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鬼のまま、死す ー戦車第九連隊サイパン島戦記ー

昭和十九年四月一日
東京湾 戦時標準輸送船『加古川丸』甲板上

「ええと、戦車を舷側に並べるんですか?」

 東京湾からサイパン島に向かう途中の輸送船『加古川丸』船上で、戦車第九連隊の将兵たちは、首をかしげた。

「うむ、この船には野砲中隊、高射砲中隊が乗っていない。なぜかと師団司令部に聞いたら、『戦車があるから大丈夫だろう』とのことだ」
 連隊長の五島大佐が呆れた様子で言う。第三中隊長、武山大尉が聞いた。「しかし連隊長殿、お言葉ではありますが……」
「わかっておる」
 何も言わないうちから、五島大佐は発言を遮る。その表情には、どこか困惑の思いがにじみ出ていた。

「戦車砲で飛行機を打ち落とすなんて聞いたことが無い、揺れる船の上から敵艦隊との砲戦を戦車でやるなど前例が無い。ましてや敵潜が現れたら、どうやって対抗するのかさえわからない…… そのほかあるか?」
「そんなところなのですが…… 戦車砲の砲弾は炸裂時間を設定する機能がありませんので、敵機の近くで砲弾を炸裂させることが出来ず、撃ち落すには直接敵機に砲弾を命中させるしかありません。高射砲でも不可能に近い芸当なのに、戦車でやるなど…… しかも我々は、いや全ての戦車兵は飛行機を撃つ訓練は受けておらず……」
「だから、わかっておるというに」

 サイパン島の守備隊は第四三師団が主力である。師団長は皇族、賀陽宮恒憲王だった。それは師団将兵全員の誇りとなり、また士気を高めていたが、皇族を南方の最前線に送るのを是としない大本営は、サイパンへの出航直前になって急遽、軍馬補充部にいた斎藤中将を師団長に任命したのだった。

 皇族を戦死させないための配慮だということは、誰の眼にも明らかである。それは逆説的に、島に行く人間は死ぬ運命にあると大本営が判断しているということだ。そのあからさまな人事に将兵たちの士気低下は免れなかった。それはそのまま、陣地構築の作業効率の悪化に繋がってゆく。

(決戦前に師団長交代か…… サイパンを失えば東京がB29に空襲されるのがわかっているのか? ナニが”絶対国防圏”だ)

 五島連隊長は口には出さなかったが、吐きだしようの無い不満が腹に沈殿するのを自覚していた。そして新任の斎藤師団長の顔を脳裏に浮かべ、これからの戦車用法に不安を抱いていた。

 そして、出航して最初の命令が『戦車を甲板に並べて敵に備えよ』である。そんなことは無駄だとわかっていても、五島連隊長は隊員に苦し紛れの指示をする。

「この輸送船は、見ての通りできたてホヤホヤの新造船である。まだペンキも塗っていないのに砲や機銃などあるワケも無く、乗組員たちの不安は推して測るべしといえるだろう。しかし戦車を両舷に並べたらどうか。その雄々しさに乗組員たちは勇気百倍。きっと任務に邁進するに違いない。あー、九七式中戦車を片舷三両づつ並べるのがいいだろう。かかれっ!」

 命令を下しながらも、師団司令部は戦車についての知識はゼロだと認識し、心中穏やかでない五島連隊長であった。

※※※

「おい、この島には、あの真珠湾攻撃の南雲提督がいるんだと」
「しかも、陸海軍合わせて四万を超える兵力だ。東條首相も『米軍がくればもっけの幸い』と、息巻いてるそうだ」

 戦車第九連隊の将兵は、そんな噂話と現実のギャップに呆れ気味だ。
「ところで、戦車はどこに格納するのだ?」
 五島連隊長が、師団から派遣されてきた参謀に聞いた。
「はい、このあたりでお願いします」
「このあたり?」
「はい。タッポーチョ山を取り巻くように南に向けて半円形に陣地を構築してください」
「おい、大本営は”サイパンは全島要塞化されていて鉄壁”と喧伝しているではないか。それに戦車じゃ穴掘りできんぞ」
「ツルハシとスコップでお願いします。あ、自分は急いでおりますので、これで……」
 そそくさと師団参謀は去ってゆく。

 師団から指示された戦車の格納場所には、ただ、山の斜面があった。
 タッポーチョの斜面は断崖で、掘るのは岩盤である。ダイナマイトが無いので、戦車隊の将兵は堅い岩盤をツルハシで掘る毎日。

