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「俺の酒が飲めないのか?」 -パワハラと愛情の狭間-

今回の記事は、下ネタのつもりはありませんが、そのように解釈されるかもしれませんので、お読みになる際にはご注意願えれば幸いです。

もし、たまたま目に入ってしまった際には、”※※※”で区切った以降は読まずにスルーしていただければと思います。

表題のごとく、「俺の酒が飲めないのか?」と言って酒を勧める上司、先輩などが問題だという記事を読みました。

僕の経験による私見では、そのように言って酒を勧める上司に悪い人はいませんでした。

僕は飲酒の習慣も無く、お酒に弱いので、勧められるがまま飲んで僕が泥酔状態になると、勧めた上司は必ず僕をいたわり、タクシーで送ってくれたものです。

その上司は、お酒を飲むことによる、”仲間意識”が欲しかったのですね。少なくとも、パワハラなどという悪意は感じられず、「俺が勧めたんだから、俺が面倒を見る」的な愛情がありました。 ただし、男性上司が女性の部下に勧めるのは、経験上見たことはありませんが、パワハラ+セクハラに発展する可能性もあります。

しかし、「イッキ、イッキ!」というのは、明らかに、少しの愛情もありません。「俺の酒が……」を言うのは近しい上司・先輩が多いですが、「イッキ!」はイヤなヤツが言い出します。
飲みすぎて倒れれば、”自分が乗せられて飲みすぎたアホなやつ”ということになります。正真正銘のパワハラなので、そのような人間を信頼してはならないと思います。

ちなみに、僕はイッキをしたことがありませんし、それをやるようなヤツは友人にも、仕事仲間にもいませんでした。また、ここで論ずるに値しない話題です。

※※※

さて、ある日のこと。九州の飯塚市出身の女性と歩いていたら(仮に飯塚さんとしておきます)、その女性がモグモグとガムをかんでいたのです。

そこで僕は、「僕にもガムちょうだい」と言ったら、飯塚さんは「もうない……」と言いかけてしばらく考え、「一つあるわ」と言いなおして、自分のかんでるガムを口から出して、「はい、これ。口あけて」と言うのです。

「食べてないのが欲しいんだけど……」僕の意見を非難する方はいないと思います。しかし、飯塚さんはムッとした表情で言いました。

「あたしのガムが食べられないっていうの?」

楽しい雰囲気を壊したくなかった僕は、食えません……と言えませんでした。これは賛否両論だとは思いますが、僕の対応が100パーセント間違っているともいえないかと思います。なぜなら、上司が”コイツの面倒は俺が見る”という考えで「俺の酒が飲めないのか?」と聞くのと同じように感じたからです。つまり、飯塚さんは”仲間意識”が欲しいのだと、僕は解釈したのです。

しかし、大抵の人がそうであるように、”口から出したものを食べる”には、多少のプライドを崩壊させなければなりません。

古くを訪ねるに『日本書紀』によると、保食神が口から出した食べ物を月夜見尊にご馳走すると、月夜見尊は激怒したという記述があります。

そこで僕はこれを恥ずべき行為でないという、理由を探しました。すると、パッと脳裏に浮かんだシーンがあります。

それは、スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』というノルマンディー上陸作戦を題材とした戦争映画のシーンです。

緊迫する戦闘の連続で、ある兵士が隣の兵士がガムをかんでいるの見て、「俺にもくれよ」と言うと、言われた兵士は自分の口からガムを出して与えるのです。貰った兵士は別に嫌がるそぶりも無く、自然にそれを口に入れます。

命を預ける、戦闘を直前にした戦友の行為。それこそ、究極の”仲間意識”ではないでしょうか。

僕は「これだ!」と思いました。天下のスピルバーグが描写するシーンなのですから、恥じる必要はありません。そして、飯塚さんの差し出すガムを食べました。プライベート・ライアンの兵士の気分です。

すると彼女、笑みを浮かべてこう聞いたのです。

「美味しい?」

(……はあ!?)いや、もうほとんど味残ってませんでした。それに、今の今まで飯塚さんが食べてたワケで、味を訊ねる必要なんて無いはずです。また、プライベート・ライアンにそんなシーンはありません。「美味しいワケ無いじゃん」と言いかけて、やはり雰囲気を壊したくない気持ちが、出かかった発言を食い止めました。

答えを探そうと、僕はさらに脳を回転させます。

するとありました。なんといいますか……男性諸氏であればピンとくるかと思いますが、成人向けのメディアでその出演者が、グルメや料理番組でもないのに、「美味しい?」と聞くシーンが結構な割合であることを思い出したのです。そして、聞かれた相手はこれまた結構な割合で「おいひい……」と答えているではありませんか。もちろん、僕は仕事上の必要性から見ていたことを付け加えておきます。本当です。

僕は、飯塚さんに「美味しい」と答えてから、メディアのアレは本気ではなく、そういわざるを得ない雰囲気だったのか、もしくはセリフとして決められたものだったのだ……と感じて、ガムを食べたときには持ちこたえたプライドが、ここにきてガラリと崩壊したのを良く憶えています。僕にとっては、味を聞くほうがよっぽどパワハラだったのですね。

そしてその後も、たびたび同じようなことがありました。

すると、人間という生き物は不思議なモノです。味が無いのに、「美味しい」と感じてしまうのですね。慣れなのか、洗脳なのか、はたまた調教なのか。。。

今では、あのメディアのセリフが本気だったのか、それともやはり台本だったのか、僕にはわからなくなっているのです……

美味しい? 秋田しげと 撮影


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