、これは本作に限らず原作小説を映画化するに際しては良くある出来事ですね。
本作で言えば、DVDの特典のインタビューで合唱団のジプシー、ティナ役を演じるスヴェトラーナ・トマも語っていますが原作では重要な役割を担っていたはずの人物描写がかなりカットされていたりします。

ティナが重要な役割であることは、湖でカルネフ伯爵がジプシーの合唱団に演奏をさせている場面で二人一緒にいるシーンであったり、オルガが屋敷に運び込まれる時のシーンで長めの時間を取って映しているのを見てもわかります。原作では、カムィシェフの元恋人という設定だそうですし。

『狩場の悲劇』湖での合唱でティナとカムィシェフ
『狩場の悲劇』オルガが屋敷に運び込まれる時のティナ

また原作では重要な役割を担っていそうな、ソジヤやナデージダも出てこないように思います。

カルネフ伯爵とウルベーニンはどっちがどっち?

レビューを読んでて、他の方も同じようなことを書いていましたが、カムィシェフは非常にわかりやすいのですが、カルネフ伯爵とウルベーニンが普通の服装で動いているとどっちがどっちだったか迷うときがありました。

オルガとウルベーニン 結婚式後の会食にて
カルネフ伯爵 結婚式後の会食にて

写真のように髪の色が金髪に近いのがカルネフ伯爵と思っても、動いていたり光の当たり方によっては良くわかりにくい場面が無きにしも非ず。

それとロシアの結婚式では、参加者が「ゴーリカ(苦いぞ→だから甘いキスをしろ)」と言うとは聞いたことがありますが、この「ご両人、キスだ」と字幕が付いている場面で、まさに「ゴーリカ!」と皆さんが言ってるのを見て、ちょっと感動しました。

チェーホフの時代には、すでにそう言う習慣ができていた、という事だと思います。

カリジスって誰?

もう一つ、よくわからなかったのがカリジス。
カルネフ伯爵が没落した後、その領地を乗っ取ったとカムィシェフが語っています。
結婚式から逃げ出したオルガを探して口説いているカムィシェフと踊っている場面を見ていたこの人のはずです。
この人がまた、原作にその名前がなくてですね。多分、ちゃんと読めば、誰かと誰かを合体させた人物なのでしょうけれども。

結婚式から逃げ出したオルガと踊るカムィシェフ達を見つめるカリジス

映画の感想:チェーホフの描きたかったもの

映画としては、ハリウッド流の見てわかりやすい展開かと言われると、そういう訳ではありません。上記のように人物の描き分けが造形からは難しかったり、謎な人物がいたりもしましたので。

ですが、ロシアの貴族社会が一人の女性によって翻弄され、壊されていく様子は非常に良く描写されていました。
この映画が製作されたのは1978年。リュドミラ・サベーリエワ出演の『ユリア・ヴレフスカヤ』が制作されたのが1977年でした。
「リュドミラ・サベーリエワの出演作」でも書いたことですが、たぶん、この1980年(モスクワオリンピックの開催年)の2~3年前。ソ連のプロパガンダ激しかりし時代だったのかなと思っています。

この点について本格的に論じるなら、相当な資料にあたる必要があると思いますが、ここではあくまで素人の感想として述べておきます。今後、それを裏付ける/または否定する資料などを確認した場合には、言及することにいたします。
そういう姿勢であることは述べつつ、本作品がプロパガンダを行っていた時代にそういう圧力を受けていたのではないか、ということについて特典映像のインタビューなどにそれらしき表現がありましたので、少し補足しておきます。

チェーホフが「文学」として貴族の没落を描き、味付けにミステリのパロディをまぶして作品を描き、監督にエミーリ・ロチャヌーはチェーホフが描きたかったものを映画として表現したのだと思います。

一方、当時ソ連で映画製作などを管轄する党としては、資本主義につらなる貴族社会の没落を重ね合わせるかのように描写させたかったのだろうと思います。この件については、次の節でもう少し追記いたします。

ディスクの特典がすごい

このディスクの特典ですが、最初あまり気にしてなかったのですが、中を見ていろいろ驚く内容がたくさんあります。

『狩場の悲劇』特典メニュー

まず、特典メニューの左上、「アントン・チェーホフ」をクリックすると「略歴(バイオグラフィ)」「町医者(ビレッジ・ドクター)」「妻」「友」の四つの小メニューがあります。

特典「アントン・チェーホフ」のメニュー

このうち、「略歴(バイオグラフィ)」は英語で書かれた彼の略歴だけですが、それ以外の3つが映像(日本語字幕あり)となっています。
このうち「町医者(ビレッジ・ドクター)」は、チェーホフが実際に医者として勤務していた時の手記の朗読を、ソ連時代の病院と思われる映像に重ねているものでした。