 二ヶ月かかってやっと、戦車が入れる穴が完成したところで、米軍の猛烈な空襲が始まった。しかし、連絡壕や、物資の格納壕にまで手が廻っておらず、『陣地』と呼ぶにはあまりにも脆弱な状態であった。


昭和十九年六月十五日
サイパン島 チャランカノア海岸

 戦車隊は穴掘りが終了した翌日から、その穴にこもって砲爆撃に耐える日が続く。
 穴の外では、まだ壕に入れていない物資が燃え、構築途中の陣地は破壊されつくしていた。
 それに比べ米軍の橋頭堡の構築はスムーズで、侵攻二十分後には八千名の海兵隊が上陸している。

「米軍の橋頭堡に、殴り込みをかけてください」
 例の師団参謀である。五島連隊長は言う。
「歩兵は? 四三師団か?」
「いえ、海軍さんと」
「なんだと? 上陸地点の海軍陸戦隊は一千名しかおらんだろうが。敵は八千だぞ? 四三師団も出せ」
「いえ、あの地域は海軍の受け持ちですから」
「バカもんっ! 全滅するぞっ」
「では、海軍には攻撃部隊の増援を依頼しておきます。師団命令ですので、なんとかお願いします。一個中隊だけでもいいので、出してください」
 そしてまた、そそくさと帰ってゆく。

 結局、待ち合わせ場所に来たのは、海軍陸戦隊の兵士一千名だけであった。約束した増援は無い。戦車連隊の第四中隊は白昼、海軍陸戦隊と一緒に突撃したが、艦砲射撃と敵機の猛爆撃で戦車二両を残して壊滅。海軍陸戦隊は一人も戻らなかった。


昭和十九年六月十六日 未明
サイパン島 チャランカノア海岸付近
戦車第九連隊陣地

「敵はまだ、重火器の陸揚げはできておらんようだな」
 五島連隊長は、頬を夕日に染めながら双眼鏡を覗いて呟く。今をおいて勝機があるとは思えない。すぐさま、敵情を師団に報告した。
<敵の重火器いまだ陸揚げされておらず。即時攻撃すれば敵上陸部隊の殲滅可能>

 つまり、戦車隊全力で薄暗いうちに攻撃するということである。敵の飛行機は飛べず、艦砲射撃も同士撃ちの可能性があるので出来ない。
 すると、また師団参謀が言ってきた。
「四三師団の歩兵と一緒に攻撃してください。戦車に歩兵を乗せて敵前で下ろし、一気に突撃して決着をつける……」
 五島連隊長は、呆れ果てた顔つきで言った。
「敵と遭遇したらどうするんだ。歩兵を乗せていたら砲塔が回転しないだろうが」
「その時は歩兵を降ろして」
「バカもん!! 降りるまで敵が待ってくれるとでも言うのかっ、それに今すぐ攻撃せねば、敵の戦車が上がってくるぞっ! 歩兵の送迎をやっとる時間は無いっ! 師団長殿にすぐ意見具申しろっ」
 参謀は慌てて帰って行ったが、師団から来た命令に五島連隊長の意見は何一つ反映されていなかった。
 つまり、戦車で四三師団の歩兵を待ち、それを乗せて移動、突撃という悠長な攻撃である。

 しかし、待てど暮らせど歩兵は来ない。日が昇り、昼を過ぎても来なかった。そして、やっと到着したのは、夕方を過ぎた夜である。そして…… 米軍の戦車は既に上陸していた。

 米軍のM4中戦車に対し、日本軍の九五式軽戦車に搭載されている三十七ミリ徹甲弾だと正面であれば440メートル、九七式中戦車搭載の四十七ミリだと900メートルまで接近しなければ90%の効果を得られない。それに比べ、米軍のM4中戦車の主砲は七十五ミリなので射程が長く、日本軍の戦車は有効射程まで接近する前にやられてしまう。

 五島連隊長は攻撃中止を打診したが、師団がそれを許すことは無かった。「くそっ、ここで最期か」
 どんなバカらしい命令でも下された以上、軍人は従わねばならなかった。

※※※

 武山大尉は、九七式中戦車から顔を出し、悲壮な思いでジッと連隊長車を見つめていた。
「連隊長車、指揮官旗、直立」
 それは、”連隊長車にならえ”の合図である。そして、旗が水平に倒れる。武山大尉は大声で指示を出す。
「前進用意っ!」

 次いで連隊長車の旗が前に振られた。暗闇に揺れる純白の旗は、三途の川を渡る死の合図のように思われた。
「前進っ!」

米軍の橋頭堡までたった二キロ。有効射程の九百メートルまで、永遠とも言える時間が続く。
「歩兵、降りろっ!」
「壕が掘ってある。越えるぞっ」
 戦車は二速走行。ややスピードを落とすと、勢いを付けて防御壕を越えた。
「敵まで約千メートル、あと百メートル近付けば撃てるっ!」
 そう叫ぶと同時に、先頭の連隊長車が火を吹いた。M4中戦車が射撃を始めたのだ。
「連隊長殿ぉおっ! くそっ、中隊長車、連隊の指揮を執るっ! 全車突っ込めぇ!」

 シューというロケット音とともに、後続の九五式軽戦車が掴座する。
「バズーカ砲かっ……」
 米軍は戦車だけでなく、重火器の陸揚げも完了していたのだった。

 炎に包まれた連隊長車が、米軍の打ち上げた照明弾に照らされている。橋頭堡がみるみる近付く。米軍はバズーカ砲、対戦車砲、擲弾筒、小銃、機関銃、手榴弾まで手当たりしだいに撃ってきた。第四三師団の歩兵も次々と倒れる。爆発音に振り向くと、それは決まって日本軍の戦車だった。

 棍棒で足を殴られたような衝撃の後、武山大尉の戦車が停止した。
「キャタピラをやられたぞ。全員降りろ。突撃する」
 武山大尉は抜刀する。部下の三名は拳銃を取り出した。

「別れの杯もできんが、今まで良くやってくれた。さらばだ」
 戦車第九連隊にとって、師団司令部と食い違いに食い違いを重ね続けたサイパン島での戦いの結末である。
 将兵にとってそれは、『不条理な死』であり、運命などという言葉で片付けることなど出来ない。しかし、だれもが無言で頷いていた。

 硬直した手のひらで拳銃を握り絞めた部下の一人が言った。
「”死して護国の『鬼』となれ”とはよく言ったものです。このような死に方で『仏』になれるとは思えませんから。自分たちは死してのち、鬼になるしかないと思います。人の心を持たぬ、『鬼』に」

 人魂のような照明弾がいくつも空から舞い降り、早く鬼籍に入れとばかりに戦車隊を浮かび上がらせる。

「突っ込めぇ!」
 悲鳴のような声に振り向くと、わずかに残った戦車隊の兵士たちが照明弾に照らされて、真っ白な蝋人形のような顔で、ただ米軍の橋頭堡に向かって突き進むのが見えた。

 倒れ、立ち上がり、身体が砕ける。

「みんな、鬼になっていく…… 俺は今の今まで、日本に残してきた家族のために戦っていると信じていた。しかし、それは本当なのか? 自分の息子が成人して、俺と同じ境遇になったら、俺は『突撃しろ』と命じるのではないのか? いや、命じるだろう。その場に居らずとも、そうあって欲しいと期待するだろう。ふふっ、なんだ…… とっくに俺は、生きながら『鬼』になっていたんじゃないか……」

「大尉殿、何を笑っているのですか?」
「貴様も笑っているではないか」

 四人は不気味に笑い合う。肉親をも死地に投ずる覚悟があるのならば、当然味方の命に対してなんとも思えず、ましてや敵の命など物の数ではない。無論、自分自身の命も、である。あるいは論理が逆なのかもしれない。自分の命がどうでもいいからこそ、他の生命が終わろうと止むを得ない、と思うのか。

 それを自覚してしまうと、唐突な師団長交代や、その後ムチャな師団命令に散々振り回されたが、『鬼』が下す命令だと考えたら怒りもわかなかった。その『鬼』は、自分たちとは”狂い方”の向きが違っていただけだ。鬼になることを声高に拒否すれば、特高や憲兵隊によって家畜のように屠殺される。

 国家が進む針路と、抑圧の均衡が崩れた結果産まれた、”純粋な鬼”が自分たちだと、武山大尉は思った。

「俺達は、鬼にさせられたのか? だとしたら、誰に? 何に?」

 武山大尉は自問自答しながら、敵の十字砲火の真っ只中で、改めて自分の姿を見た。戦車砲、バズーカ砲、機銃弾の雨の中に、日本刀をかざして突入しようとしている。

 こんなことは、鬼でなければ出来ない。

 この世界、時代が狂っていることに気付きかけた武山大尉は、今、この場で人間の精神に戻って絶望することが、恐ろしくなった。

「純粋な、鬼、か……」

 自分から鬼の微笑が消えぬうちに、叫ぶ。
「突撃っ、進めぇっ!」

 その咆哮もすぐに、絶え間ない銃撃の波にかき消され、海岸の砂浜深くに埋もれていった。

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