チェーホフ夫人や友人のインタビュー動画

驚いたのが「妻」と「友」でして、「妻」にはチェーホフの妻だったオリガ・クニッペル本人がモスクワ芸術座での「かもめ」の大成功の時の状況を話している白黒映像です。

「友」には、同じくロシアの作家ニコライ・テレショフが登場します。1867年生まれ1957年没。「70年前」からのチェーホフとの交友について語っています。こちらの方の日本語のウィキペディアはありませんでした。

音楽監督 エヴゲニー・ドガ インタビュー

この他にも、上記の特典メニューの「アーカイブ」に2名のインタビュー動画がありますが、一人目が本映画の音楽を担当されたエヴゲニー・ドガ。

彼の説明によれば、エミーリ・ロチャヌーは最高の詩人であり、彼の世界観をきちんと理解できる人は少なく、またその世界観を描き出すためには一切の妥協をしなかったとのこと。

この妥協をしないというのは役人に対しても同じであり、役人が言うとおりに妥協して許可をもらって作品を作ることはしなかったと語っています。

そのせいで彼が映画監督としてもっと活躍できたはずの20年間、映画を撮らせてもらえなかったともいっていました。(後述しますが、ロチャヌー監督の略歴を見る限り、20年の空白ではなかったようですので、撮りたい映画に対していろいろ制約があった、ということと理解しております。)そしてようやく映画が撮れるようになった時代には、もう時間がなかったとも。

上記、「映画の感想:チェーホフの描きたかったもの」で触れましたが、ロチャヌー監督はチェーホフが描きたかった19世紀末のロシアの貴族社会が一人の女性に翻弄される姿を描きたかったと思われます。

ドガによれば彼は自分が作りたい作品の意図をあまり語らないまま世を去ったとのことですので、この意見はあくまでも作品を見た主観的な感想ではあります。

一方、自分の作品を取るために一切の妥協をせず、それは役人に対しても同じとのインタビューを見ると、つまりはその時には「ソ連のプロパガンダとしての映画作り」をするように言われたのではないかと思われます。しかし、彼はそれをしなかったために、映画を撮る許可を得られなかったと解釈するのは、それほど間違っていないのではないでしょうか。

結婚式から逃げ出したオルガがカムィシェフに連れ戻されたのち湖畔で踊るダンスシーンの曲は最初は既存の曲を使う予定だったそうです。
しかし適切な曲が見つからずに、モスクワのモスフィルムホテルドガが1日で書き上げたとYouTubeのコメントに書いてありますね。
非常に印象的で、この場面に相応しい曲になっています。

泣きながら踊るオルガの表情と合わせ本映画の名シーンの一つ。一点だけ不思議に思ったのは、ドガはインタビューで「このシーンの終わりにオルガを宙に舞い上がらせて、貴族の没落を見下ろさせる」と言っているのですが、私が見た限りはそんな感じではなかったように思いました。
映画ではあったものが、ディスクの作成時にカットされたんでしょうか。

ジプシー合唱団ティナ役 スヴェトラーナ・トマ

アーカイブのもう一人のインタビューがスヴェトラーナ・トマ。
彼女はインタビューの中でも語っていますが、本作「狩場の悲劇」の前にロチャヌー監督が撮った『ジプシーは空に消える』の主人公ラーダ(こちらもジプシー役)を演じており、2作続けてジプシーの役を演じていることになります。ちなみに、『ジプシーは空に消える』はゴーリキー原作の小説のようです。

こちらが『ジプシーは空にいる』の1シーンですが、ほんの数分でも非常に印象的で惹きつける演技をしていますね。

こう言った背景もあってか、本人は『狩場の悲劇』でのティナ役を断ったところ、ロチャヌー監督が直接説得しに来たそうです。
そしてティナの原作の役を映画には十分に反映できないけれども、とても重要な役割があって、ジプシーの貴族のようなものと考えてほしいと説明されたとか。

たしかに予審判事であるカムィシェフの元恋人役が誰にでも務まるわけはないと思いますし、映画はそういった前提知識なしに見たのですが、ティナだけは何か特別な役割が与えられていることは見ていても明確にわかりました。

そして、音楽担当のドガと同じ様に、ロチャヌーの監督としての才能、過去の実績や名声ではなく、役に相応しい俳優に演じさせることで役者が輝くようにする素晴らしい監督と説明していました。

もっとも、そのために俳優に求める条件は厳しく、最初は相当反発していたことも触れていましたが。

映画自体は、上述の通りに若干分かりにくい部分がなきにしも非ずでしたが、これらの特典も合わせて、非常に有意義な時間を過ごすことができたように思います。

監督とヒロインについて

特典映像での音楽監督やスヴェトラーナ・トマのインタビューを見て、ロチャヌー監督について触れておくべきと感じました。残念ながら日本語の記録などがあまりなかったので、ロシア語版から抜粋しています。

監督 エミーリ・ロチャヌー

これらのインタビューを見た結果、少しでも監督であるエミーリ・ロチャヌーについて言及せざるを得ません。

こちらのロシア語のウィキペディアから、大きく抜粋すると、このような略歴になるようです。

1936年:ベッサラビアのクロクシュナ村(現モルドバ共和国オクニタ地区)に生まれる。母親はルーマニアの方のようです。父の死後、母親のいるルーマニアに逃げるもつかまった経歴があり、ルーマニアの高校卒業後、ブカレストの映画学校の受験を試みるが、入学許可証は却下された。
1952年:ソ連への送還を願い出てクロクシュナに戻りソ連で映画の勉強を続ける。
1953年から1954年:キシニェフのプーシキン演劇劇場で俳優として活躍。
1953年から1955年:モスクワ芸術劇場演技科で学ぶ。
1962年から1973年:「モルドバ・フィルム」スタジオで働き、「夜明けに待つ」(1963)で監督デビュー。
1973年:モスフィルムスタジオに勤務。
ゴーリキー作品の映画化「ジプシーは空にきえる」(1976年)、チェーホフ作品の映画化「狩場の悲劇」(1978年)、偉大なバレリーナの生涯を描いたアンナ・パヴロワ」(1983年)などが代表作。
1977年から:脚本家と監督のための高等講座で長編映画監督ワークショップを担当。
1980年代末:モルドバ映画に戻り、モルドバのテレビ局でM・エミネスクの詩「ルカファルル」の脚色を担当。
1987年から1992年:モルドバ撮影監督連盟の会長を務める。
1998年:ゴーリキー・モスクワ芸術アカデミー劇場で、アントン・パブロヴィッチ・チェーホフの戯曲『熊』と『結婚』を原作とする『あなたの全体像』を上演。
2003年4月18日:モスクワで死去、享年67歳。

ロシア語のウィキペディアで監督作品などを見ると、『アンナ・パブロワ』以後にも1986年に『Лучафэрул』、1993年に『Скорлупа』などの作品があるようです。

このため、音楽監督のドガの言う20年というのは、まったく撮らせてもらえなかったというよりは、監督したい作品がいくつもあったにも関わらず、許可がでて撮らせてもらえたのがわずかしかなかったという意味なのでしょう。

ただ監督としての実績は折り紙つきだったと思われ、当局の指示に従わないからという理由で閑職に追いやられなかったようにみえます。

こうなると『ジプシーは空に消える』や『アンナ・パブロワ』も鑑賞してみるべきかなという気持ちが強くなりますね。
ジプシーについていえば、『ジプシーは空に消える』はジプシーがテーマですし、本作でもジプシーの合唱団が登場します。スヴェトラーナ・トマがインタビューで語っていましたが、ロチャヌー監督の作品にはジプシーが登場すると言っていました。
モルドワに生まれ、父が亡くなった後ルーマニア人の母を頼っていったところ逮捕されたりした経歴や、その過程で強く影響を受けたのでしょうか。

ガリーナ・ベリャーエワ

最後に本作で美人薄命を地で行くような役割でありながら、あまりにも自分が周りから注目される事だけが関心事であったことから、登場するほぼ全ての貴族を一撃で滅ぼしてしまったオルガを演じたガリーナ・ベリャーエワについても少しだけ触れておきます。

本作出演当時は17才。バレエ学校の生徒だったそうですが、本作でも破天荒な馬の乗り方を披露していますし、5年後に同じくエミーリ・ロチャヌーが監督した『アンナ・パブロワ』でも主人公を務めています。

こちらは1983年の作品。バレリーナでもあったガリーナ・ベリャーエワだからこそ、できた演技もあったことと思います。
なお、バレエのシーンは1977年に名誉芸術家に称されたヴァレンティーナ・ガニバーロワが躍りました。
元バレリーナとは言え17歳で映画界に転出した後はソリストとしてバレエを踊っていないガリーナに伝説のバレリーナ「アンナ・パブロワ」の踊りを再現させるのは、さすがに荷が勝ちすぎたことでしょう。

ヴァレンティーナ・ガニバーロワがセルゲイ・ヴィクーロフとジゼルのパ・ド・ドゥを踊る動画が公開されていました。

バレリーナ出身と言えば、『戦争と平和』でナターシャを演じたリュドミラ・サベーリエワもそうでした。世界的に有名なバレエ学校があるだけでなく、このクラスの女優が次から次へと出てくるのは、もう参ったとしか言いようがありません。

他でも書かれていますが、ガリーナ・ベリャーエワは『狩場の悲劇』が公開された翌年、監督であったエミーリ・ロチャヌーと結婚しています。その後1984年に離婚しますが、時期的には『アンナ・パブロワ』の公開後です。
その後も舞台や映画で活躍しているようです。


本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
間違いなどがありましたら、コメントでご指摘いただけますと幸いです。

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